人工知能の開発が大きく進展し、その活用がさまざまな分野で広がりつつあるいま、川野さんの仕事に関心をもつひとも増えているのではないか。少なくともわたしの場合、その意義がようやく見えてきたところだ。しかし、いま川野さんの思想に共鳴している人びとのなかでも、あの事件のことを知るひとはごくわずかだろう。客観的に見ると、川野さんの学問人生はその傷跡を留めていないように見える。しかし、ご当人にとっては釈然としないままの痛恨事だったと思う。また、川野さんが幅広く展開した美学や哲学を理解するためにも、その次第を考え合わせることが役立つかもしれない。だから、先ずはそこに焦点を置いて、この肖像を始めることにしたい。 1967(昭和42)年5月、川野さんは東大出版会から『美学』という一書を公刊された。ときに著者は42歳、単行本としては処女作で、野心的な企てだったと思う。野心的というのはそれが教科書として書かれた