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2024年6月5日のブックマーク (2件)

  • 川野洋さん――村八分を乗り越えた飄然たる大人(たいじん) | スヴニール とりどりの肖像  佐々木健一

    人工知能の開発が大きく進展し、その活用がさまざまな分野で広がりつつあるいま、川野さんの仕事に関心をもつひとも増えているのではないか。少なくともわたしの場合、その意義がようやく見えてきたところだ。しかし、いま川野さんの思想に共鳴している人びとのなかでも、あの事件のことを知るひとはごくわずかだろう。客観的に見ると、川野さんの学問人生はその傷跡を留めていないように見える。しかし、ご当人にとっては釈然としないままの痛恨事だったと思う。また、川野さんが幅広く展開した美学や哲学を理解するためにも、その次第を考え合わせることが役立つかもしれない。だから、先ずはそこに焦点を置いて、この肖像を始めることにしたい。 1967(昭和42)年5月、川野さんは東大出版会から『美学』という一書を公刊された。ときに著者は42歳、単行としては処女作で、野心的な企てだったと思う。野心的というのはそれが教科書として書かれた

    川野洋さん――村八分を乗り越えた飄然たる大人(たいじん) | スヴニール とりどりの肖像  佐々木健一
  • hasaqui連載 第一回日本の黎明期コンピュータアートを再考する | MASSAGE MAGAZINE マッサージマガジン

    この連載では、まだ歴史の精査が十分になされていない日における黎明期のコンピュータアートの荒野を逍遥し、新たな小道を切り拓くことを目指している。そのためには、コンピュータアートのパイオニアたちの足跡を横断的に確認する必要がある。日におけるパイオニアは、美学者であり1964年の春に日で最初のコンピュータによる画像を制作した川野洋、66年に結成しプロッターによるコンピュータアートやインタラクティブアート作品を制作したCTG(Computer Technique Group)1、67年に日で初めてコンピュータによるアニメーションを制作したSARASVATI2、73年に樹木構造を生成するプログラムを実現した出原栄一といったアーティストたちである。「黎明期」は主に60年代から70年代前半を想定しているが、適宜それ以降の事象についても取り上げるつもりである。 加えて、いくつかの観点から黎明期のコ

    hasaqui連載 第一回日本の黎明期コンピュータアートを再考する | MASSAGE MAGAZINE マッサージマガジン