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ブックマーク / dryanbaru.xyz (2)

  • ASは庇護を求める | 意味不明なヒトビト

    ある高機能のASの人とのカウンセリングの中で、人から「庇護を求めていた」という言葉が出てきて、さまざまなASのタイプを統一するイメージが浮かんだ。 もとは「庇護」なんだ。だから「100パーセントが当たり前」で、「対等の関係にはならず」、「相手の人格を想定しないで良い」のだ。 「庇護」という言葉は無条件の理解と保護を意味する。だいたい胎児から乳児に対する親の行うことが「庇護」で、親は当たり前に100パーセントの責任を負い、乳児人からの要請や 親子の相談は必要なく「以心伝心」で親は乳児の求めていることを理解し、提供する。 反対にケア(世話)する立場になった場合はASの人はケアされる側のニーズを聞くことをせず、結局第三者から見ると「支配的な押し付け」になるが、これも「庇護」モデルの反対側を演じているのだと考えると説明がつく。 ASの人の理想とするコミュニケーションのあり方にも非常に似ている。

    ASは庇護を求める | 意味不明なヒトビト
  • 就労支援の終わり | 意味不明なヒトビト

    の社会は憲法の生存権を根拠とするセーフティネットがあるので、働けなくても飢え死にすることは無い。 (ただ最近生活保護もどうなるか不安であるが) しかしながら、障害年金に関しては認定基準は変わらないものの解釈が非常に厳しくなり、どんどん受給が難しくなることは間違いない見通しだ。 私はこれまで就労支援を強力に進めてきた。 とりあえず働けるところへ持っていくことをゴールに、薬も認知能力低下の副作用の軽いものに変更し、ありったけの環境調整を進めて来た。 現実的な目標としては、「障害年金と障害者就労で経済的に自立する」ということを当事者とともに考え続けてきた。 しかしながら、今回の審議会の結果から、今後の障害年金では、「働けば年金は切られる」ということは間違いなかろうと考えざるを得なくなり、現実的な治療目標を変更せざるを得なくなった。 就労を目標にすることを止めよう。 なぜなら、「就労して年金を

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