2010年4月から23年12月まで県内の建設工事や埋蔵文化財発掘の現場などで見つかった戦没者の遺骨は、少なくとも1171柱に上ることが分かった。本島中南部で見つかっており、沖縄戦の激戦地となった糸満市が740柱と半数以上を占める。沖縄戦終結から80年近くたった今も、県内のあちこちで戦没者の遺骨が発見される状況が浮き彫りになった。名護市辺野古の新基地建設を巡って市民団体は防衛省に対し、遺骨が交じるとして本島南部の土砂を使わないよう求めている。(社会部・塩入雄一郎、城間陽介) 県が毎年公表している「沖縄戦の遺骨収集状況」に、元土木技術者で沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんが県に情報開示請求し、さらに本紙が追加請求して開示された「戦没者遺骨収集報告書」も加味して集計した。報告書は市町村が工事や、開発許可申請に係る文化財調査などで出土した戦没者の遺骨の状況を記したもので、遺骨は戦没者遺骨収集情報セン