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哲学に関するn00dleのブックマーク (2)

  • 歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log

    合意形成の話はひとまずおいておいて、そもそもの問題の起点にまたもどる。「デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる/言うということはデリダを裏切る」という東浩紀氏発言について昨年にひきつづきいくつかリンク。 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ 三島憲一 (PDF 早稻田政治經濟學誌No.362,2006年1月,4-18) 90年代のデリダとハーバーマスの対立の経緯、および00年代になって収束した対立について詳しく書かれている。これを読んでみると、東浩紀氏が自身の歴史認識のありかたをデリダを通ったせいにするのは誠意がないなあ、と思う。少なくとも「80年代のデリダを通過した私には」ぐらいに限定したほうがよいだろう。冒頭に掲げられたデリダの言葉を眺めるだけでもよい。 「しばしば,この脱構築の時代と啓蒙とが対置されることがありますが,それは違うのです。私は啓蒙の味方,進歩の味方であり,􌔗進

    歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log
  • 真木悠介『自我の起源――愛とエゴイズムの動物社会学』 - sekibang 1.0

    自我の起原―愛とエゴイズムの動物社会学 (岩波現代文庫)posted with amazlet at 08.12.08真木 悠介 岩波書店 売り上げランキング: 8583 Amazon.co.jp で詳細を見る 真木悠介(aka見田宗介)の著作を読むのは大学2年の時『時間の比較社会学 』を読んで以来。当時の私は今のようにアドルノではなくて「自我」とか「私」とかいう事柄に問題関心があったから、『時間の……』はかなり衝撃的で頭がクラクラするような著作だった。で、最近、岩波現代文庫に入った『自我の起源』を読んでまたクラクラと来てしまった。これはすごい論文である。私は初めこのタイトルから「近代以降の自我を巡る論文なのかな」と想像していたのだが、時代はもっと遡る。 どこまで遡るかというと、原始生命の誕生まで。この原始生命から現代までの進化を辿りながら、自我(私である意識)とは何なのか、どのように発生

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