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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (2)

  • 『中世社会の基層をさぐる』 - Arisanのノート

    中世社会の基層をさぐる 作者: 勝俣鎭夫出版社/メーカー: 山川出版社発売日: 2011/10/01メディア: 単行この商品を含むブログを見る 日中世史の泰斗である勝俣鎭夫の近著。 学ぶところ、きわめて大きなだ。 このを読んでわかることの一つは、信玄や信長などの戦国大名が勢力を誇った戦国末期が、権力による統治の仕組みが大きく変わった時代であるということだ。 たとえば、琵琶湖の南西岸にある滋賀県の堅田というところは、中世には堺や博多と同じ自治・自由都市として非常に栄えたところであった(七章「福寺文書」を読む)。ぼくは二年前の夏に、湖岸をブラブラ歩いていて偶然この町に迷い込んだことがあり、その落ちついた佇まいに深い印象を受けたのだが、そんな歴史があることは、このを読むまで知らなかった。 ところで、その繁栄をもたらした重要な理由の一つは、自分たちは琵琶湖の湖上支配権を持つという堅田の

    『中世社会の基層をさぐる』 - Arisanのノート
  • 『弁論家について』その2 - Arisanのノート

    昨日、中村雄二郎著『悪の哲学ノート』のなかで、「悪」を、「善」よりも自己を伝達しようとする意欲と能力に勝るものとして捉えるシオランの考え方に言及されていることを書いたが、これは大変示唆に富むと思える言い分なので、中村の同書(p48)からの孫引きになるが、以下にシオランの文章を引用する。 臆病で活動力を欠いている善は、自己を他に伝達するのに向いていない。善よりはるかに熱心な悪は、自己を伝達せんと欲し、そして伝達することができる。それというのも、悪には、他を魅惑すると同時に他に感染するという二重の特権があるからである。・・・・自己自身の内部に留まることができぬというこの不可能性、創造者が遺憾きわまりない例証を示さねばならなかったこの不可能性を、私たち人間はみないずれも受け継いでいる。 善は、その「臆病」さのあまり自分のなかに閉じこもってしまい、他者に自己を伝達しようとする意欲や能力に欠けている

    『弁論家について』その2 - Arisanのノート
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