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あとで読むと書評に関するnamawakariのブックマーク (3)

  • 比較政治・国際政治研究 - sunaharayのブログ

    これまで年末に頂いたをざっと紹介していたりしたのだけど,去年は最後までバタバタしていたおかげでなかなかその時間が取れず,年明けにやろうと思っても体調を崩してこれもまた難しかった。まあ時間がないのも原因ですが,何よりたくさん研究書が出ていてそれを頂いていたりするので追いつかないというのが実情です。 せめて単著は頑張って読みたいと思っているところですが,まず最近頂いたもののうち,比較政治・国際政治に関わるものをご紹介します。筑波大学の外山文子先生から『タイ民主化と憲法改革』を頂きました。ありがとうございます。書では,しばしばクーデターが起きて「憲法改革」が行われるタイにおいて,そこで強調される「立憲主義」と民主化について論じられるものです。最近の日でもそうですが,一般的に,立憲主義というのは民主主義とともにある考え方で,「法の支配」というかたちで強調されるわけですが,実際のところ民主主

    比較政治・国際政治研究 - sunaharayのブログ
  • 『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続] - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    須藤靖・伊勢田哲治 (2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学と科学哲学との重層的すれちがい(続) ← 「科学と科学哲学との重層的すれちがい」(2013年7月19日) 書を読んでひとつ自覚したのは,科学者側の “代表” として登場する物理学者・須藤靖さんの発言のひとつひとつにワタクシ自身があまり同感できないという点だった.とりわけ,[科学]哲学的な問題設定に対する彼の基姿勢には相当な違和感が残る.ワタクシの身近にもしこういう科学者がいたとしたら “いますぐ体育館のウラに来い” 的レベルの違和感だ.ワタクシが推測するに,伊勢田哲

    『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』[続] - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
    namawakari
    namawakari 2013/07/20
    “科学哲学がしだいにローカライズされ,個別のローカルな科学の中に入る(あるいは傍らにいる)ようになると,両者の「対話」もまたローカライズされざるを得ない”
  • 『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    須藤靖・伊勢田哲治 (2013年6月30日刊行,河出書房新社[河出ブックス・057],東京,301 pp., 体価格1,500円,ISBN:978-4-309-62457-0 → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2013 by MINAKA Nobuhiro. All rights reserved 科学と科学哲学との重層的すれちがい いささか口の悪い悪童(=物理学者)と達人の尊師(=科学哲学者)が重層的にすれちがう.全編を通じて科学者と科学哲学者との長い「対話」が続くのだが,相対しつつも目線がちがう方向を向いていて,なお言葉が絡みあうフシギな流れが楽しめる.科学者と科学哲学者が「いかに対話できるか」ではなく,「いかにすれちがえるか」が実感できる. おそらく「科学」というグローバルな総称ではひとくくりにできないほど,個々のローカルな「科学」および「科学者」のバックグラ

    『科学を語るとはどういうことか:科学者、哲学者にモノ申す』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
    namawakari
    namawakari 2013/07/19
    “生物体系学という物理学とは別のローカル個別科学の土俵の上で科学哲学が “武器” として使われてきた歴史は,ひょっとしたら例外的な事例かもしれないが,それでもファインマンの格言の反証事例としては十分”
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