拙著『読む哲学事典』における「保守主義と左翼」の小文に、コメントをいただいたのをきっかけに気づいたことがあったので、それをここに書き留めておきたい。 私は左翼も愛国的コミットメントを持つ必要を主張してきた。ここでいうコミットメントの対象は必ずしも国家ではなく、むしろ伝統である。たとえばロストロポーヴィッチの言葉を引いて伝統について考察した項では、チャイコフスキーの演奏についての「ロシア的伝統」が、上辺ばかりの効果を狙うものでしかないと批判し、真の伝統に立ち返らねばならないとする考えを紹介している(「歴史と伝統」の項参照)。この伝統は、ロストロポーヴィッチの音楽を培ったものであり、その音楽の表現とその文法を彼に教えたものである。自分自身の音楽的実存の根幹を育て上げた母胎であればこそ、その歪曲を許しがたいと感じるのである。ここに深いコミットメントが生まれる。他の芸術や哲学でも宗教でも、かかるコ