Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
Online ISSN : 2189-843X Print ISSN : 2189-4124 ISSN-L : 2189-4124
本稿は、増村保造の映画『痴人の愛』(1967年)における身体表象に着目し、原作小説との比較を通して、60年代以降の増村映画に顕著に現れる「動物性」の諸相を明らかにしようとするものである。構成としては、はじめに谷崎潤一郎による小説『痴人の愛』が、谷崎の 西洋偏重的な思想を色濃く反映させた作品であることを確認する。ここで議論の中心となるのが、小説のヒロイン、ナオミの身体性である。次に、増村保造による小説のアダプテーションにおいて、ナオミの身体表象が小説からいかに差異化されているのかを分析する。これにより、増村映画においては、ナオミに動物的ともいえる身体性が現れることを指摘する。最後に、この身体の「動物性」がいかなる意味を持つのかについて論ずる。議論から、増村にとっての身体の「動物化」は、西洋の模倣としての「近代主義」を乗り越える新たな身体として現前したものであると結
本稿は、久我美子が主演した文芸映画『挽歌』と『女であること』における疑似母娘関係に着目し、原作小説とも比較しながら、〈母性〉を介した女同士の親密な関係の映画的表現の特色を考察した。また、久我美子のスター・ペルソナとこれらの作品の関係を探った。『挽歌』については、怜子という新しい女性像、および怜子のヴォイス・オーヴァーをはじめとする女たちの「声」の分析などを通して、怜子とあき子の親密さが原作以上に強調されていることを検証した。『女であること』については、さかえのセクシュアリティの揺らぎを表現するにあたって、川島雄三の独特な空間がもたらす効果を論じたうえで、映画ではさかえの欲望がつねに市子に向けられていることを指摘した。さらに、『雪夫人絵図』以降の久我のイメージを辿り、『挽歌』と『女であること』において疑似母娘関係が強化されたことが、「特殊児童」という
本論文は、香港の左派映画に注目する。香港映画史における左派映画とは、冷戦期に中国共産党を支持していた映画会社とその作品を意味する。対する右派は国民党を支持し、世界中の広い市場を射程にしていた。第二次世界大戦後しばらくは順調に映画製作をしていた左派は、中国で文化大革命が起きると、その影響で苦境に立たされる。文革が終結して改革開放路線に変わると、左派は中国各地に遠征して、右派には撮影できない中国の風景を作品に取り入れようとした。その目的は、香港の観客には珍しい風景を強調するためだけではなく、右派が描く中国のイメージを実景で更新しようとしたためでもある。本論文は、左派系の『碧水寒山奪命金』と右派系の胡金銓監督作品で描かれる風景を、①人物と風景の画面構成、②アクション・シーン、③仏教思想のイメージという三つの視点から比較する。そこから導出されるのは、『碧水寒山奪命金』における、中国内地の広大さとは
太平洋戦争開戦がもたらした政策の転換によって、日本映画界では日中両国の提携による合作映画が要請されることになった。1942年から1944年にかけて、日本国内の三大映画製作会社は、相前後して日本占領下の上海へ渡り、合作映画の道を模索していたが、最終的に実現できたのは『狼火は上海に揚る』一作だけであった。本稿はこの戦時中における日中合作映画の製作経緯を解明するものである。本稿では、日中映画合作の背景を確認した上で、三社の企画の遂行過程を整理し、中国側にとって複雑な政治情勢から直接取材する現代劇よりも解釈の幅が広い時代劇が受け入れやすいことと、監督主体で企画を具体化していく方法に限界があったことを指摘した。さらに、唯一映画化を実現した『狼火は上海に揚る』の映像の中からは、日本の「国策」に順応する姿勢を示しつつも、固有の文化的文脈を利用した中国側の主体性を読み取ることができることを明らかにした。
本論は、阿部豊監督作品(1950年、新東宝)、島耕二監督作品(1959年、大映)、市川崑監督作品(1983年、東宝)の三作の『細雪』を、『アダプテーションの理論』(ハッチオン)、『映画リメイク』(Verevis)による「リメイク/翻案」の概念拡大を参照しつつ検討することを目的とする。阿部作品は原作への忠実を旨としながら妙子に焦点を当て、島作品は阿部作品の基本構造を採用してメロドラマ化しつつ雪子と妙子にトラウマの主題を導入し、市川作品は原作からの新たな翻案を試みて貞之助の雪子への欲望の描写と四姉妹の描き分けを行った。三作の製作の中に、「リメイク/翻案」の両者を含む『細雪』=「美しい四姉妹の物語」の図式の生成過程を見ることができる。「リメイク」および「翻案」の概念は、近年の概念拡大によって、それぞれを「メディア内」「メディア間」の現象として理解することが困難になっているが、産業、受容の側面も含
本稿は、増村保造の映画『華岡青洲の妻』(1967年)における女同士の欲望や絆の描き方に注目し、有吉佐和子による原作小説と比較しながら、その映画的表現の特色を考察する試みである。まず、この映画において、加恵と於継の心理や欲望が、二人のまなざしのやりとりと連動していることを検証した。続いて、欲望の三角形の概念を援用しながら、青洲、加恵、於継の三者関係を考察し、加恵の青洲への愛や献身は、於継のそれの模倣であると論じた。また、加恵と於継の愛憎を見守る女性「観客」としての小陸の視線を加え、女たちの間には、権力が奪われているがゆえに結ばれる連帯が存在していることを確認した。さらに、加恵が家制度における姑という身分と同一化するように描かれている原作に対して、映画の結末における円環構造は、一度は忘却した於継への愛の蘇生を示唆するものであり、女同士の絆を前景化させていることを指摘した。
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
本論は、溝口健二作品の中でまだ十分に考察されていない『噂の女』(1954年、大映)を、『ジェニイの家』(マルセル・カルネ監督、1936年)のリメイク作品として検討する。本映画は、舞台をパリのナイトクラブから京都島原の廓、井筒屋に移し、母娘と男性の三角関係などの基本プロットを受け継ぐ。ただし、三角関係に娘も恋人も気づかないまま母の元を去る原作と異なり、『噂の女』はそれに気づいた上での三者の激しい衝突を経て、男性による女性の搾取を認識することで被害者として母娘が連帯するに至る。リメイク過程の詳細な検討から、川口松太郎による小説へのアダプテーションが甘い「母もの」であったことが、製作過程に困難をもたらしたことが見える。女性の搾取という溝口の一貫した主題が導入されたものの、廓の経営者の母娘の和解が搾取への批判を弱くしたことが同時代の低評価となった。しかし、群像を描くカルネの世界を受け継ぎながら、時
本論ではマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーがコンビを組み「アーチャーズ」として製作したイギリス映画、『その信管を抜け!』(1949)の分析を行う。本作は「傷ついた男性性」を主題としており、その描写は同時代の他のイギリス映画と比較しても、他を圧倒するほど露骨に描かれている。 そこで本論では、戦後映画という横断的な視点に『その信管を抜け!』を位置づける。そのうえで、『我等の生涯の最良の年』(1946)における第二次世界大戦後の傷ついた男性性の描写を「歴史的トラウマ」という概念から解き明かしたカジャ・シルヴァマンの考察から、作品に登場する特徴的な男性性を分析するために、映画においてとりわけ象徴的なウィスキーの瓶と爆弾のシークエンスを細かく確認し、それらがファルス的役割を持つことを明らかにした上で、本作における傷ついた男性性の特性を見出す。さらに、主人公をめぐる男性と女性の関係を、イヴ
フランソワ・トリュフォーのキャリアは映画と文学の横断について思考するところから始まった。批評家として論考「フランス映画のある種の傾向」を発表し、当時のアダプテーション作品を批判したトリュフォーは、その3年後に初監督作『あこがれ』でモーリス・ポンスによる『悪童たち』の翻案に挑戦する。そしてその1年後、論考「映画における文学の翻案」でレーモン・ラディゲの同名小説を原作としたクロード・オータン=ララ『肉体の悪魔』を取り上げ、改めてアダプテーションの問題にアプローチしている。これら二つの翻案論と『あこがれ』からわかるのは、トリュフォーが一人称回想小説の翻案に関心を持っていたということである。 本稿では、『あこがれ』における奇妙な語り手——「一人称の特定できない語り手」——について、一人称回想形式の翻案という観点から考察する。まずは二つの翻案論を参照しながらトリュフォーの主張した「正当なアダプテーシ
1925年に女優として松竹に入社した松井千枝子は、同社のスターとして人気を博す一方で、自身の二つの主演作で原作脚色を務め、脚本家としても活動した。本論考では、松井のこのような異例の活躍が、なぜ初期の松竹蒲田において可能であったのか、またその中で彼女はどのように女優としてのペルソナを獲得し、そのイメージを活用しながら脚本家としてのキャリアを形成したかを論じる。 第1節では、松井が在籍した松竹蒲田撮影所の体制に着目する。1924年に同撮影所の所長に就任した城戸四郎は、脚本部の充実を図ることで、若手が積極的に議論する場を作り上げた。また、松竹では新たな現代劇の製作を模索する一方で、従来の新派悲劇的題材も脈々と受け継がれ、松井はここに女優そして脚本家としての活躍の場を見出していく。第2節では、スター女優としての松井千枝子に着目する。彼女は「第二の栗島すみ子」として人気を確立し、運命に翻弄される可憐
本稿は、1960年代後半から70年代初頭の日本において生まれた「アノニマスな記録」という写真のリアリズム言説を研究対象とする。東松照明、内藤正敏、中平卓馬、多木浩二ら戦後世代の写真家たちは、写真は個人の「表現」ではなくアノニマスな「記録」として存在するべきだと主張した。本研究では、この新しい写真概念の形成過程をたどる。その目的は、ありのままを写すとされる写真の記録性をテクノロジーに担保された必然として受け入れるのではなく、歴史的に構築されたモノとしてその言説の歴史性と政治的含意を問うことにある。まず本稿前半部分では、アノニマスな記録という言説が生まれるきっかけとなった「写真100年」展を取り上げる。そこで明らかにするのは展覧会を企画した日本写真家協会内部で、木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄に代表される戦中世代と先に名前をあげた戦後世代の間に明確な対立関係があったことだ。ただし、この対立を踏まえ
村上春樹作品への日本映画の影響はこれまで十分に論じられてこなかった。実際、両者の関係は決して明白とはいえない。先行研究が指摘するとおり、小説内での明示的な言及は『1Q84』(2009-10年)に黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)と『隠し砦の三悪人』(1958年)が登場する程度である。エッセイや数少ない映画評で邦画が話題に上ることはあるものの、映画をテーマとするほぼ唯一の書籍といえる『映画をめぐる冒険』(川本三郎との共著、1985年)の中で日本映画が論じられることはない。 本論文は村上が1980年から1981年にかけて雑誌『太陽』に連載していた映画評を手がかりに村上の小説『騎士団長殺し』(2017年)と鈴木清順のポスト日活時代の映画との間テクスト性を検討する。特に村上が「実像と幻影、真実と虚構、過去と現代を一体化させたその映像は息を呑むばかりに素晴らしい」と評したテレビ映画『木乃伊の恋』(1
明治期に原田庄左衛門によって経営された出版社の博文堂は、東海散士の『佳人之奇遇』などを発刊したことで知られるが、明治20年代には業績が下降して1901(明治34)年に一旦廃業届を提出する。しかし、1908(明治41)年頃より庄左衛門の次男である油谷達が、大阪においてコロタイプなどを用いて高品質な古書画や古美術を出版する会社として再興し、中国の代表的な文化財の複製にも携わり、全国的にも再び知られるようになる。しかし、廃業から再興をまでの時期にあたる1902(明治35)年から1908年までの間においても写真や絵葉書に関する出版に携わっていたことは断片的に知られているものの、その活動の概要や、経営者が油谷達に交代し大阪に拠点を移転した時期などは詳らかではない。それに対して、近年原田家の子孫宅から発見された同社の控簿や発行された写真によって博文堂の1902年から1908年の活動の内容が明らかになり
本稿の目的は、アレクサンドル・ソクーロフ監督による『太陽』(2005年)の新たな意義を見出すことにある。これまでの歴史研究、またメディアおよび映画研究は、近代天皇が現実のレベルと表象のレベル双方においていかに隠されるべきものとして扱われてきたかを明らかにしている。そのなかで、映画において初めて昭和天皇(裕仁)を主人公として、また人間として描いた『太陽』は賞賛を集めてきた。一方で、その人間性は、侍従に対して冗談を言い、口臭を気にし、皇后である妻に手紙を認め、最終的に「人間宣言」を行うといったわかりやすいかたちにとどまらない、複層的なものである。本稿はまずその点について、〈見る/見られる〉、運動、演技という観点からテクスト分析を行い、本作における天皇の人間性が多様な映画的な手法と密接に結びついたものであることを明らかにする。また、そのような人間性の演出は、人間が天皇であり天皇は人間であるという
1910年代に伝説的なアニメーターであるノーラン(Bill Nolan)によって発明されたスライド技法は、撮影台の上で背景画を引っ張ることでキャラクターや視点の移動を表現する技法である。この技法は19世紀初頭に誕生したムーヴィング・パノラマと明らかに類似している。ムーヴィング・パノラマは長尺の絵画を機械によって巻き取りながら眺める装置であり、スライド技法が誕生した1910年代には舞台や映画の背景としても用いられていた。1910年代にノーランはニューヨークで働いており、それらのムーヴィング・パノラマが身近にあった。さらに彼が発明したスライド技法自体もまた、当時の米国で一般的にムーヴィング・パノラマを指した「パノラマ」という語で呼ばれていた。そうした状況から鑑みて、ムーヴィング・パノラマはスライド技法の着想源の一つになった可能性が高い。 スライド技法を用いたセル・アニメーションではレイヤーが多
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
16 mmフィルムとオープンリール、そして市民運動に支えられた自主制作・自主上映体制を駆使して多様に開花したドキュメンタリー映画の背後にたたずむ膨大な尺数の「アウトテイク」素材群の存在が、制作者の老齢化とデジタル時代の映像保存実践の多元化によって近年顕在化してきた。殊に、証言映画の記念碑的作品である『ショア』(クロード・ランズマン監督、1985年)のアウトテイク素材220時間分が、米国ホロコースト記念博物館の映像アーキビストによってクロード・ランズマン『ショア』コレクションとして整理されたことを受け、証言映画とアーカイブの入り組んだ関係性をめぐる議論が再燃している。本稿は、『ショア』とアーカイブを巡る議論を一つのモデルとして参照しつつも、東アジアのポストコロニアルな空間で周縁化された語りを60年にわたり記録してきた朴壽南(パク・スナム、1935-)の表現活動を取り上げる。2019年に始動し
これまで多くの研究が視点ショットやヴォイス・オーヴァー、フラッシュバックといった映画における主観的技法のメカニズムや歴史を論じてきた。だが一方で登場人物の聴覚を再現する「聴取点サウンド」については、今もなお理論的基盤が確立されているとは言えない状況にある。 本稿の目的は、この技法が抱える独特な「扱いにくさ」の要因となっている理論的問題を整理し、従来ほとんど議論されてこなかった新たなタイプの聴取点サウンドの存在を指摘することにある。それは、フランシス・フォード・コッポラの共同作業者として知られる音響技師ウォルター・マーチが用いた「隠喩的サウンド」——登場人物の精神状態の隠喩となりうるような、極端に強調された物語世界内の音——と密接に関連している。 第一節で聴取点の複数の定義を確認した後、第二節では聴取点サウンドが成立する条件を定めること、つまり何をもって登場人物が音を聞いていると判断できるの
本稿では、ジョン・カサヴェテスのデビュー作『アメリカの影』(Shadows, 1959)の制作過程とテクストの俳優演技の分析を行う。『アメリカの影』の制作プロセスにおいて実践されたカサヴェテス独自の即興とはどのようなものか、またそれは作品の俳優演技にどのような効果をもたらしたかを詳らかにすることが本稿の目的である。まず、1950年代のハリウッドにおいて支配的な演技モデルであったメソッド演技について概観する。『アメリカの影』制作以前の俳優であったカサヴェテスに焦点を当て、俳優カサヴェテスの出演作や演技を検討することで、カサヴェテスとメソッド演技の関係性を明らかにする。次に、監督や俳優の発言から『アメリカの影』の制作過程を辿ってゆく。とくにカサヴェテスたちが行った独特の即興に着目し、どのような形で俳優たちとカサヴェテスが協働作業を進めていったかを考察する。そして、制作段階でのカサヴェテス的即興
本論は、視覚メディア、特に幻燈が明治10年代の「修身」教育に果たした重要な役割を明らかにする。急速な近代化を進めた明治初期、日本の国家教育は、その方針をめぐって洋学・国学・儒学が熾烈な覇権争いを繰り広げていた。その際、教育の「啓蒙」ツールとして文部省が最も注目したのが、西洋から持ち込まれた最新の幻燈であったが、その内容の軸足は西洋啓蒙主義的な智識才芸を養うためのものから、儒教的な仁義忠孝を養うものへと移っていくことになる。文部省の命でいち早く幻燈製作をはじめた鶴淵幻燈舗が、はじめて日本の「修身」教育に関与したのが、明治天皇の勅命で元田永孚が編纂した『幼学綱要』スライドであるが、今回それら一式が新たに発見された。そのため筆者は、それらのスライドが製作されるに至る当時の国家教育観の思想的背景を検証する。 また当時の「修身」教育は、政府が推奨した洋学や儒教にとどまらず、江戸期から民衆に浸透してい
本稿の目的は、1960年代後半に国内各地で複数発足したアニメーションサークルの特徴を、愛知県を中心に活動してきた東海アニメーションサークルの制作を事例として明らかにし、アニメーション文化史に位置付けることである。アニメーションが、娯楽・芸術・教育などの多様な分野にわたり日常化して久しい。このようなアニメーション文化を考えるとき、作家や産業関係者を育む土壌としてファンコミュニティは重要である。アニメーションに関する従来の研究や批評言説では、1970年代後半からのテレビアニメの人気隆盛に関連したファンコミュニティが主として「オタク」と呼ばれながら、もっぱらの注目を集めてきた。しかし、それ以前の1960年代末には既に、若者たちを中心とするアニメーションの文化サークル活動のネットワークが形成されている。先行研究では、現在のアニメーション文化にまで繋がるアニメーションサークルのネットワークの重要性や
本稿は、エキソニモがUN-DEAD-LINK展に展示した初期のインターネットアート作品の映像とモノとの組み合わせを、N・キャサリン・ヘイルズの「認知者」「非意識的認知」「認知的集合体」という言葉を手がかりに考察していくものである。UN-DEAD-LINK展に展示された初期インターネットアート作品は、その特質と言える作品と体験者とのインタラクションがない状態で展示されている。この状態は、作品を死骸や残骸のように見せている。しかし、エキソニモの言葉を辿っていくと、これらの作品はインタラクションを切り落としたとしても、別のあり方で体験者の意識に現れる可能性を持つように調整されていることがわかる。この作品の別のあり方が、ヘイルズが「認知者」と呼ぶ存在である。彼女は、ヒトを含めたすべての生物とともにコンピュータも世界を解釈して意味を生み出す「認知者」だとしている。「認知者」は認知プロセスとして「物理
映像表現におけるリアリティの問題は、古くて新しい問題である。1895年にリュミエール兄弟によって『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)が上映された際、観客は驚いて映画館から逃げたという有名な逸話がある。これは写実性が現実の列車と結びつき、観客に映像のリアリティが伝達された結果であるといえる。しかし今日のリアリティの問題は、コンピュータグラフィックス技術により現実世界を再構築することから、非現実的な「虚構の写実」、「作家によって作られた写実」を追及することへとその軸が移っており、そこから先端映像技術や作家の創作意識を含めた、さまざまな検討すべき課題が新たに生まれている。 本論文では、アニメーションにおけるリアリズムのアプローチについて、ダイナミクスアニメーション技術の応用とその表現力の視点から考察し、さらにアンドレ・バザンの映画理論を確認することで検討を行う。具体的には、アニメーション
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事に注目し、『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕監督、1962年)において浅丘ルリ子が着用した、森による衣裳を中心に作品分析を行う。その際、アーウィン・ゴッフマンが提唱した「行為と演技」の概念を手掛かりに、浅丘による登場人物の生成において、「演技」と衣裳が如何に密接に関わっているかを指摘する。1960年代前半における女性表象を概観すると、衣裳は女性性を強く打ち出すスタイルが中心であり、男女二項対立を前提とした物語世界に奉仕する役割を担っていた。一方『憎いあンちくしょう』では、男性も女性も「演技」を通じて自己の望むものへと向かって「行為」をしており、その意味が衣裳に込
本稿の目的は、日本の人類学において最初期に写真を使用した人類学者、鳥居龍蔵によるアイヌの写真表象の特性を明らかにすることである。本稿で扱う対象は、鳥居が1899年に行った調査で撮影した千島アイヌの写真である。これまでの、鳥居の写真によるアイヌ表象に対する解釈は、帝国主義を示すものであるとする批判的解釈と、被写体に対する配慮を強調する肯定的解釈に二極化していた。 そこで筆者は、鳥居の写真の詳細な意味を明らかにするために、資料の分析を行った。鳥居による人類学の成果物を調査すると、1903年に出版された書籍『千島アイヌ』の写真図版で、特徴的な掲載方法が見つかった。人類学調査のために撮影された写真が、肖像写真に使用される様式に縁取られて掲載されていたのである。 肖像写真には抑圧と称賛というふたつの機能があることは、写真研究者のアラン・セクーラが「身体とアーカイヴ」で明らかにした通りである。セクーラ
福原信三の写真論「写真の新使命」は、彼が創刊した雑誌『写真芸術』において、1922年の4月から9回に渡って掲載されたエッセイである。これはのちに多くの写真論を書くことになる福原が、初めて明確な目的のもとに書いた文章である。 従来福原の写真論は、「光と其階調」という理念を提唱したことによって知られており、写真に写す対象を光の調子に還元する彼の写真作品の様式を説明する理論として理解されてきた。こうした先行研究に基づきながらも、本稿では福原の写真論を、写真を撮影する者が撮影行為における知覚のはたらきを記述したテクストとして解釈することを提示したい。そのために「写真の新使命」の精読を行う。 第1節では、福原が「写真」と「芸術」をどのように関係づけたのかを明らかにする。第2節では、彼が自身の写真芸術にとって理想と考えた撮影行為を、「写真的知覚」の形成として考察する。第3節では、カメラを手にする者が到
映画作家パトリシオ・グスマンは母国チリの記憶をテーマにこれまで数々の作品を発表してきた。グスマンの作品における記憶の表象を扱った先行研究の多くはピノチェト独裁時代の被害の記憶を扱う1990年以降の作品を対象にしている。そのため彼の初期代表作である『チリの闘い』は「記録」の側面が重視され、「記憶」の視点から検討されてこなかった。本論文は、人々の証言によって構成される「証言映画」として『チリの闘い』を捉えることで、この映画が映し出す特異な記憶の様態を明らかにするとともに、この作品から証言映画の系譜に新たな視点を導き出すことを目的とする。第1節では証言映画の系譜の整理として、「表象不可能」な被害の記憶について『ショア』が提起した1980年代以降の議論と、同時期にラテンアメリカで起こった「証言の文化」を結びつけ、その流れに1990年代以降のグスマンの作品を位置付ける。第2節では1960~1970年
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
本誌は巻数による表示は行わず、通算の号数のみによって各号を表示しています。J-STAGEへの登載にあたっては規定により号数を巻数に置き換えて表示していますが、掲載論文等の引用にあたっては正しく掲載号の号数を記載して下さい。
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
Online ISSN : 2189-6542 Print ISSN : 0286-0279 ISSN-L : 0286-0279
新藝城は1980年に設立されると、またたく間に香港の映画市場を席捲した。新藝城の作品が劇場を支配し、新人監督がデビューする場であった独立プロダクションの作品を公開する機会はきわめて限定されてしまう。したがって、新藝城は1970年代末に期待された多様な映画製作の種を摘み取った会社として、否定的な評価を与えられることがしばしばある。また、作品の内容についても、物語やギャグが形式的で画一的であると批判される。その一方で、それまでの興行収入の記録を大幅に更新し、1980年代の香港映画産業を牽引した存在であることは確かである。本論文は、新藝城の功罪について、新浪潮を代表する監督の一人であり、新藝城の中心メンバーでもあった徐克を中心に再考する。とくに注目するのが、集団創作という新藝城の製作体制であり、この体制においては監督個人の判断で撮影することは厳しく禁じられていた。そのために、徐克は数年で脱退する
映画監督内田吐夢(1898-1970)は歌舞伎および浄瑠璃を原作とした時代劇映画を4本手がけ、それらは「古典芸能四部作」として知られている。本論文は、その一作目であり近松門左衛門の浄瑠璃を原作とする『暴れん坊街道』(1957年)を取り上げ、企画の成立過程と作品分析を行う。 第1節では、まず敗戦後、民族主義的な言説を背景に左派的な近松の読み直しと、近松作品の映画化が進んだことについて概観する。そして内田吐夢が敗戦後満州(中国東北部)滞在において伝統芸能への郷愁を核に民族意識を変化させたことを明らかにし、左派映画人を交えて『暴れん坊街道』の企画が練られた過程を複数の台本の検討を通して論じる。 第2節では、当時国文学および歴史学の分野で盛んになった封建制批判の観点からの近松解釈に沿うようにして、本作における登場人物の身分の剥奪が、自己同一性と深く関わる「名前」の与奪によって描かれ、身分の異なる者
タイの映画館では、作品上映前にタイ国王のプロパガンダ映像が上映される。それは国王がイメージの投影を通じて、国民国家を統御する構図に他ならない。映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの長編映画作品『光りの墓』(Cemetery of Splendor, 2015)は、こうしたイメージの投影と国王および国家との親密な関係を暴露し、タイ映画史とそれを取り巻く政治を再構築するよう要請する。本論文の目的は、アピチャッポンの投影像を用いた実践やタイにおけるイメージの投影史を通じて、タイ映画と国王および国家の関係性を浮かび上がらせることにある。第一節では、タイ映画史におけるイメージの投影が「国家」や「国王」と緊密に結びつくことを確認する。この節の意義は、従来のタイ映画史を国王と映画の関係性から再構築する試みにある。第二節では、タイの地域学者トンチャイ・ウィニッチャクンの先行研究を参照しながら、タイ国家
日本のアニメを論じる際に、しばしば強調されてきたのが平面性だ。アニメの平面性を強調する議論は枚挙にいとまがない。こうした議論では、アニメの平面性はときに日本の伝統美術と結び付けられ、日本固有の性質とされる。日本文化研究者のトーマス・ラマールはこうした議論と距離を置きながらも、やはりアニメの平面性に着目している。彼はセル・アニメーション制作に用いられる撮影台に特有の多平面を層状に合成する構造を「アニメ・マシーン」とし、アニメ・マシーンによって生み出される運動を「アニメティズム」としている。アニメティズムという概念は、とりわけ美学的にアニメを分析する際にはしばしば言及される概念となっている。 しかし、彼がアニメティズムの例として挙げる大友克洋監督の『スチームボーイ』(2004)は、じつのところアニメ・マシーンとは異なる構造によって生み出されている。こうした構造の先行例としてはフライシャー・スタ
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2185-9086 Print ISSN : 0917-0421 ISSN-L : 0917-0421
Online ISSN : 2432-0668 Print ISSN : 0286-8601 ISSN-L : 0286-8601
Online ISSN : 2424-1911 Print ISSN : 0385-6100 ISSN-L : 0385-6100
This thesis investigates the establishment of shojin ryori by particularly focusing on vegetarian meals in cookbooks, which were published in the early modern period. In recent years, washoku and Japanese cuisine have come to occupy the spotlight. In December 2013, washoku was the twentysecond Japanese asset listed on the UNESCO’s list of intangible cultural heritages. Japanese food has also playe
This paper focuses on the concept of “theodicy” by Masahisa Goi, the founder of the new Japanese religious group Byakko Shinkokai. Although many “theodicies” have been expressed in different contexts previously, I would like to especially pick up the “theodicies” of Max Weber and Masahisa Goi. Max Weber defined his concept of“ theodicy of sufferings” as of three different types: Zoroastrian dualis
The purpose of this thesis is to clarify how people who belong to the Oomoto, a Japanese New religious movement, have interpreted the doctrine advocated by the religion’s founder, taking into consideration the mechanics of Japanese society and religious communities. Leaders of the Oomoto consistently desired to communicate their religious doctrine to the rest of society as well as to explain its c
Although people have some understanding of what occurs in an inter-religious dialog, the meaning of the dialog itself is rarely made clear. This study examines what exactly is an inter-religious dialog by examining its origin in the first inter-religious dialog, the 1893 World’s Parliament of Religions, and considering why the organizer decided to conduct a “parliament.” The study provides current
This paper will explore the worldwide popularization of the practice of natural/green funeral by focusing on a case study of “natural burial” in the United Kingdom. Recently, some countries have provided alternative natural burial sites, for example, the United Kingdom, Germany, North America, South Korea, and Japan. Although most Western countries seem to be inspired by the United Kingdom’s pract
This paper purposes to examine the relationship between the reference materials and research methods of modern Buddhism. The main subjects studied are reference tools―papers, catalogs, tables of contents, and reprints or databases―for researching Buddhist magazines. First, this study argues why it is difficult to study modern Japanese religious history and how important it is to use Buddhist magaz
The purpose of this paper is to discuss the dignity that Mr. B, who was once “Nushi” of a pachinko parlor (head of a store), emphasized, with reference to Max Weber's theory of charisma. From Mr. B's story, it can be said that he was in a considerably advantageous situation to get money, such as having the privilege to enter the store first. However, on the other hand, he didn't dare to get the mo
本論文は、環境汚染や不透明な民営化などの潜在的な問題を抱えつつもそれが表面化せずに機能しているインドネシアの埋立処分場の事例を通じて、インフラの不可視性の様態を探究するものである。これまでのインフラ人類学は不可視で当たり前の存在とされてきたインフラに光を当ててその在り方を明らかにする試みが中心的である一方、いかにしてインフラの不可視性が日常的に維持されているのかという側面は取り上げられてこなかった。不可視性はインフラという地によって図としての別の何かを可能にする効果を持っており、そのため、不可視性が何によって維持されているのか、そして不可視性の効果として何ができるようになっているのかという観点からの分析が求められている。また、こうした不可視性は新自由主義批判を基調とする近年のダーク人類学でも扱われており、両者の議論を接続させることによって「ダークな不可視性」という観点から埋立処分場を理解す
本稿では、「存在論的転回」の「真剣に受け取ること」という知的な態度に倣い、「『自然』を/に抗して書くwriting (against) nature」という課題を、パナマに暮らす先住民エンベラの人びとによる「自然を書く」取り組みから考える。具体的には、溺死という出来事をめぐる叙述である。それは文字を使用しない語りによる叙述で、正確には書くことではないかもしれないが、ここでは先住民の考え方を引き受けることを優先させるため、「自然を書く」ことを「自然を叙述する」こととして緩く捉え、人類学者にとっての問いに対応する先住民的な考えを検討する。 その溺死の出来事の叙述は、被害者の身体の様相を詳しく伝えることで、水流の不可解な力に曝された被動作主としての性格を際立たせる。一見すると空白のままとなる溺死を引き起こした力は、不可視の身体を持つ精霊の行為主体性として受け止められている。不幸な出来事の原因を精
シェルパの人々が居住するネパール東部のソルクンブ郡クンブ地方は、全域がユネスコ世界遺産の自然遺産に登録された山岳観光地である。エベレストをはじめとするヒマラヤの山々を眼前に望むこの地域には、毎年多くの観光客がその自然を見るためにやってくる。他方で観光客の流れはいまやエベレストの頂上にまで達し、人間から切り離された領域としての自然はもはや想像もしがたい。 本稿の目的は、自然/文化という素朴な世界の見方が問い直されつつある現在において、「自然的なるもの」をどのように考えてゆけばよいのか、ヒマラヤの「大自然」を背景に検討することである。本稿ではティム・インゴルドの自然と環境をめぐる議論を手掛かりとしながら、対象化された自然という領域が想像される以前に、私たちは有機体かつ人格として環境内に位置付けられているという事実を確認し、「環境の中の私」を自然的なるものを記述するための立ち位置として定める。そ
過去100年間のメラネシア地域における文化・社会人類学は、西欧近代的な自然/文化概念の民族誌的批判から、熱帯の自然と社会が互いに互いを創造し合うメラネシア的な社会性のモデルを打ち出してきた。しかしそこで前提とされている熱帯の自然の能産性は、熱帯林の大規模開発や人口増加といった人新世的状況が進行する現代のメラネシアでは、必ずしも自明なものではなくなってきている。本論はソロモン諸島マライタ島北部西ファタレカ地域における森林伐採事業の進出と、それと並行する現地の人々と土地の力の新たな関わりを、自然・社会双方における「ギャップ・空白」の創出に着目して描くことを通じて、自己と他者が入り混じる現代メラネシアの自然‐人間関係を概念化し、さらにそこから人間化された地球という新たな自然と向き合う我々自身について省察することを試みる。 マライタ島の山間部に居住してきた西ファタレカの人々は、ギャップ創出によって
This paper investigates changes undergone by self-definition in Japanese-Brazilian (Nikkei) society. After World War II, the first generation of immigrants sought social integration of Japanese immigrants and an affirmation of their place in Brazil with the formation of the Cultural Association (Bunkyo). Later, identity consciousness in the Nikkei society changed due to an increase in temporary la
本稿は、在日ロシア語圏女性移住者を対象として、聞き取りと自宅訪問調査をもとにした研究である。この研究は、対象者が移住先において向き合い形作ってきた、消費財との関係の変化を辿ることを目的としている。1990年代にロシアを始めとするポストソビエトの国々を後にした、多くの在日ロシア語圏女性移住者の移住前の生活は、それらの国々の政治的不穏ないし経済的不確実性によって特徴付けられていた。日本を行き先としてこれらの国々をより遅く離れた人々にとっても、移住者本人や、それらの親、親戚、友人などが経験した消費財の不足は移住前の過去の記憶の中で中心的なものとして語られることが多い。本稿は、移住前のこのような経験の後、受入れ国である日本での「無限」の消費選択肢に伴う幸福感という移住当初の感情が、女性たちが日本での生活に慣れるに従ってどう変わってきたのかを考察する。彼女たちのライフコースの展開に伴う新しい感情や態
近年、日本の文化人類学において音楽は急速に重要なテーマとなりつつある。こうした日本の音楽人類学研究においては、アメリカの民族音楽学におけるグルーヴ研究や、文化人類学全般で関心が高まった身体や身体化を巡る議論の影響を受けて、音楽が為されている瞬間の身体的な対面相互行為をミクロに分析しようとする研究が集中的になされてきた。しかし、こうした研究の視角では、音が実際に鳴り響いているわけではない時に行われている音楽家同士の交渉や、音楽に影響を与える過去の出来事の想起といった、単一の対面相互行為の時間的スケールを超えた、音楽実践の伝記的次元を捉えることができない。こうした問題に対し、本論文では、ボリビア・フォルクローレ音楽家の音楽観を「アネクドタ的思考」として取りあげることによって、これまでの音楽人類学とは別の視点から音楽実践のあり方を捉えることを目指す。具体的には、筆者自身もその一部に参加することと
本稿では、オスカー・ピストリウスやマルクス・レームのパラリンピック/オリンピック秩序への挑戦を事例として、それがどのように問題化されていったかを朝日新聞の記事を追った。記事の変化からは、それまで肯定的な評価をされていた義足が、ピストリウスの越境以降、明確に問題含みのものとされていったことや、それが義足の性能とその公平性への問題と矮小化されていったことが判明した。 このような義足のアスリートを理解するモデルとして、福島真人による身体のモデル1・2を確認した。義足のアスリートの「問題」は近代スポーツの想定する自然な身体=身体0からの「過剰」として捉えることができた。さらにこの問題を乗り越えるモデルとして福島のいうモデル2的な身体、あるいはサイボーグの身体のメタファーを概観した。また、こうしたメタファーが失敗する事例として義手ラケットによるテニス選手を検討した。この事例は、私達が義足に関しては、
20世紀以降、マラソンのような長距離走は人間の持久力の限界を見極めようとする科学的実験の対象となり、人間にとっての走ることの意味にそれまでとは異なる地位を与えてきた。 本稿の目的は、マラソンのような長距離走を通じて人間の身体がスポーツ科学や種々のテクノロジーと協働しながら、いかにして走るという運動形態を変容させてきたのかについて検討することである。なかでもナイキが2017年以来、世に送り出してきた「Nike Zoom Vaporfly 4%」や「Nike Air Zoom Alphafly Next%」などのレース用ランニングシューズと、やはりそのナイキが主催した「Breaking 2」及びその後に続いた「INEOS 1:59 Challenge」というフルマラソン2時間切りを目指した2つの世界記録更新プロジェクトに着目し、そこにおけるアスリートとスポーツ科学の異種協働関係に焦点を当てた。
本稿では、競技スポーツ界が要求する競技者の身体の自然性にまなざしを向け、そこに浮かび上がる矛盾や問題性について指摘したい。 スポーツとは、じつに長い歴史をもつ人間の身体文化であるが、その過程で、科学技術の恩恵を受けながらさまざまな変貌を遂げてきた。トラック環境一つ取り上げてもその変化には驚かされるものがあり、科学技術による外的環境の改変が、スポーツ・パフォーマンスを向上させてきたことは事実である。このようなスポーツの高度化の過程において、外的環境の改変とともに注目に値するのは、スポーツをする人間の身体に向けられた改変への志向、すなわちドーピングの問題である。 ドーピング問題に対する倫理・哲学的研究の中では、ドーピングを禁止する直接的な根拠は見当たらないという議論も展開されてきた。ドーピング禁止理由の一つの論点に「身体の自然性」という視点があるが、しかし、この自然な身体こそが競技スポーツ界で
本稿の目的は、森林の過少利用を改善するための取り組みが、どのような諸条件の下で実践されうるのかを考察することである。過少利用問題の改善策としては、これまで生業や経済的な観点が重視されてきたが、本稿では「コモンズ」の観点から、新たな改善策を検討し、森林の過少利用問題が改善されうる諸条件を明らかにする。事例として取り上げるのは、秋田県能代市二ツ井町梅内地区で活動する任意団体「二ツ井宝の森林(やま)プロジェクト」である。 考察の結果、本事例においては、①まず、共有林や私有林において、入会慣行や総有に基づいた独自の森林整備が展開されており、②そこでは、必ずしも経済的に生活を成り立たせるわけではない活動にマイナーサブシステンスとしての意義が見出されていること、③また、地区における先人たちの功績としての植林の歴史が想起されることが、活動をまとめる契機となっており、そのことが森林の過少利用問題が改善され
本稿では、農協婦人部の機関誌的存在である雑誌『家の光』を通し、第一次ベビーブームの親世代に着目して、高度経済成長期の農村社会における学歴アスピレーションの高まりについて考察する。一九五〇年代からの生活改善運動の展開と、一九六〇年代のテレビ普及を背景に、家族計画を一つの契機として教育への関心が高められ、その関心は子どもの成長と共に学歴取得へと向けられる。兼業化の加速による農外収入の増加と、テレビ普及による近代家族的価値観の浸透によって、工業製品の普及だけでなく、高卒という学歴も都市と同様に取得され、農村の都市化が進展する。これにより、消費財という「モノ」だけでなく、学歴という「経歴」も一般化していく。それは、都市と農村が共有しうる、「人並み」という生活水準意識の一端が形成されていく過程でもある。
本稿では、三陸沿岸の漁業集落に生きる婦人会の女性たちが、能動的かつ活発な活動を続けるのはなぜか、ライフコース研究をもとに明らかにする。婦人会の女性たちには、共通点がある。それは、震災時の年齢が主に六〇歳代で、夫が遠洋漁船の乗組員や漁業関連の労働に従事し、不慮の事故で犠牲になった人が少なくないこと、生家や親戚が漁家、などである。そこで彼女たちが誕生した一九四〇年以降を出発点に彼女たちの人生についてみていくと、遠洋漁業が発展していく一九六五年以降に、結婚、出産、子育てなどの人生のタイミングと重なっていた。また彼女たちの人生、とりわけ就労に関し、夫の職業に規定されていた。例えば、夫が遠洋漁業に従事している場合、海難事故などのリスクに備え、妻は、収入が確実に得られる労働に従事していた。夫が養殖漁業や船主など自営型の漁業に従事しているケースでは、妻が漁獲物の取引に直接関与し、経済的才覚が鍛えられてい
浜/地域で生きることについて、宮城県雄勝町A浜での暮らしのなりたちとその変化から考えた。漁場は豊かながら港に恵まれなかったA浜では、磯での小漁からの漁獲物の加工・行商と、船員になることが主要な現金稼得手段となった。その傍ら食料確保のための農業生産も活発で、塩害に強い作物の模索から特産品もうまれた。山からは薪、建材、船材が利用され生業は複合的であった。浜での暮らしの生命線である磯の管理と船出し、飲料水と薪の確保は地域で協同されたが、それ以外は近い親戚内での個人的な協力に依っており、またそれは地域での発言権を高めるためにも利用されてきた。協同の必要性は徐々に薄れ地域の主な機能は磯の管理と祭礼に縮小しているが、磯資源は地域福祉の源泉でもあり続け、協同性と個人主義のせめぎ合いの積み重ねから震災時には目を見張る協働が実現された。進行する漁業離れは目前の豊かな磯の恵みを享受する機会を減じており、地区離
本稿では、二〇一五年に実施された「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」の日本調査データを用いて、小学四年生の子どもをもつ母親の教育期待の規定要因について検討した。その際、教育期待形成における「準拠集団」としての学校の影響に注目し、学校平均学力と学校SEC(保護者の大卒割合)の効果を検証した。母親の教育期待(子どもに大学進学を期待しているかどうか)を従属変数とするマルチレベル分析の結果として、子どもの学力が高いほど母親は大学進学を期待しやすいこと、母親は子どもが女子の場合よりも男子の場合に大学進学を期待しやすいこと、母親または父親の学歴や職業的地位が高いほど母親は子どもに大学進学を期待しやすいことが確認された。また、母親の教育期待に対する学校平均学力の効果については明確な結果が得られなかったものの、学校SECの効果に関しては、子どもが女子の場合には学校単位でみた母親の大卒割合が、子ども
本稿の目的は、女性の労働市場への参加と家事役割の双方が強調される現代マレーシアにおいて、マレー系女性がいかにその「二重の役割」と向き合っているのかを明らかにすることにある。そのため、近代化とイスラーム化の強い影響下にある「新中産階級」に該当する大学教員を対象とし、労働と家事をめぐる意識の分析をおこなった。その結果、以下の点が明らかとなった。彼女たちは高等教育の重要性を強調するが、それは労働市場への参加だけでなく、子どもの教育や家族の運営といった家庭内での女性役割と結びつけられていた。また、家族をユニットとしてとらえることで、性別役割の強調だけでなく、その柔軟な運用をも可能にしていた。加えて、均衡の原則に基づく配偶者選択、教育を通じた夫との対等なコミュニケーション、時間的フレキシビリティをもつ職業選択は、イスラームの価値や家事役割を放棄することなく、労働市場への参加を実現する戦略として理解す
本稿では、社会運動と民主主義との関係を論じている。主に民主主義の研究者の議論に焦点を絞り、彼らが社会運動の役割をどう見ていたのかを明らかにしていく。 一節では、民主化研究の古典を検討しながら、その中で社会運動という行為者の民主化に果たす役割が重視されていなかったことを論じる。二節では、政治学と社会学の分業化の中で、民主主義研究と社会運動研究の分離が生じたことに触れた後、一九九〇年代以降、モダニティの構造変容とそれに伴う政治の再定義の状況の中、二つの研究領域の再統合が進んでいることを見ていく。 三、四節では、一九九〇年代以降の民主主義論者の中でもっとも意識的に社会運動を位置づけてきた一人であるアイリス・マリオン・ヤングのテキストを取り上げる。彼女は、社会運動が公式の政治制度の外側に政治参加の場を提供すると同時に、その場において政治的コミュニケーションの手段を多様化して熟議的な民主主義の実現に
構造論的アプローチと行為論的アプローチは、ともに社会運動現象の解明に利用される接近方法である。これらのアプローチは、社会的構築物からの視点と個人や活動家の視点として分類され、現在まで、対局にあるものとして議論されてきた。またそれゆえに二つのアプローチの「統合」の可能性についても、しばしば議論がなされてきている。本稿では、この二つのアプローチを繋ぐ方法として「融合」を提案する。そして、融合がなされうる研究方法として、社会ネットワーク論からの接近と集合的記憶概念を用いた接近の二つを提案する。
社会運動は何かを「変える」存在であった。だが社会学における社会運動論は、「なぜ運動は起きたのか」に比べ、「何を変えるのか」については十分な関心を寄せてこなかった。構造への接続を念頭に置きながら、社会運動の「効果」という論点を深めようとする場合、次の三つのアプローチの可能性がある。第一に、社会的争点の構造的布置とその変容を映し出すものとしての社会運動、第二に、マクロ-メゾ-ミクロを接合させるエージェントとしての社会運動、第三に、時間を超える構造化された効果としての社会運動である。本論が確認したことは、社会運動は、個人や親密圏のような「ローカルな局域」の水準にまず基礎づけられることで、むしろ、時間的幅をもつ構造的効果を有することができるという点であった。社会運動は、再帰的なローカルナレッジの担い手として、主体と構造の間を連接していく。
本稿では、長年にわたり展開されてきた住民運動、なかでも名古屋新幹線公害問題をめぐる住民運動を事例として取り上げ、運動を続けざるを得ない現状を検証し、運動の終息に向けた課題を検討する。名古屋新幹線公害問題では、国鉄(当時)との和解成立(一九八六年)から三十年以上を経た現在も、原告団・弁護団が活動を続けている。こうした住民運動の長期化によってもたらされたのは、運動の負担が、原告団のなかでもいまだ運動に従事し続ける少数のコアメンバーに集中するという事態である。JR側の担当者が数年で入れ替わるのに対して、原告団側は、その数が減りはしても、増えることも新しいメンバーと入れ替わることもない。原告団とJRとのあいだには、部分的な信頼関係ができつつあるものの、原告団にとってJRはいまだに、「何しよるかわからん」相手でもあり、住民運動をやめるわけにはいかない。この長期化した住民運動の幕引きには、行政による積
本稿の目的は、世界的な社会運動の時代としての〝一九六八〟をめぐる議論のなかで運動の脱政治化が起きていることを指摘し、脱政治化を回避しうる社会運動論の方向性を探究することにある。日本の〝一九六八〟にかんする議論では、新しい社会運動論が硬直的な社会運動史観として定着したことによる運動の政治的次元の縮減と、マクロな社会構造から個別の社会運動を論じるという、新しい社会運動論の性格に由来する運動の脱政治化が生じていた。そこで本稿では、〝一九六八〟の社会運動を脱政治化させずに、社会運動が敵手とのあいだにつくりだす敵対性と、そうした敵対性を創出する運動参加者の主体性を十分に描き出すひとつの方法論として、生活史聞き取りを提示する。具体的には、生活史聞き取りにもとづく〝一九六八〟分析の一例として、一九六八〜一九六九年東大闘争の分析を示す。東大闘争では、一九六〇年代の社会運動セクターの変動を受け、望ましい学生
一九六八年と二〇一八年の五〇年間の社会運動の変化と連続性をどのように捉えるべきだろうか。韓国と台湾の場合には、独裁体制から民主化運動へ、複数回の政権交代へ、近年の脱原発政策への転換の動きなど、きわめてダイナミックな変化が見られる。アメリカ・フランス・ドイツなどでも、一九六八年前後の学生運動は、その後の政治のあり様に大きな政治的影響力を持っている。 しかし日本の場合には、社会変革的な目標達成を志向するタイプの運動は、政治的機会構造の閉鎖性や社会運動の資源動員力の〈弱さ〉、フレーミングの難しさなどに規定されて、政治的目標達成に成功しえた事例に乏しい。政権交代も少なく、しかも政権交代にあたって社会運動のはたした役割は非常に小さい。社会運動出身者の政治リーダーも乏しい。 日本の社会運動研究は、このような現実を直視し、いかに克服すべきかを社会学的に提示していく必要がある。
本稿では、原発被災地で農業をやめた人びとが、農地に対して継続的に働きかけ、農地の外観を保とうとする理由を明らかにする。本稿が対象とした集落の農家は、原発事故の影響により、農業から離脱せざるをえなくなった。その上、人びとは再開の意志すらもっていない。けれども、生産活動をしないと決めた農地でも、農家は農地を荒らさないようにと、その手入れを続けている。その背景には、農地を荒らすことなく、互いに認め合うことで、集落の農家たちと同じ立場に居続けたいとする考えがあった。以上から、農地の手入れを続けその外観を保つことは、事故前の社会関係を取り戻す行為になっていると考えられる。集落内における社会関係という視点から考えた場合、人びとが事故前の生活を取り戻す上で、農地の外観を保つことは重要な要素であることが、本稿では明らかになった。
本論文ではマルクーゼの「労働と遊び」論における一九三〇年代初頭の議論と一九五〇年代の議論を再検討する。前者については、必需品を生産する領域の彼方にある自由の領域において、歴史的な現存在である人間をつくりあげる「行為としての労働」にとっては、他者や対象への予測が必要となり、その予測を可能とするのは現存在の存在論的な場であることを明確にする。この場を確保するための条件として、労働と労働のあいまに位置する「遊び」が必要となるのである。マルクーゼは三〇年代の問題構成を五〇年代に洗練させる。特に本稿では精神分析家ヘンドリックが主張する、効率的な仕事が快楽をもたらすとする議論へのマルクーゼの反論を取り上げる。この過程でマルクーゼが遊びこそが疎外された労働や産業社会における生産性信仰を克服する方途であるとみなしていたことを示す。市民社会における業績原理は生産性という桎梏にとらわれており、それゆえに必然的
本稿では、近年保健行政で用いられる「ソーシャルキャピタル」に注目し、被災地における行政と専門職らの協働におけるソーシャルキャピタルの内実について、コミュニティカフェの事例から検討する。岩手県陸前高田市は、行政レベルで、外部支援者の保健師と医師の協力のもと、「ソーシャルキャピタル」を明確に意識した取り組みを行っている。震災後の社会状況や文脈において、その理念に適合的なかたちでコミュニティカフェが、市内の医療専門職らにより運営されるようになった。その運営の基盤には結合型のソーシャルキャピタルというよりも、職業やPTAといった橋渡し型のソーシャルキャピタルが活かされていた。コミュニティカフェの利用者らもその利用を通して健康増進に必要な様々な資源にアクセスしていることが分かった。被災という文脈において、行政と地域の医療専門職らが偶然にも協働しあう基盤が構築された一つの事例として位置づけられるととも
本論は、ジェフリー・アレクサンダーの一連のアメリカ大統領論を手がかりとして、アメリカにおけるユニバーサリズムの理論的・実質的意義を探ろうとするものである。アレクサンダーは「アメリカン・ユニバーサリズム」の信奉者であり、師のタルコット・パーソンズと同様、ユニバーサリズムのさらなる普遍化(一般化)に志向するという点において、「機能主義的伝統」の正統な継承者である。ユニバーサリズムの対極にあるパティキュラリズムは、ユニバーサリスティック・パティキュラリズムである限りにおいて正当化されるものであり、一九六〇年代以降のアメリカにおける公民権運動に代表される「新しい社会運動」はユニバーサリスティック・パティキュラリズムの典型として論じられている。機能主義的伝統において、このアメリカン・ユニバーサリズムを最もよく体現している人こそ、アメリカの大統領であると論じられる。 まず、アレクサンダーの「大統領の社
英国のEU離脱、トランプ政権の誕生などの動きに対して、それを非合理な反動と見るリベラル左派から、盛んに批判が行われている。しかし本稿は、これらの動きが合理的であると論じていく。そのために本稿は、ロバート・ダールの晩年の論考を手がかりにする。それは、移民の増加と、国際組織の影響力増大、国民国家の弱体化に関するものである。 ダールによれば、①移民は民主制にとって厄介な問題を引き起こすため、移民を無制限に受容すべきでない。②国際組織は非民主的であり、民主化する見込みもない。③国民国家が近い将来消滅することはなく、国民国家の民主制が機能するためには、ナショナリズムが欠かせない。 こうした議論からすれば、近年の「極右」台頭は、当然の帰結であり何ら驚くべきことではない。それをもたらしたのは新自由主義者とリベラルの連合である。かつてのポランニや近年のトッドが、ダールと同じ方向で議論を展開している。
本稿はプラグマティズムの政治思想における二つの流れ――民主主義論とアナキズム論――の検討を通じて、今日の民主主義論に対する貢献可能性について考察する。 プラグマティズムにはR・W・エマソン、J・デューイ、R・ローティらによる民主主義論の伝統がある。かれらは、公衆間での協働と対話の文化、そして科学的な態度と文化の涵養を重視している。他方で、H・D・ソローや鶴見俊輔によるアナキズム論の系譜は、法に抵触することであっても自らの私的な信念に基づく正しい行為が、他者との協働的な社会運動への呼び水となることを論じる。そしてこの二つの流れを架橋し、プラグマティズムの政治思想を深める可能性を持つのが、C・ウェストによる「預言的プラグマティズム」である。 今日の政治状況は「反省か、抵抗か」「上か下か」といった選択が強いられているが、私的なものに依拠した下からの抵抗可能性を、プラグマティズムのアナキズム論は持
「ポスト真実」、特に「トランプ現象」を受けて、本稿は、ホーフスタッターの「反知性主義」論に依拠して、アメリカン・デモクラシーおよび民主主義の課題とゆくえを展望する。「トランプ現象」をめぐっては多くの議論や解釈がなされており、「ポピュリズム」、「グローバリズム/反グローバリズム」などの文脈で論じられることが多いように思われる。筆者は、「トランプ現象」を理解するために、ホーフスタッターが『アメリカの反知性主義』において展開した議論が有効であると考えている。本稿では、ホーフスタッターが「ニューヨーク知識人」の一員であったことから、ニューヨーク知識人としての側面にも着目しつつ、反知性主義についての彼の考察を通じて、「ポスト真実と民主主義のゆくえ」を展望したい。 本稿の議論は以下のように進める。第一節では、ホーフスタッターが属していたニューヨーク知識社会について概観し、ホーフスタッターの反知性主義論
ポピュリズムや反エリート主義、既成のマスメディアへの反感、反グローバリズムなどと結びついて反知性主義が猛威を奮っている。「ポスト真実」の時代の民主主義の危機は、日米英などにとどまらない、現代の先進産業社会に共通する根深い構造的な問題である。リベラリズムと普遍主義的な志向の退潮とともに、民主主義の危機は一層深刻度を増している。グローバル化する経済のもとでの格差の拡大とSNSなどの発達が、価値パターンの分断と亀裂をいよいよ深刻化させている。各個人向けにパーソナル化されたフィルターバブルによって、インターネットは、対話のメディアから、「意見の異なる他者を排除するための装置」に変質している。「ポスト真実」は一過的な徒花ではない。その意味で、パーソンズによる「ホッブズ的秩序問題」の二一世紀的な意義が再評価されるべきである。 本稿は、特集の清水・上田・寺田・鈴木論文に対するコメントである。
本稿の目的は、若年期における親への経済的援助に対する出身階層の影響について明らかにすることである。近年、親に対する経済的援助を行う者が増加しており、二〇代や三〇代の比較的若い層においても、四〇代以上の中年層と同程度に親への経済的援助を行っている。近年の若年非正規雇用の拡大などをふまえると、自身の人生の基盤を確立する時期である若年期に、親を経済的に支援しなければならないことの負担はより一層大きくなっていると考えられる。そこで本稿では、先行研究では十分に検証されてこなかった出身階層の影響に着目し、「全国家族調査(NFRJ)」のデータを用いて、若年期の親への経済的援助について分析を行った。その結果、父親が高学歴である者は、若年期に、親に対して一方的に経済的な援助を行う状態になりにくいことが示された。つまり、生まれ落ちた家庭が高い階層的地位にある場合、本人も高い社会経済的地位を獲得しやすく、親も経
本稿は、症例レベルでの医師の実践、他職種との連携に着目し、医療過疎地域における地域ケアシステムの展開過程と、それを可能にした条件を検討したものである。事例は、宮城県登米市における医師の実践であり、ターミナル期の症例におけるショートステイの活用に注目した。調査から、療養場所の確保が困難な患者への対応に始まり、家族の介護負担の軽減、患者と家族の生活の成り立ちの支援など、多様な事例の経験の積み重ねを通じてショートステイの活用の幅が拡がり、医療過疎地域におけるターミナル期の療養の場のひとつに位置づけられるまでの過程が明らかになった。そこには医師が患者と家族の生活の質(QOL)にこだわりつつ、地元で在宅の看取りを可能にする条件を模索する試みがあった。その模索のなかで、事例が内包した困難があえて引き受けられ、これが契機となり、制度のブリコラージュ的な活用がなされた。これにより、制度の柔軟かつ当地域での
本稿は、農協婦人部の機関誌的存在であった雑誌『家の光』を通して、農村での家事テクノロジーシステムの成立について考察する。家事テクノロジーシステムとは、工業製品で構成された家事労働のための道具集団を意味する。水道普及率の低さから農村に残存した「水汲み」という家事労働では、戦前からの農事電化を背景に普及した配電システムを前提に、一九五〇年代中頃から導入された電動ポンプが、新たな給水システムを成立させる。この成立を前提に一九六〇年代初めから普及が加速する洗濯機の導入により、新たな洗濯システムが成立する。既存のシステムを前提とした「モノ」の導入が新たなシステムを成立させることで、次の「モノ」の導入を促す。このシステム成立の連鎖により「モノ」が普及していく。規格化された工業製品が、都市と同様に農村にも普及することで、双方の生活者の中に「世間の標準」という共通の生活意識が形成される。それは、都市と農村
作物遺伝資源をめぐるイシューは、世界的に取り上げられるようになって久しい。しかも、このイシューは知的財産権や新品種の育成者権、「農業者の権利」をはじめ、先住民族の権利や、全ての人間が持つとされる「食への権利」といった多様な権利を含みこみつつ、議論が展開されてきた。特に戦後の国際社会では、グローバル化の進展に伴い、知的財産や環境分野など国を超えたルール化の必要に迫られてきた経緯があり、作物遺伝資源についても各領域相互の調整が要請されてきた。果たして、複雑さを増し続けるこの現代的イシューには、何が進行しているのだろうか。 本稿では、こうした問題意識から、現状をより包括的に捉える視角として、国際政治学等において議論されてきた「レジーム・コンプレックス」概念を手がかりに、作物遺伝資源の取り扱いに関わる国際的な諸制度の変遷をまず整理した。その際には先行研究で示された四つの基本レジームに則りながら、知
日本の有機農業運動研究は、生産者と消費者による取引と信頼の規範を明らかにすることをつうじて、有機農業が農法の変更であるのみならずライフスタイルに対する挑戦であったことをあきらかにしてきた。オルタナティブ・フード・ネットワークス研究も同様の問題関心をもち、Community Supported Agriculture(CSA)や農産物直売所、地産地消などの取り組み事例をもとに、食の工業化の問題点を浮き彫りにしてきた。しかし、これらの研究では野菜や穀物を中心とし、生産者と消費者が直接にかかわりあう実践のみに注目が集中してきた面がある。だが、生産者から消費者に直接取引される経路は部分的であり、野菜や穀物などを生鮮品として消費する機会もまた限定的である。「農と食」にかんする技術や経路の変化をとらえるためには、フード・システムの他の対象に対しても関心を払うべきではないか。 本稿は、岩手県旧山形村の日
在来作物は戦前、全国どの地域でも当たり前に栽培され利用されていたが、戦後、生産性や市場価値の高い商業品種が登場すると、次第に姿を消していった。しかし二〇〇〇年ころを境に、再び全国で在来作物が見直されるようになった。筆者はそのころから、山形県の在来作物に関する調査研究や保全活動を始め、さまざまな業種の人々と関わってきた。本稿では、まず在来作物とは何かについて説明し、近年の山形県では在来作物をめぐるどんな動きがあったのか、人々が在来作物の栽培をやめたり、存続・復活したりする選択にはどのような要因が働いたのか、今後の課題について記述した。在来作物の消失には生産性や経済性を追求する価値観が働いた一方で、完全な消失をくい止めたのは、在来作物の美味しさや他者を喜ばせたいといった想いであることが分かった。さらに消失から復活に向かった背景には、お金に代えられない自然や地域や人とのつながりを重視する価値観が
東北地方太平洋地震および東京電力が起こした福島第一原子力発電所事故は、東北地方の太平洋岸の農山漁村に広大かつ甚大な被害をもたらした。農村社会の縮小という日本社会の転換期に、毀損した生業を復活させ、家の継承や村の生活協同関係を保持していくことは至難の業であるといわざるを得ない。住民に「村おさめ」を強制することなく、そうした生業と生活の体系を取戻していくことは、いかにして可能なのだろうか。本稿はこうした問題意識のもと、福島県沿岸地域の被災農村で、グリーン・ツーリズムを手がかりとして農のある生活を再生させようと奮闘している農村女性たちの活動に焦点を当てインタビュー調査を実施し、考察を行った。 その結果以下のことが明らかとなった。原発事故によって商品としての農村空間が毀損され、農家民宿としての機能が果たせない状況の中で、女性たちは、宿泊先を確保できない「よそ者」たちに対して、宿としての原初的なサー
本稿の目的は、災害時の応急対策期におけるニーズ把握の実践を主とした被災者支援の経験が、保健師と地域社会や地域住民との関わり方の再評価に対して、どのような影響を与えているのかを、退職保健師の活動事例から検討することである。岩手県大槌町では、退職保健師が住民のニーズ把握のため、ボランティアでの災害対応を行った。これは異例であり退職保健師が行政の後ろ盾のないまま活動するのは困難である。 徳島県では退職保健師を県が組織化し「プラチナ保健師」制度を設立した。この制度は、東日本大震災の際に宮城県に派遣された経験をふまえて、地域のことをよく知っている現職の保健師が統括的な立場にいる必要があり、退職保健師は現職の保健師が活動しやすいように後方支援的な立場を担うと良いのではないかという考えのもと設立された。ここで再評価されているのは地区担当制と呼ばれる保健師の活動体制である。現況では保健師の活動体制は実質的
耐久消費財の所有状況によって、階層帰属意識を説明しようとする試みが従前よりなされてきたが、その説明力は低いことが指摘されていた。このような説明力の低さは、耐久消費財の経済的価値の側面に着目する従来の分析では、多元的な要因によって評価されるようになった帰属階層を、十分に捉えられなくなったことに起因すると推察される。そこで本研究では、耐久消費財の所有を尋ねた項目へ、情報を縮約することを目的とした複数の多変量解析を適用して異なる側面についての情報を抽出し、それらのうち階層帰属意識を説明するのに有効なのは、どのようなものか検証を行った。また、SSM95とSSP2015という異なる時点で実施された二つの社会調査を用いて、分析結果の時点間比較も行い、階層帰属意識の規定因に時代的な変化が生じたのかについても検討した。
本稿の目的は、個人レベルの失業と地域レベルの失業率の効果を理論的・実証的に区別した上で、両者が投票参加にそれぞれどのような影響を与えるのか、検討することである。失業と政治参加の関係については、欧米諸国における政治社会学の古典的な問題関心であると同時に、二〇〇〇年代後半に生じた世界規模の景気後退以後、再び注目を集め実証研究が蓄積されている。このような問題関心は、政治参加の平等性に関するものとして理解できるが、従来日本は政治参加の不平等が少ない国として認識されてきたこともあって、十分に検討されてこなかった。欧米諸国を対象とした近年の投票参加の実証研究によると、個人レベルの失業と地域レベルの失業率の効果は、それぞれ異なることが示唆されているため、両者を区別した上で議論・分析を行う。 第一回SSP調査から得られたデータに対してマルチレベル順序ロジスティック回帰分析を行った結果、次の二点が明らかにな
本稿の目的は、先行研究とは異なるアプローチで不公平感を分析することをつうじて、「階層意識としての不公平感」の特質を再検討することである。不公平感についての先行研究では不公平感と階層的地位の関連が弱いという経験的知見がたびたび見出された結果、不公平感は「空論上の階層意識」として次第に注目を集めなくなっていったのだが、本稿はこれを不公平感そのものの特質というよりは先行研究のアプローチの問題だと考える。先行研究は不公平感を生み出す意識の構造を単純化してモデル化し、人々の抱く不公平感も同質的なものと想定したのに対し、本稿は(ⅰ)全般的不公平感・領域別不公平感・公平判断基準・社会の仕組みの認知という意識変数の内的構造と(ⅱ)その異質性を明らかにすることをつうじて、不公平感という意識がどのようなものなのかを解明しつつ、(ⅲ)不公平感の構造と階層的地位がどのように関連しているのかを検討することをつうじて
本研究の目的は、現代日本における地位不安、すなわち社会経済的地位についての不安の特徴を計量的に明らかにすることである。地位不安は、不平等が人びとの健康や問題行動に影響する際の媒介変数として社会疫学で近年注目されており、社会学的な応用の価値が高いと考えられる。しかし、地位不安がどのような性質を有しているかについて、日本での実証研究の蓄積は乏しい。本稿では一九九五年と二〇一五年に実施された全国規模の社会調査データを用いて地位不安(地位競争不安、地位喪失不安、現状維持指向)と社会経済的地位の関係を分析した。分析の結果、(一)地位不安の分布は二十年間で大きく変化していない、(二)地位不安と社会経済的地位の関連は総じて弱い、(三)地位不安と社会経済的地位の関連も二十年間で大きく変化していない、の三点が明らかになった。これらの結果は、二〇〇〇年代後半以降の格差・不平等問題への社会的関心の高まりを考える
本稿の目的は、仙台市郊外A市の高齢者向け介護予防事業であるaサロン活動の支援者である地域サポーターへのインタビューを通して、地域サポーターがaサロン外における社会的役割や経験との関係性のなかで、どのようにサロン運営やサポート実践を行っているのかをアーヴィング・ゴフマンの相互行為儀礼論の視点から描き出すことである。 本稿では、aサロンのメンバーに対する地域サポーターの配慮や地域サポーター間の配慮のルールを相互行為儀礼と捉え、特徴の異なるX、Y、Zの三地区のaサロンについて分析を行った。X地区では、メンバー間の平等性と地域サポーター間の平等性が相互行為儀礼を通じて二重に維持されていた。Y地区では、地域サポーター自身が高齢化傾向にあるなかで地域サポーターの将来的な居場所づくりとして活動が捉え直されており、相互行為儀礼はさほど強く意識されていなかった。Z地区では、地域サポーターの個人的資源を活用し
本稿は、震災からの復興まちづくりに住民が主体的に関与していく原動力の獲得には、地域資源を媒介とした集合的記憶と集合的アイデンティティの再構築が大きな意義をもつことを明らかにした。 東日本大震災の津波被災地では、防潮堤の高さを巡る問題が復興まちづくりの基本的争点となった。このうち、岩手県大槌町赤浜地区は、県が提示した巨大防潮堤の高さではなく、震災前と同じ六・四メートルの高さを選択した。岩手県で震災前と同じ高さの防潮堤を選択した地域は、一三四ヵ所中二〇ヵ所にとどまる。なぜ赤浜地区は、防潮堤の高さについて震災前と同じ高さを選択したのか。赤浜地区の場合は、住民側の内在的要因として地域から見える蓬莱島の存在が大きく影響していた。 津波被災地には、「おらほのもの」という言葉で表現される海にまつわるシンボル性をもつ地域資源が存在する地域がある。赤浜地区では、日常的生活実践を積み重ねながら生み出してきた蓬
本稿は、日本人ムスリム女性のライフストーリーの聞き取りを通じて、彼女たちがどのように日本社会においてムスリムであることを実践し、アイデンティティや社会関係と関わる潜在的コンフリクトを回避しているのかという点を明らかにすることで、「日々生きられる宗教」としてのイスラームのあり方を描くことを目的としている。分析の結果、彼女たちは、与えられた制約のなかで所与の資源・情報・関係を駆使しながら、「日本人-ムスリム-女性」を日々実践していることが明らかとなった。その姿は、「スカーフ」に表象/矮小化される日本人ムスリム女性のイメージとは程遠く、また「イスラーム」と冠される概念の外延の柔軟さと奥行きを示すものとなっている。
山村が激しい過疎高齢化の波に襲われて久しい。山村に居住する高齢者たちの多くは、慣れ親しんだ近隣関係や自然環境のゆえに、長年住み慣れた地を離れない。こうした高齢者たちの生活は、他出子から種々の援助を受けて維持されてきた。さらに、他出子が高齢者に代わって集落の共同作業に出役することで、集落も維持されてきた。やがて集落に居住する高齢者たちが死亡や施設入所で欠けていくと、それも困難になる。事例とする集落では過疎高齢化が著しく、もはや居住者だけでは集落を維持することが困難である。しかし、中山間地域等直接支払制度の交付金を受け、この交付金を利用して他出子が自家の農地を維持し、集落の共同作業に参加するよううながす仕組みをつくる。また空き家となった実家家屋を維持管理するよう方向づける。このように外部の補助金、他出子の労力、さらには行政の支援といった、集落にとっての外部資源を積極的に導入することで、集落維持
現代農村では担い手の問題が重要になっている。本稿では、農業者の主体的な起動力となる行動理念のあり方を模索することによって、現代農村の困難な状況を突破する糸口を見出そうとする。 これまでの農本主義論を再検討して、農業者の日常意識である農本意識の契機として、自然との融和、勤労の重視、家族中心、地域的協同を抽出した。農本意識を体系化させ固定化したイデオロギーである農本主義においては、この諸契機が、自然没入主義、勤労至上主義、家父長主義、「共同体」主義、へと変質させられる。この実例として現代の農本主義者をとりあげて検討した。 農業者の生産と生活に妥当しつつ体系化されて不断に再構成される農本思想は、自然、勤労、家族、協同、という諸契機から構成される。この農本思想が農業者の行動理念として機能することが、現代農村の家族経営と村落社会の立て直しにとって重要である。
本稿では、山形県酒田市北平田地区における農事組合法人「ファーム北平田」設立までの経緯を明らかにするとともに、同法人の事業内容を明らかにすることで、「集落営農」が東北地方における農業の担い手のあり方のひとつとしての重要性が高まってきていることを明らかにする。同法人の設立の契機には、「品目横断的経営所得安定対策」への対応があったのであるが、同時に、庄内地域においても、近年の米価下落や後継者不足などに対応するために、農業の担い手自らが「地域農業」について考えざるを得ないという状況にあったことが影響している。具体的には、認定農業者などの大中規模層が多く参加する場合の個別経営への配慮から「枝番管理方式」が採用され、他方では、「経営所得安定対策」の提示から実施までの期間が短かったために、体制を充分に整えるところまではいっていないが、いずれにせよ、事例で検討した「集落営農」の形態が必然的に選択されてきて
本稿は、Iターン就農者が農業面・生活面で重要な位置を占めるようになった集落のここ数年の現状と展望を、営農=生活志向および部落総会での議事から考察したものである。その結果、以前の調査時点(二〇〇七-八年)よりも、営農継承に対する危機感が強まり、ちょうど二〇一六年末に組織された集落営農法人と相俟って、集落営農への意向が強まりつつある。また、非農家を含めた営農=生活志向を概観するとき、将来世代にわたっての集落への定着志向が弱くなっており、代替わり時などでの離村も増え、いわゆる「限界集落」にすすむ可能性もある。また、伝統的な集落の祭礼の開催を減らす動議や、組編成を効率化する議案が総会で出され、その賛否に関して紛糾するなど、生活面で〝合理化〟の傾向がうかがえる。こうしたなかで、集落存続と行事の活性化を志向するリーダーたちは、Iターン者、非農家をも巻き込んでの活性化を試みている。ただしそれは、Iターン
本稿は北イタリア発祥の「スローフード運動」がいかに日本で受け容れられ、独自の展開を遂げているかを山形県の事例から明らかにする。スローフード運動は、希少作物や生産者の保護、味覚教育などを標榜し、世界各国で展開されている。日本でも地域毎に活動がおこなわれており、地元固有の食材の保存や調理法の見直しが企図されている。 スローフード運動を記述し、分析するために、本稿では「ライフスタイル運動」の観点を導入する。社会運動は一過性の非日常的な政治的闘争でありながら、一方で日々のライフスタイルの選択の積み重ねと連続していることがライフスタイル運動の観点から指摘でき、先行研究ではスローフード運動も考察の対象となっている。 本稿が事例とする山形県では、生産者のみならず、製造者や料理人、行政、映画監督などが結びつくことでスローフード運動が展開されている。特に、地域固有の「在来作物」を発掘し、それらを活かす料理人
本稿では、高度経済成長期における農家の嫁の意識変化を、JAの家庭総合誌『家の光』から考察する。高度経済成長期には、営農の機械化・施設化による営農経費の増大と都市化による生活費の増大が、農村の消費社会化を進行させ、これにより兼業化が加速する。夫の兼業により、営農の中心的役割を嫁が担うことで営農での地位改善がなされ、農協婦人部と結びついた生活改善運動の展開を背景に、営農での地位改善は家庭生活での地位改善へと連動する。結果として、消費と教育への関心を高める。これは、嫁の意識が近代家族的価値観へと変化した表れである。テレビ普及というメディア環境の変化が、この意識変化を加速させ、テレビが示す「人並み」のモデルを追い求めることで、農村の平準化が進行する。そして、この変化を促す要因の一つが、農村に存在した旧来の気質である。農村の社会的弱者であった嫁の地位改善とそれに伴う意識変化は、近代化の浸透が農村の家
本稿の目的は、アーヴィング・ゴフマン独自の「状況の定義」論として展開されている『フレーム分析』の分析枠組を対面的相互行為とメディアを介したコミュニケーション(以下、CMC)の両者を統合的に分析する枠組として捉え直した上で、その枠組をソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下、SNS)上の相互行為実践に適用し、ゴフマンの分析枠組の意義を明らかにすることである。 まず、二、三節では、『フレーム分析』の理論的資源を成すジェームズの下位宇宙論やシュッツの多元的現実論に対するゴフマンの評価を検討することで、『フレーム分析』の意義を明らかにした。四節では、「状況の定義」の獲得や移行、メディアの効果に関するゴフマンの枠組を検討した。五節では、SNS上の相互行為実践を題材に対面的相互行為とCMCを往還するかたちで獲得、展開される「状況の定義」について記述、分析した。 本稿で明らかにした『フレーム分析』の
アルコール問題の医療化論によれば、かつて「悪徳」と見なされたアルコール問題は、一九三〇、四〇年代以降ジェリネックらの活躍により「コントロール喪失」の「病」として本格的な治療対象となったといわれる。もっとも従来の医療化論では、飲酒者本人に関する医療言説に比して、アルコホリックの家族を巡る医療言説は看過されがちであった。一九三〇年代以降の初期の家族病因論的言説(「パーソナリティ不全説」)を含む当時の精神分析学的なアルコホリズム論に注目し、この医療言説出現の意義について歴史的に考察する試みは不足していた。 本稿で論じるように、かつて一九世紀に禁酒運動家から「純粋無垢」と語られた女性は、二〇世紀に精神分析学の登場とともに不純な欲求主体と見なされるようになった。また男性アルコホリックの「コントロール喪失」状態は、精神分析家からは「女々しい」状態として解釈され、こうした男性の女性化が女性側の逸脱に起因
医療者や医療資源の不足は特別養護老人ホーム(特養)の看取りの阻害要因になりうるが、そうした地域の特養でも、医師や看護師の確保に苦労しつつも、看取りまで手がけるところがある。本稿ではそうした事例である、宮城県登米市の二か所の特養を調査し、医療過疎地域の特養の看取りを可能にする条件を検討した。初めて看取りに取り組んだ事例からは、嘱託医の理解の重要性と、特養側が懐く看取りの不安の克服の過程が明らかとなった。看取りのケアを軌道に乗せた事例からは、それを可能にしたいくつかの条件が見えてきた。すなわち、特養の位置する地域の特性(在宅医療の担い手との連携、地縁血縁の相対的な強さ、地域内で得られた特養と診療所の連携への信頼、地域の文化など)が活かされていること、同時に、医療が支配的にならない地域連携や多職種連携がなされ、職種間での協力と補完が密になるなかで、チームケアが成熟したという点である。
二〇一三年に国立社会保障・人口問題研究所が実施した第五回全国家庭動向調査のデータを用いて、夫婦それぞれの両親に対する生活面でのサポートの多様性と、どちらの親をより中心的にサポートしているかという世代間関係における非対称性がどのような要因によって規定されているのかを検証した。分析の結果から、子から親へのサポートは親側のニーズ要因と居住距離要因、そして親から多様なサポートを受けたケースほど親に対して多様なサポートを提供するという世代間交換要因によって強く規定されていること、またその交換には子世代側の合理的な側面が含まれていることが明らかになった。今日の世代間支援関係においても規範的要素は部分的に残っていることが確認されたが、支援の対象が自身の親か夫の親か、父親か母親かなどによってその規定要因は異なっており、文脈依存的、かつ状況依存的な特徴がより強まっていることが示唆された。
本稿の目的は、実親から成人子へ提供される育児支援(情緒的支援、実践的支援)が、きょうだい間でどのように分配されているのかについて明らかにすることである。二項ロジットマルチレベルモデルを用いた分析では、資源分配メカニズムの解明のために、きょうだいそれぞれの性別やきょうだい人数、出生順位といったきょうだいに関する情報を表した「きょうだい構造」の効果を検証した。分析の結果、情緒的支援、実践的支援の両方で、親からの育児支援は息子よりも娘に対して行われやすいことが明らかになった。きょうだい人数や出生順位と親からの育児支援には関連がみられなかった。この結果は、育児資源の分配がそれぞれの子どもに応じて投資されるという「選択的投資モデル」を支持するものである。親から子どもへの支援が一様に行われるわけではないことを踏まえれば、今後は親からの支援を得られにくい者に対して如何に代替となる支援体制を構築していくか
本研究の目的は、親から子どもへの資源分配に対する出生順位や性別の影響を検証することにある。これまで地位達成研究の文脈では、生得的要因である出生順位や性別によって格差が生じるメカニズムとして、家族内での親から子への不平等な資源分配を指摘するものが多かった。しかしながら、日本においては実証的研究の蓄積が少ない。そこで本研究では、経済的資源として教育投資を、関係的資源として相談の頻度をとりあげ、出生順位や性別によって金額や頻度の差がみられるかどうかを検証した。分析の結果、経済的資源の多寡についても相談の頻度についても、出生順位や性別による違いがみられた。加えて、教育投資の金額については出生順位の影響のあらわれ方が家族ごとに異なること、相談の頻度については性別の影響が家族ごとに異なることが示された。子どもが得ることのできる資源の量は、家族ごとの資源の総量による違いと、個人の生得的属性を反映した親の
健康に対する集団の社会関係資本の効果は、当該集団の「文脈効果」によって生じるのか、それとも「メンバー個人の社会関係資本」によるのか。この問いにこたえるために、本稿では、結束型集団としての大学クラブ・サークルを対象に、集団の構造的・認知的社会関係資本が成員の主観的健康に及ぼす影響について、個人レベルと集団レベルの双方から検討した。 二〇一二年二月~三月にかけて総合大学の学生を対象に実施した調査データを用いて、ロジスティック回帰分析を行った結果、第一に、結束型集団では、集団レベルの構造的社会関係資本のみが主観的健康を促進していた。第二に、結束型集団では、従来健康に対して影響をもつと想定されてきた認知的社会関係資本の文脈効果は、構造的社会関係資本の文脈効果によるものであった。 以上の知見は、先行研究で未検討だった集団の構造的社会関係資本が、主観的健康に対して主要な役割を果たす点を示唆している。た
リスクに関連した社会的行為を理解し考察するさいに、行為者の、例えば母親であるという社会的属性や、女性であるという社会的属性が、個々の事例においてどのように関連しているのかを問うことは、「リスクの社会学」にとっても一つの課題であると考えられる。本稿では、リスクに関連する行為と個人の問題に焦点を当てる。まず本特集のテーマでもある「ウルリッヒ・ベックの社会理論」におけるリスクと知識と個人の問題について考察する。次に個人の社会的属性と、リスクに関連した行為との結びつきという観点を検討するべく、「災害と女性」に関する経験的事例として「女性の視点」という言い方について検討する。まとめとして、リスクをめぐる社会的行為と個人の社会的属性の結びつきという視角に立つことが、リスク問題におけるどのような経験的事実に切り込む可能性があるのかをルーマンの議論もふまえつつ論じたい。
何か否定的な含みを感じさせる「無知」は、これまで長らく研究テーマの中心に据えられてこなかったが、近年社会学でも、「環境」や「科学・技術」などを主題する論考の中に、(リスクや不確実性に加えて)「無知」や「ネガティブな知識」といった概念を軸にするものが増加してきている。本稿では、ベックのリスク社会論が、もともとこの「無知(Nichtwissen, non-knowledge)」を中心的な鍵概念にしていたところに着目し、このような近年の「無知の社会学」の展開に対するベックの貢献を確認し、「戦略的無知」論を展開していくための視点を模索する。まず無知の社会学の近年の広がりを確認したあと(一)、無知概念が多様な内実を有している点を指摘する(二)。ついで、同じ再帰的近代化論とはいっても、ベックとギデンズがいかに異なるかを検討し(三)、ベックによる無知論に立ち入って、「知ることができない」と「知るつもりが
本稿はウルリッヒ・ベックの社会理論の成立背景を明らかにすることを目的とする。 一九八六年にチェルノブイリの原子力発電所の事故があり、同年にベックはリスク社会論を発表した。以降、ベックの研究は学問内在的脈絡ではなく社会変化に応じる「時代診断」として脚光を集めた。 しかしベック自身が主張する通り「時代診断」には学問内在的な「理論的営為」の支えが必要である。そうでなくては「マスメディアの後追い」に陥り論理体系的な発展や継承が見込めない。 ベックの理論を構成する包括的命題は「再帰的近代化」である。「再帰的近代化」はスコット・ラッシュとアンソニー・ギデンズとの共有命題である。ベックは両論者との立論の違いを「非知」の働きから説明している。では「非知」論はいかなる研究系譜に位置付くのか。 二〇〇一年にペーター・ヴェーリングは「非知」の研究が社会学史に「不在」であったと指摘する。しかし一九七〇年代のベック
『危険社会』が出版されて三〇年が経ったいまもなお、ベックが論じた個人化は、雇用と貧困における「自己責任」の問題を分析するツールとして利用する価値をもつ。たとえば、イギリス・ブレア政権がワークフェア政策を導入する際、ブレーンであったアンソニー・ギデンズは〝福祉依存〟の予防が必要であると主張していたが、こうした言説はいま、保守政権による過酷なサンクション政策を正当化し、多くの犠牲者を生み出している。ベックはむしろ、失業において個人的な責任が強調され、それが心理的な方法で解決されるようになることを批判していたのである。福祉受給者が福祉に依存し怠けているという非難については、ワークフェア政策がはじめに導入されたアメリカで、ナンシー・フレイザーが依存を心理学的問題に縮減するものであるとして批判している。これらの問題は、現在、ポストフォーディズム時代における自己啓発やフレキシビリティの必要性を説く言説
本稿では、ポスト・パーソンズ時代に活躍したヨーロッパの社会学者のなかでU・ベックとN・ルーマンを取り上げ、「リスク・機能分化・個人化」に関して二人の理論を比較しながら、その理論的意義と残された課題について検討する。個人化に関しては、現代社会において個人が社会的再生産の単位になったとするベックの個人化論と、社会と個人の相互自律性を説くルーマンのシステム論が親和的であるという一般的な解釈を批判的に吟味し、客観的次元における個人化の進行が主観的次元における「アイデンティティの流動化と集合化」をもたらしている可能性を指摘した。次いで、ベックとルーマンのリスク論のなかで明示的に語られてこなかった論点として、リスク管理を中核に据えようとするガバナンス改革が現代社会のなかで進行していることを説明した。最後に、ベックのサブ政治論とルーマンの分化論に言及しながら、現代社会で進行している変化や改革が機能分化の
本稿は、「見えないスティグマ」を持つ四〇歳代女性関節リウマチ(以下RA)患者の経験における、他者との相互行為の特徴とその変化について整理を行い、RA患者の印象操作を中心とした生活技法獲得のプロセスを明らかにするものである。その際、ゴフマンのスティグマの可視性と不可視性をめぐる理論を参考に、RA患者のアイデンティティ管理の様相を解釈する。 一目で障害があるとわかるような著しい関節の変形や跛行がなく「健康そうに見える」若いRA患者は、スティグマが付与されることと身体への過剰な負担を回避するための戦略として、他者に対してRAの可視性・不可視性を場面に応じてある程度操作できるようになっていく。日々の生活における効果的なまたは非効果的な自己管理の経験は、よりよい疾患管理方法を患者自身に示唆するものであると同時に、RAとともに生きる自己を受容する機会にもなっていた。 慢性疾患患者のもつスティグマは、そ
新規農業参入者の定着過程において障壁とみなされてきた村落は、村落内集団への溶け込み如何によって資源ともなりうるとの指摘がされてきた。しかし、新規参入者が村落に入り込むにつれ、これまで後見人的な存在であった重要人物(村落運営の中心的担い手)らとの関係性に多くの変化が生じ、彼らから「問題」視されるようにもなっている。本稿はその過程を詳細に追うなかから、その「問題」があらわれてきた理由を考え、そこに示唆される現代村落の特性を把握しようとした。 その結果次のことが明らかになった。参入者の経営規模が拡大し相当程度の信頼を獲得すると、ほかの住民と同等に見られるようになる。この段階で村落「規範」への同調がより強く期待されるようになるが、しかし、参入者は以前の役割期待を持って行動していたため、これまであれば問われなかった行動も「問題」視されるように変化していたのである。この村落「規範」とは、一戸前としての
経済連携協定にもとづく外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れが開始され、我が国においてはこれまでに七五四名のインドネシア人介護福祉士候補者を受け入れている。本研究は、そのなかから宮城県の社会福祉法人Xで働く六名の候補者に対する聞き取り調査を実施した。先行研究は「キャリア形成」や「家族に対する経済的支援」という要因に着目しながら候補者の来日動機の分析をおこない、とりわけ「経済的動機」が定住化傾向を強めると指摘している。だが本研究の立場からすれば、候補者たちが日本で働く理由は、たんなるキャリア形成や家族に対する経済的支援という概念では説明できない。日本で働いた経験を帰国後の就業のキャリアアップに直接的に結びつけようとしている候補者はみられず、また、経済的支援といってもそれは母国に残された家族が生活困窮から脱するためのものではないことが明らかになった。候補者たちが来日するにあたってはいくつかの
本研究の目的は、在日外国人の非集住地域である宮城県における、在日外国人住民の社会的ネットワークの類型と、その規定要因を明らかにすることである。在日外国人住民にとって、日本人との、また、同国出身者とのネットワークが、異なる形で物質的、精神的な生活状況に影響することはよく知られている。その一方で、どのような条件のもとでネットワークが形成されるのかについては、十分に検証されていない。本研究では、文化的・社会経済的同質性と接触機会の程度の影響に着目し、外国人住民のネットワークの規定要因を分析する。宮城県の外国籍県民に対する社会調査データの分析の結果、以下のことが明らかになった。第一に、外国籍者のネットワークは、同国出身者を中心とする母国型が全体の七割以上を占め、次いで、日本人を中心とする日本人型の割合が高く、一部に身近な個人とのネットワークではなく公的・民間機関を相談相手とする制度型が存在した。第
東日本大震災のあと、いたるところで国家や民族を含めた社会的カテゴリーが一時中断されるという現象が見られた(災害時ユートピアの一形態)。そこには、外国人と日本人の間の境界を越えた「共生社会」に向けて、ドラスティックな転換が起こり、「想像の共同体」としてのネーションのリアリティが減退した社会が後続する可能性が孕まれていた。しかし、これまでのところ、ヘイトスピーチなどに象徴されるように、特に日韓関係に関する現実は、複数の場面でそうした方向とは正反対の方に向かって進んできたように見える。本稿では、特にコリアンの震災経験を検証することで、こうした「現実」がそれとは別のものになっていたかもしれない可能性を探り、特に在日コリアンを標的とする日本における排外的なナショナリズムを超えるための方策を考察する。 排外ナショナリズムについては、日本国内の格差が背景にあるとする議論がある。また戦後の日本政府による政
本稿では、日本の新規大卒就職において、OBへのアクセスとその効果に格差が存在するのかどうかを検証した。一九八八-二〇〇六年に初職についた大卒者を対象に、代表性のあるJLPSデータを用いて分析を行った。 まず、OBへのアクセスについて検討した。その結果、高ランク大学の社会科学系への所属、サークル・部活動への熱心な参加によって、OBへのアクセスが促された。 次に、大企業・官公庁への入職に対するOB利用の効果を検討した。その結果、OB利用の主効果が見られる一方で、大学ランクとOB利用の交互作用効果は確認されなかった。 このように、OBへのアクセスには、高ランク大学の社会科学系か否かによって大きな格差が存在する一方で、OB利用の効果には、そのような格差は見られなかった。さらに、本稿の知見は、サークル・部活を経由するネットワーキングが、OBへのアクセス機会を増やす可能性を示唆している。
本稿は、戦後日本社会運動史の重要な契機である一九六〇年代学生運動の特徴と意義について、社会運動研究の文化的アプローチに基づき、参加者による運動への意味づけから考察を行なった。一九六八年から一九六九年にかけて東京大学で発生した東大闘争を事例に、参加者への聞き取り調査や一次資料に基づいて分析を行なった結果、次のことが明らかになった。第一に、一九六〇年代学生運動では、新左翼諸党派と〈ノンセクト・ラジカル〉、さらにはそれらと敵対する日本民主青年同盟という、三層の参加者が存在した。第二に、三層の参加者たちは学生運動にたいする意味づけが異なり、とくに運動の目的と運動組織にかんする志向性を大きく異にしていた。一九六〇年代学生運動は、この三者の混在から生じた多元性と、さらには三者間の相克による複雑な動態に特徴づけられていた。第三に、一九六〇年代学生運動の多元性の背景には、一九五〇年代後半以降に起きた、社会
本稿は、多文化社会における女性若者ムスリムが、複数の社会的期待に直面する中で、どのように自身のアイデンティティを構築し、社会への参加を実現しているのかについて、イギリスのコベントリー地区のインタビュー調査に基づき描くものである。分析の結果は、インフォーマントが、イスラームを遵守すべき最も重要な規範として引き受ける一方で、アイデンティティを分節・(再)接合しながら、イスラーム、イギリス社会、コミュニティや家族、そして多様な志向や背景を有する友人たちと関係を築いていることを示している。こうしたアイデンティティ管理、そして、それを通じた社会への統合に寄与しているのが、彼女たちが生きる多文化社会という現実である。多文化社会が、アイデンティティの多様化を要請し、それを管理する自律性を発展させることにより、女性若者ムスリムがそうした社会に適応することを可能にしている。それは、文化と宗教の区別やスカーフ
本稿の目的は、中学校段階も含めた日本の教育達成過程における階層間格差を抽出することである。これまでの教育達成に関する研究では、学校段階以降における質的差異、すなわちどのようなタイプの学校に進学するかに階層間格差が存在し、さらにのちの教育段階に影響を与えることが知られてきた。義務教育段階である中学校においても、都市圏を中心に国私立中学校のシェアが増加傾向にあり、教育機会の質的な差異が拡大している。本稿では、国私立中学校への進学に対して出身階層の影響力が存在するのか、そして階層による規定力は後の学校段階(高校、高等教育)と比較してどの程度の大きさなのかを測ることを目的とする。 分析の結果、(1)国私立中学校進学に対して出身階層の影響力が存在すること、(2)その効果の大きさは高校以上の段階と比べて暮らし向きに関して大きく、父学歴、父職では大きくないことが明らかとなった。中学校段階にも明確な階層分
二〇一四年二月一〇日、スチュアート・ホールは腎不全による合併症のため、八二年にわたる生涯をイギリスで終えた。 本稿の課題は、ホールが遺した多方面にわたる理論的営為を、彼が晩年の論考で提示した「ネオリベラリズム革命」という視角から整理したうえで再検討し、その今日的な意義を解明することにある。 ホールは、一九七〇年代以降のイギリス政府の連続性を「ネオリベラリズムの長きにわたる行進」と表現し、政党にかかわらずそれぞれの政権がすべて「ネオリベラリズム革命」をそれぞれに推し進めてきたと主張している。 本稿の分析によって、ホールが生涯一貫して、戦後の「合意に基づく福祉国家型社会」から今日の「強制に基づくネオリベラリズム型社会」へといたる転換過程と「ネオリベラリズムの長きにわたる行進」に関する諸問題を、みずからの中心的な研究対象としてきたことが明らかになる。さらに、彼が死してなお、この「ネオリベラリズム
本稿は、知識人ダニエル・ベルの死がもつ意味を考察し、ベルの知識人論を検討することによって、「知識人の死」というテーマについて論じる。ベルは、二〇一一年一月に亡くなったが、「公共知識人」と評されるニューヨーク知識人の一員であり、さらにはその知識社会における中心的存在であった。R・ジャコビーは、ベルを含む同世代のニューヨーク知識人たちを「最後の知識人」と評価した。知識人として「公衆」に訴えかけるスタイルをとった最後の世代という意味である。 ベルの知識人論において、ニューヨーク知識人の特徴が示される。ニューヨーク知識人たちが共通にもつ特徴は、イデオロギーを掲げ、疎外の感覚をもち、思想闘争に参画してきたことである。ただしベル自身は、他のニューヨーク知識人と比べて、関心と活動の範囲が広く、特異な位置を占めていた。ベルは、公共政策の領域に深く関わり、政策レベルの論争に踏み込むことがしばしばあった。その
本稿は、資本主義の現状擁護論者と考えられていたダールの思想を検討し、その通説的解釈の誤りを指摘し、ダール思想の意義を論じる。最初に、ダール思想の解析の手がかりとすべく、あまり注目されてこなかったダールの生い立ちを少し詳しく見ていき、その上で、著作の検討に入る。ダールは、資本主義と社会主義の二分法を否定し、言わばダール版「イデオロギーの終焉」を宣言する。経済のあるべき姿は、「社会的諸目標」による。「社会的諸目標」とは「平等な自由の拡大」であり、ダールは格差擁護論を批判する。ダールの見るところ、最大の問題は、市場イデオロギーであった。こうしたダールの思想は、市場原理主義が世界を覆っている今日こそ、意義を持つものである。最後に、ダールの議論を手がかりに、市場イデオロギーの弱い日本で市場原理主義が力を持つ理由を論じる。
ロバート・N・ベラー(Robert Neelly Bellah)は二〇一三年七月三〇日に八六歳で逝去した。宗教社会学者として知られる彼は、同時代に強い問題関心を抱き、アメリカ社会を痛烈に批判する「リベラルな知識人」として生きた人だった。本稿は、ベラーが二〇一二年一〇月四日に東京大学駒場キャンパスで行った講演「丸山眞男の比較ファシズム論」を手掛かりに、「日本」と「軸」という観点から「知識人であること」について再考を試みる。丸山眞男が「無責任の体系」と性格づけた日本社会をベラーは「非軸的」ととらえ、アメリカ社会を「ポスト軸的」と論ずる。このふたつの異なる社会で知識人である条件を考えるには、「軸」とはなにかを検討する必要があるだろう。本稿後半では、カール・ヤスパースがいう「軸の時代」に普遍的倫理を説いたプラトンなどの「世捨て人」たちを論じたベラーの論考を通して、知識人が社会のどのような場所にいる
本稿は、宮城県の有機野菜生産者たちが始めた放射性セシウム測定活動の事例から、〈提携〉関係の再生をめぐり、彼ら生産者が直面する困難な状況を明らかにする。東日本大震災によって引き起こされた原発事故を契機として、食料の安全性確保は重要な課題となった。調査によって、有機野菜生産者たちが国の行う放射能測定によってではなく、自らの手によって安全性を証明しなければならないと考え、早期に測定体制を整えたことが分かった。それは、有機農業が国の安全基準や規制を批判的に捉え、自省的に厳しい安全性を追求する営みであったことに由来する。彼らは放射能測定においても「行政安全検査」が証明する安全性では納得せず、自らの手で確認できるまでの間は安全性が証明されていないと考えた。その後、測定が続けられているが、〈提携〉関係は回復していない。にもかかわらず、生産者はこのことを消費者の無理解によるものとは批判しない。なぜならば、
教育達成には男女間格差が存在し、特に高等教育進学においては「男性は四年制大学、女性は短期大学」という「ジェンダー・トラック」が存在していることが知られている。しかし、同じ家族の子ども、すなわちきょうだいの中でも「ジェンダー・トラック」の効果がみられるかどうかや、きょうだいの性別構成が教育達成における性別間格差とどのように関連しているかは明らかにされてこなかった。そこで本稿では、教育達成の性別間格差が生じるメカニズムについて、マルチレベル多項ロジスティック分析による再検討を試みた。分析の結果、教育達成の格差が生成されるそのメカニズムとして、性別の違いが大きな影響力をもち、同じ家族環境のもとで育った子どもであったとしても性別による教育達成格差がみられることが明らかとなった。また、自分以外のきょうだいを含めたきょうだいの性別構成はほとんど影響をもたないことが示されたが、男性のみで構成されるきょう
本稿の課題は、アーヴィング・ゴフマンの後期の著作『フレーム分析』(Goffman 1974)において提示されている「人-役割図式(person-role formula)」概念を、ゴフマン独自の「状況の定義」論として展開されている『フレーム分析』の問題設定、概念枠組との関連において検討し、その意義を明らかにすることである。 人-役割図式概念を検討するにあたって、まず、二節では、『フレーム分析』の基本的な問題設定や概念の検討を行う。この作業を通して、「アクティヴィティー」概念が状況が定義された状態を記述するために設定されていること、「フレーム」概念がアクティヴィティーの獲得や変化を生み出している原理として設定されていることを確認する。三節では、二節の作業を踏まえた上で、人-役割図式概念やその関連概念(役割-役柄図式、バイオグラフィー)の検討を行う。こうした作業を通して、人に関する認知が「状況
本稿は、「フォーディズム都市」をはじめとした、レギュラシオン理論を援用する都市論のもつ、今日の都市分析への展開可能性とその道筋を指摘する。一九七〇年代後半からの先進国における蓄積体制の変化と都市の構造転換に対して、ロサンゼルス学派をはじめとした論者は、レギュラシオン理論を援用し分析を試みた。だが、第一世代のレギュラシオン理論がもつ、国家の位置づけ不在という問題により、フォーディズムの終焉とポスト・フォーディズムへの移行を描ききれず、議論は衰退した。本稿は、David Harveyによる「都市管理主義」から「都市企業家主義」への転換に伴う国家と市場の関係性の変化の議論を、従来のレギュラシオン理論を援用する都市論に取り込み再構成することで、レギュラシオン学派第二世代によるその後の理論的発展を再び都市論へ援用する道筋を提示する。その際、政治と経済を結びつける象徴的媒介としての「貨幣」「法」「言説
一九九〇年代前後の教育改革を主導する理念として提起された「新学力観」のもとでは、児童・生徒の「個性」や「主体性」、「創造性」の伸長が目標とされた。そこでは知識を「教え込む」従来の授業方法が否定的に捉えられ、教師には「支援者」として児童・生徒の主体的な学習に関与することが要請されるようになった。本論文では、こうした新学力観にもとづく授業方法の転換が中学生の学力や学力の階層差とどのように関連しているのかを検討する。二〇〇三年に実施された「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」の日本調査データを用いてマルチレベル分析による検討を行った結果、生徒の学力水準や学力の階層差の大きさと学級レベルでの授業方法との間には明確な関連が見られないこと、先行研究で指摘されていた学力と授業方法の関連は、同じ学級に所属している生徒間での各タイプの授業の頻度に関する認識の相違に起因するものであることが示された。これ
本稿の目的は、母子世帯および父子世帯出身者の教育達成過程および文化資本に着目して、家族構造間の教育達成格差が生じるメカニズムについて検討を行うことである。 全国規模の社会調査データである『二〇〇五年社会階層と社会移動全国調査』(SSM調査)を用いた多変量解析の結果、以下の点が明らかになった。(1)ひとり親世帯出身者は、二人親世帯に比べ、高等教育進学以前の教育達成段階(高校進学、高校学科)において不利を被っている。(2)しかし、高校学科と高等教育進学に対する負の効果は母子世帯のみに限定された。(3)ひとり親世帯出身者の教育達成上の不利は家庭の文化資本(文化財・親の最終学歴)が媒介要因として機能している。(4)家族構造と高等教育進学をつなぐ媒介要因として、高校のトラッキング機能が働いている。 本分析から、母子世帯および父子世帯では家庭の文化資本が寡少になりやすいことが子どもの教育達成に負の影響
本稿では、東日本大震災を経ての社会理論の課題として、「機能分化とリスク」という観点から、特に地域社会に照準して災害時要援護者・災害弱者の「包摂と排除」についてとりあげる。機能分化論において議論される「蓄積的排除」という事態について先行研究をふまえて考察し、自然災害における被害のあり方と関連づけて論じる。その上で、自然災害における「蓄積的排除」に抗する支援体制を、地域社会を基盤として構築していくさいの課題と方向性について、災害時要援護者対策や東日本大震災以降の動向をとりあげながら考察する。以上をとおして、東日本大震災をめぐる社会理論の一つの方向性と、経験的な課題としての災害時要援護者・災害弱者支援の接点を提示したい。
東日本大震災は、日本社会に深甚かつ複雑な課題を残した。その課題の克服には、官民を問わぬ多元的なアクターの連携が必要である。ガバナンス論の分野は、このようなアクターの多元的な連携について示唆的な研究を蓄積している。本稿の課題は、ガバナンス論が示唆するガバナンスの多様な可能性に学びつつ、現代社会が持ちうるガバナンスの可能性を最大限に発揮するための可能性の条件を社会理論、とりわけ機能分化論の見地から考察することである。 機能分化論は、国家・市場・市民社会のいずれの領域にも傾斜せず、社会が直面する問題の設定とその解決のための方途をつねに比較検討することを促す。ガバナビリティとは、両者をたえず適切に組み合わせてゆくことである。このような意味でのガバナビリティを最大限に発揮するためには、問題とその解決に向けた取り組みに対する柔軟な比較検討の視点、そして社会が内蔵するリソースを問題解決に機動的にあてるた
本稿では、社会学理論・学説研究の視点から、「無知をめぐる争い」とでも言いうる事態がますます顕在化するにいたった東日本大震災後の状況について、政治と科学の関わりに焦点を当てて観察するためのありうる一つの見方を、呈示したい。そのためにまず、社会システム理論の知見を援用しつつ、「不確実性吸収」のプロセス、および、それによる「無知の潜在化」がもたらす多大な「リスク」について論じる。その上で、外的な要求圧力が、「シンボリック・メディア」のインフレーション/デフレーションをもたらし、過剰な信頼とそれによるリスク増大が帰結しうることを、指摘する。またこのことは、「偽」であることによる損害よりもむしろ、「真理」であることによる損害という別種の問題への対応が迫られることをも意味する。最後に、こうしたメディアのインフレーション/デフレーションが生じるとき、人格や役割やプログラムといった予期の各レベルの過度な圧
東日本大震災を体験した後の社会において、我々は、リスク社会とどのように向き合わねばならないのか。個人化社会において、ますます社会から切り離されてゆく個人と、〝終焉〟しつつあると言われる「近代」社会は、どのような形で新たに接続され得るのか。そして社会学は、このような個人と社会の関係を、いかなる形で新たに構想すべきなのか。 社会学は、個人と社会という、二つの別個の存在をうまく調停しバランスを取ろうとしてきたが、今やリスク社会によって、個人も社会も、これまでとは異なったあり方を求められている。これまでの社会学の考え方に替わる、いかなる理論的観点が存在し得るのか。この点について検討することが、本稿の課題である。 本稿では、この問題を近代的な理論的シンボリズムの隘路として捉え、「シンボリックなもの」(結合と連帯を生む契機)と「ディアボリックなもの」(分離と個別化を生む契機)の対比において把握し、リス
サステナビリティを主導する企業家、ないしサステナブルな企業家とは、社会的価値、環境的・生態系的価値、経済的価値を同時に追求する企業家である。2015年、国連でSDGsが採択されて以来、サステナブルな企業家活動に関する論文が多数発表されているが、その研究は端緒についたばかりである。本論文は、サステナブルな企業家活動に関する研究をレビューし、今後の研究に向けた指針を探ることを目的とする。具体的には、特に事業創造プロセスの観点から制度的多元性におけるビジネスモデルの構築について議論する。サステナブルな企業が追求するトリプルボトムラインの価値は、しばしば矛盾し対立する。そのため、企業家は制度的多元性のコンフリクトに直面することになる。本論文では、サステナブルな企業家は、どのようにロジック間の競合を解消し、ビジネスモデルの構築と刷新を行っていくのかについて考察する。そして、異質な価値への段階的・逐次
21世紀の経営哲学は、「サスティナビリティ」を中核の思想とする「新しい資本主義」への歩みを進めるものでなければならない。そのためには新自由主義経済思想と「株主価値神話」が結びついた現行の「ダナマイト魚法」的経済システムからの脱却を目指さねばならない。 「株主価値神話」は「死ななければならない」。「この神話を終わらせる」ために、われわれは何をしなければならないのか。イスラエルの歴史学者ハラリ(Harari,2014)は『サピエンス全史』の中で、人類の強みは巨大な規模で協力関係を作り出す能力にあるが、それを可能とするのは「虚構の物語(fictional story)」であると指摘している。さらに、人々が信じる「物語」が別の物語に取って代わることで、人々の物事の捉え方と行動が変わり、社会は変化すると主張している。 われわれがこれまで教え込まれてきた「株主価値神話」から脱却しようとするなら、われわ
サステナビリティは、地球環境への負荷が高まり、人間が快適に住めなくなる恐れから使われるようになった用語である。そして、その対策として今や各国の政策や立法の場で広く議論を呼んでいる。しかし、その用語の捉え方は一様でなく、具体的な策として皆が納得する策を見いだすには至ってない。こうした中で、企業にとっては持続可能な地球環境の保護問題より、持続可能な企業行動のあり方の方が喫緊の課題といえる。なぜなら、企業活動が国の経済を支え、グローバル経済の支えである一方、多くの人が企業活動との相互作用によって生計を立てているからである。そこで、企業サステナビリティを考えてみると、目的達成の手段たるテクノロジーの活用・開発次第で、企業の持続的活動が操作可能であり、影響を受けることが判明する。しかも、環境変化とともにテクノロジーも進化し、それを生かすも殺すも経営陣次第であることが想定できる。そこで、どのような経営
企業に対する社会的責任の観点からの要求が高まる中で、企業にとって収益性と社会性(社会的責任を果たし、社会課題の解決の担い手となる)という一見すると対立する課題を両立させようとするためには、単に社会性に関する課題を自社の経営戦略・経営目標などに計上するだけではなく「企業の現状の状態と克服すべき課題を把握すること」および「企業が保有している能力や価値を活用して競争力を発揮するための力、つまりケイパビリティに着目し、大胆に組み替えていくといったこと」といったプロセスが必要と考えられる。 そのために、本論文では、ポパー(K. Popper)の推測と反駁のプロセスと、ティース(D. Teece)によるダイナミック・ケイパビリティ戦略のフレームワークを利用して、収益性と社会性という対立する課題の解決、すなわち企業にとって社会性を重視しながら、同時に企業の能力を最大限発揮し収益性を獲得する方法について考
本論文の目的は、近年金融機関で発生した組織不祥事を事例として、各社を取り巻く外部環境、その外部環境を受けた組織的対応、そして組織から求められる個人行動の連関性に着目することで、不祥事発生のメカニズムを明らかにしていくことにある。 組織不祥事に関する先行研究は、組織不祥事の発生を未然に防止する組織の構築を目指してきた。しかしながら、組織不祥事の発生要因を、外部環境、組織構造、および個人の利害追求に還元する形では、いかにして組織不祥事が生じるのかを十分に説明できないという理論的課題を有してきた。そこで本論文では、先行研究の検討を通じてステークホルダーや当該企業を取り巻く規制などの外部環境をマクロとし、組織(メゾ)、従業員(ミクロ)の連関関係を組織不祥事の発生メカニズムとして捉える新たな分析枠組みを提示し、スルガ銀行、商工中金で発生した組織不祥事を対象として事例分析を行った。 事例分析で明らかに
経営理念と経営者の関係は論じられて久しい。その大半は経営者が哲学を持ち、それを表明することの意義や、浸透に果たす役割について考察されている。反面、経営者が理念を自分のものにするプロセスを検討したものは皆無に近く、数少ない研究も回顧的である。この問題意識を背景に、経営者として「プロセス真っただ中」にいるオーナー企業の後継者である三代目を対象に、彼の現在進行形で進んでいる理念を理解するプロセスを検討したいと考えた。 理論的基礎に据えたのは、Lave and Wenger(1991)の「正統的周辺参加」である。この理論は5つの伝統的徒弟制にヒントを得た学習理論であり、周辺から十全へと移行する際にアイデンティティの増大が不可欠であるとされている。そこでその形成がより詳細に説明されている「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」の事例に重きをおいた。そしてこれらに基づき分析を行うことで、三代目の理念の理
現在の中国は持続的な経済成長、環境保護、社会的安定の3つのバランスを維持する為の取り組みとして、純粋な経済成長のみに目を向けるのではなく社会的問題の解決にも優先順位を置くことに基づいた政治的イデオロギーを編み出した。中国社会では、国家構築の過程で経済成長を重視してきたが、それによって生じた社会的問題に対処する必要性が自明となったことで重要な転機を迎えている。中国に進出している日系企業は、中国市場における競争を優位に進めるために、このような政策への理解は欠かせない。また、中国社会の上記のようなイデオロギー的転換によって引き起こされた激変は日系企業にとってリスクが高い事象であることは疑いないが、同時に中国市場において日本企業がさらに成長し、より良い企業イメージを築く機会を提供しているともいえる。 そこで本稿では、このような状況下において、中国市場に進出する日系企業の戦略的課題が経済的な競争力の
2015年に適用が開始された日本版コーポレートガバナンス・コードは企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を図るため、とりわけ独立社外取締役の積極的な登用を促してきた。これにより、日本での独立社外取締役の選任は急速に進んだ。さらに、2018年6月のコード改訂に伴い、経営者の選解任や報酬決定プロセスへの独立社外取締役の十分な関与が求められ、この数年で多くの企業が独立社外取締役中心の指名委員会や報酬委員会を設置した。しかし、企業の持続的な成長や中長期的な企業価値の向上を実現するためには、独立社外取締役の果たす役割だけでは不十分であるとともに、独立社外取締役の役割を過度に強調してきたことが、形式だけの登用やそのなり手不足といった問題を引き起こしてきた可能性もある。 本稿では、ダイナミック・ケイパビリティ論に基づくコーポレートガバナンス論を展開し、これらの独立社外取締役に関連する問題を解決して
本論文の目的は、民間企業が地域経営に果たす役割について、ソーシャル・イノベーションのプロセスにおける第2のダイナミズムという新たな理論的視座から、分析していくことにある。このために本論文では、Mulgan(2006)、谷本(2006)らによって提唱された、ソーシャルイノベーション研究におけるプロセスモデルを企業家精神のもたらすダイナミズムの観点から再検討を行い、地域活性化における民間企業の役割を捉える理論的視座を提示する。その上で、沖縄県島尻郡座間味村におけるダイビングを中心としたエコツーリズム事業の形成事例の分析を通じて、地域活性化に求められる民間企業の新たな役割と求められる行為を考察していく。
グローバル経済と国民国家による巨大な政治経済システムが不安定化し、人口の少子高齢化が進んでいる。これらの社会状況は地域の社会経済主体が相互に協力し合うことを通じて、地域を持続的に発展させていくことを求めている。それを政策的に取り組んでいくためには、コミュニティをベースにした政策実践が不可欠である。この動きは世界的に共通したものとなっている。 しかし、合理的個人主義を基礎におく主流派経済学をはじめとする社会科学においては、コミュニティが理論の中へ位置づけられてくることはなかった。その例外としてのメリット財概念は、コミュニティと経済学をつなぐ論理を有している。 コミュニタリアニズムでは、コミュニティを構成するものとして個人のみならず企業等も位置づけている。そして、コミュニティにおける地域経済の独自の重要性についても主張されてきた。 これらの実践は日本においても進められてきた。その典型例として、
パブリック・ガバナンス(public governance)論は、従来の政府中心の統治体制ではなく、多元的な統治の担い手を政府に代えて設定する視点を強調するが、そのような公共における担い手のいち主体として期待されてきたのがNPOである。しかしながら、既存研究では、NPOが果たす役割は多様・多義に論じられ、その定義に合意が得られていない。また、議論が個々の国の文脈に強く依存していることや、実証的研究が乏しいこと等、多くの課題が指摘されている。本稿は、NPOの果たす役割について、その「機能」の視点から、日本の実態を体系的に捉えることを目的とした。まず、日本の実態を分析するための枠組みの検討を行い、NPOの機能として、サービス提供、アドボカシー、コミュニティ構築、という3つを設定した。つづいて、この分析枠組みを基に、日本におけるNPOの機能の実態を、独立行政法人経済産業研究所が実施した「平成29
立命館大学にて開催された第36回経営哲学学会全国大会において統一論題として報告した内容に発表後の質疑応答等にて指摘を受けたことを踏まえて、まとめた。統一論題として掲げられた「地域活性化に向けたイノベーション:民間・自治体・N P Oの取り組みに着目して」ということを基に、自治体としての沖縄県の取り組みについて紹介し、沖縄と経営哲学の関係性についても論じた。 沖縄県の取り組みとしては、商工労働部アジア経済戦略課における、次の2つの視点から沖縄県の地域イノベーションを推進しているのであるが、1) 沖縄県アジア経済戦略構想、2) 沖縄国際物流ハブ活用推進事業、のうち今回は、1) の取り組みについて考察した。 さらに、これらの事業を展開するうえで、次のような5つの重点戦略を策定していた。①アジアをつなぐ、国際競争力ある物流拠点の形成、②世界水準の観光リゾート地の実現、③航空関連産業クラスターの形成
近年、地方創生やソーシャル・ビジネスへの注目の高まりから、経営学領域においても地域活性化を事例とする研究が増えている。なかでも代表的なのはソーシャル・イノベーション(SI)・プロセスモデルに関する議論があるが、そこにおける地方自治体の存在は、正当化の源泉であり資源と事業機会を提供するという行政の役割概念と同一視されてきた。しかし、地方自治体は、法制度の整備や制度設計により、地域内外の資源を新結合し地域活性化を強力に推進し得る、強力な変革主体として分析可能である。本論文は、地方自治体をSIプロセスの中心に捉え直すことで、地方自治体が社会企業家としての行動をとることの可能性について指摘するものである。社会企業家が社会問題の解決を目指し、動員可能な資源を利用した事業を開発することで社会問題の解決を図るのであれば、地方自治体もまた、地方自治を取り巻く制度的環境の下で構造的不公平に晒されている存在で
本稿は、カープにより広島に生じた経済効果を地域活性化と捉え、その背景と要因を、ファンとカープ球団間の関係に解を求め考察したものである。 プロ野球ビジネスの変遷は、プロ野球団を所有する親会社の産業の変化、技術の発展によるメディアの変化等、コンテクストの面より確認できる。特にプロ野球再編問題が生じて以降の親会社の産業やメディアの変化は、球団のファンへのアプローチ手法を変えた。時を同じくしてSNS等が普及したことで、ファンは多様化し、贔屓球団も偏りが低減した。これはプロ野球団のドメインが変わったといえる。 このようにプロ野球ビジネスが変遷する中で、カープは他球団と異なる特色をいくつか持つ。個人所有の球団であり、親会社の影響を受けることもなく、個人経営者が広島に対するコミットメントを愚直に遂行していることや、球団の創設や球場の建築は、広島の経済界、自治体、住民により発意されコスト負担がなされてきた
本稿は、ドイツの経済倫理・企業倫理において展開されている「オルドヌンク倫理学」の理論的観点から、企業倫理の実践活動、特にルール形成・ルール啓蒙活動を検討するものである。まずホーマンやピーズらの見解を中心にオルドヌンク倫理学の理論的主張を簡潔に再構成し、彼らの主張が、「ジレンマ構造」を核として、3つのレベルから企業の責任のあり方を議論していることを確認する。続いて、彼らの理論的主張から見て重要な、企業のルール形成活動やルール啓蒙活動について、ロビイングやルール・メイキング活動、パブリック・アフェアーズ活動の実態を取り上げる。そしてそれらの活動がオルドヌンク倫理学の観点から見てどう解釈できるのかについて検討を行い、最後にまとめる。
「CSR・消費者」を手がかりとして行われてきたこれまでの先行研究では、様々な分野の優れた研究者が実りある研究成果を収めている。しかも近年では、科学計量学や計算機科学が進むにつれ、マクロ的視点に立ってCSR、消費者それぞれをキーワードとする計量書誌学的分析が年々増えてきた。そこで本研究は「CSR・消費者」両方に着眼し、可視化ツールCiteSpaceの活用によって1997年から2019年に至るまで当該分野における英語論文情報を俯瞰・抽出し、972本のサンプル文献における研究者や、研究機関、国家、論文自体、キーワード・名詞句間の共起表現を時間・空間的および内容的な知識マップによって捉えてみた。その上、キーワード・名詞句にバーストを検出し、サンプル文献のうち151本の高頻度被引用論文を掲載年度別・内容分類別的に解読・整理したことにより、該当分野における国内外の研究トピックス、萌芽的論点の発見とその
Wrzesniewski and Dutton(2001)によって提唱されたジョブ・クラフティング概念は、現代の組織における仕事の絶えざる変化に対する従業員の能動性の発揮を描写するために有効な概念として定着しつつある。しかし、ジョブ・クラフティングというターム自体が魅力的であったことで多くの研究者を惹きつけた一方で、彼女らが示したジョブ・クラフティングの思想は後続の研究においては必ずしも精確に読み取られてこなかった。こうした事態はジョブ・クラフティング研究の発展を妨げている。そこで本研究では、ジョブ・クラフティング概念を提示したWrzesniewski and Dutton(2001)を学説史的な流れを踏まえて再検討し、彼女らが提示した既存研究に対する新奇性を明確にする。それらの新奇性とは、(1)従業員の能動性の強調、(2)認知的ジョブ・クラフティングの提唱、(3)仕事の意味やワーク・アイ
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
The aim of this paper is to analyze the way to construct the production organization with Power room factory in the Bisai area. During the WWI, the demand for woolen fabric rapidly increased, so the weavers changed the main products from cotton fabrics or silk-cotton fabrics to woolen fabrics. At the same time, a lot of modern factories with power rooms were born. Since the 1920s, as western cloth
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
Before Japan became a major exporter of home appliances and automobiles, there was an age of light-machine production in the 1950s and 1960s that included items such as cameras, home sewing machines, binoculars, etc. There were three types of home sewing machine manufacturers in the 1950s: the integration type that manufactured arms, beds, and other parts of the sewing machines entirely in the pla
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
Mergers of regional banks through pure holding companies have been increasing since the latter 1990s. Such mergers were examined for this study, with emphasis on determinants of such mergers and banks’ post-merger business performance. A cause of the increase in mergers is that, in addition to the conventional methods of mergers, a ban on the method using a bank holding company was lifted in 1998.
The number of Japanese firms adopting a pure holding company system has increased since changes to the anti-trust law in 1997. This study investigates how adopting the pure holding company system changes the management of Japanese firms. Since the changes in anti-trust laws, many researchers have highlighted the merits of a pure holding company, such as efficient internal capital market, easy Merg
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
The present study clarifies the actual condition of overseas expansion of products and production of the pre-war Japanese miscellaneous goods industry by highlighting the relationship between the trading companies and manufacturers as a case example of the match industry developed in the Hanshin area (Kobe and Osaka). Two leading match makers of different development types were selected for the pu
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
Online ISSN : 1883-8995 Print ISSN : 0386-9113 ISSN-L : 0386-9113
The purpose of this paper is threefold: (1) to elucidate why the national power company, Electric Power Development Company (J-POWER) began promoting a business model centered on use of large-scale, overseas-coal-fired thermal power stations, turning back the clock on the energy revolution, wherein Japan, preceding the oil crisis, shifted away from coal to imported oil; (2) to explore why J-POWER
This study discusses the dynamics of migrants’ frontier society with the case of L Village in Riau Province, Indonesia, where oil palm cultivation is dramatically expanding. In the late 1980s, a private company developed a large oil palm plantation in the village, after which a large number of migrants from North Sumatra Province started moving to the village. The migrants’ purposes could be rough
This study analyzed the spatial distribution of population and housing in Daejeon Metropolitan City, a regional central city in South Korea, from the perspective of diversity. The diversity index of each administrative Dong is calculated using the population census variables of age, household, and housing type in 2010 and 2015. Variables affecting diversity changes are the increase in the number o
The early 1990’s marked a turbulent period in Japan’s economic history. We reconstructed the non-aggregated data for 660,000 worker samples of the 1992 Employment Status Survey into the estimated data for all 64,000,000 workers in Japan using this government survey’s method and conducted unique analyses on the regional inequalities of worker incomes from the perspective of individual and regional
We conducted ground penetrating radar (GPR) soundings and geodetic surveys in four perennial snow patches (PSPs) in the northern Japanese Alps (NJA) and considered the possibility that they could be active glaciers. The Kakunezato and Ikenotan PSPs had large ice bodies (>30 m thick) and flow velocities greater than 2 m/a; hence, both PSPs were admissible as active glaciers. Kuranosuke PSP also had
Historic Cairo, in Egypt, is a living urban entity that was registered by the UNESCO as a World Cultural Heritage Site in 1979. Its historic urban core is crowded with outstanding medieval buildings which overlap with the city’s modern architecture and local people’s daily life activities. Unfortunately, despite receiving several conservation interventions, since the mid-20th century, most of the
This paper is a systematic review of scholarly articles published in Japan from 1989 to 2019 that discuss instruction regarding the formation of spatial cognition in the context of elementary school social studies. This study aims to examine the trends, transitions, and challenges of this field of research and clarify the backgrounds of these studies. Based on the results of the review, four resea
This paper aims to explain the mechanism of the transfer of farming rights in Japan’s large-scale upland farming belt by focusing on the social relationships among farmers. The mechanisms of farmers’ social relationships were analyzed by applying the concept of “multiplex-uniplex” that is used in the social network approach. The study area was Omaki and Kowa settlements in central Hokkaido Prefect
Socio-economic residential segregation is an important issue of social concern and academic interest. Using population census data, we analyze the changes in residential segregation by finer occupational groups at the neighborhood level and their local spatial distribution in Tokyo from 1980 to 2005. This period was characterized by increasing economic disparities in Japan. We find that: 1) Multip
This study intended to consider the sustainability of irrigation fruit farming in terms of water supply-demand situation from the viewpoint of tolerance to drought events in Petrolina and its surrounding area in Brazil, where large-scale irrigation projects have been developed for semi-arid regions. Based on the field survey, we analyzed the actual situations of water intake and distribution on th
New information and communication technologies make it possible to conduct detailed analyses of the use of space by visitors at different scales. For example, geotagged social media records can be used to capture the digital footprint of human spatial behavior within a city. This study demonstrates the potential of these data using information from photo-sharing services to compare the distributio
Scientific forestry and its environmentalist vision influenced the modern Japanese approach to forestry in the mainland as well as its colonies. Annexed into the Japanese empire with Taiwan in 1895, the Penghu Islands played a significant role in colonial forestry in two ways: The treeless landscape gave rise to an afforestation project by colonial foresters, including Tashiro Antei, and encourage
The Shanghai household registered population is highly aged. The elderly occupy a large proportion and continues to increase because of the aging of the generations of one-child families. This study examines the influential factors in the elder care decision-making process of those households with registered elderly people, focusing on changing notions of elder care and changing parent–child relat
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
本稿は,GATTウルグアイラウンド合意によって米国からミニマムアクセス米が輸入され始めて20年以上経過した現在の米国の米需給と産地の動向を検討したものである.その結果,対日輸出基地であるカリフォルニア州では,①国内外市場の拡大で史上最高レベルの生産量と収益性を維持していること,②水利条件の制約で現在以上に栽培面積を拡大できないこと,③生産の中心は中粒米で,日本食ブーム下でも短粒米市場は拡大していないこと,④短粒米の中でも日本品種は栽培が難しく低収量なため積極的な栽培はみられないこと,が明らかになった.つまり,現在の米国では米の輸出圧力は小さく,かつ日本市場に合う短粒米の増産は期待できないので,現状の管理貿易の維持が米国にとっても最善の策であると考えられる.
本稿では,さいたま市における次世代自動車の活用に着目し,スマートシティ政策の下での技術イノベーションとしての次世代自動車の普及要因を解明することを目的とした.そして,行政や企業・団体,個人を対象に,実際のユーザーの視点から,次世代自動車の活用方法や主体間関係が普及に与える影響を考察した.さいたま市は,他の都市に先駆けて次世代自動車の活用に着目した.当初は行政や一部の企業のみが次世代自動車を活用していたが,時間の経過とともにその数は増加した.その際には,従来の経済的メリットに限らず,環境性能や自動車としての性能,生活の利便性向上といった新たな視点が契機となった.さらに,他の主体から影響を受けていた主体が,別の主体に影響を与えるように変化した場合もあった.結果として,さまざまな活用方法や主体間の相互作用を通した,次世代自動車を活用する主体の増加が,さいたま市における次世代自動車の普及に繋がった
本研究はあらためて重要性を増している新品種の普及プロセスの解明を試みた.その際,イノベーションの普及研究で欠落していた「連続性」と「マーケティング」の視点を取り入れた.結果,既知の事実が再確認されるとともに,以下の新たな知見が得られた.革新的とされる農家には,「恒常的に革新的な農家」と「一時的に革新的な農家」が存在した.前者は新品種の情報に精通した相手へ主体的に接触し,新品種の取引価格が最高値の時に収益を最大限にできるように行動していた.一方,後者は農業経営の転換期や社会的立場から模範的に早期の品種更新を行っていた.また,農家の出荷形態と新品種の普及には密接な関係性がみられた.農協共販を志向する農家では農協の推奨品種となることで新品種が短期間で普及する一方,贈答用を中心とする宅配を志向する農家では既存品種のみの栽培でも収益を獲得でき,知名度の低い新品種の普及は緩慢となっていた.
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
本研究の目的は,浄土真宗本願寺派の本山墓地である大谷本廟を対象として,大谷本廟に対する納骨および読経の申込者の分布から,本山に対する信者の宗教活動の空間構造の解明を試みるとともに,離郷門徒に注目して宗教的行動の特徴を明らかにすることである.分析の結果,合葬形式である祖壇への納骨の申込みは二大都市圏で多く,納骨堂である無量寿堂への納骨の申込みは非大都市圏で多い傾向が認められた.また,二大都市圏に居住する離郷門徒とそれ以外の門徒(在郷門徒)とで納骨先を集計すると,在郷門徒ほど祖壇納骨が多くなった.その背景として,無量寿堂に区画を持たない寺院の多さと,合葬形式である祖壇納骨の相対的な受容という要因が考えられた.さらに,読経申込みの頻度は本山のある京都府から近いほど高頻度になる傾向があり,宗教的行動の特徴よりも本山との近接性によって地域差が生じていると考えられた.
本研究では,2010年に八丈島で発生したスダジイの集団枯損と立地条件や植生構造との関連性を明らかにすることを目的とした.地理情報システム(GIS)による解析から,枯損したスダジイは三原山の南西向き斜面の尾根上に偏って分布する傾向があった.南西向き斜面と北東向き斜面とで主要な構成種は共通しており,サイズの大きなスダジイの幹密度や胸高断面積合計はほぼ同等であった.したがって,スダジイの集団枯損の地域的な差異は,被害を受ける樹種の優占度や大径木の出現頻度といった植生構造の違いにより生じたものではないことが示唆される.ブナ科樹木の萎凋枯死現象は,カシノナガキクイムシが媒介する共生菌により通水阻害が引き起こされることで被害が生じる.これらのことから,八丈島では2010年の梅雨明け直後に卓越した乾燥環境が起因となり,より乾燥した立地条件となる南西向き斜面の尾根上を中心に,スダジイが一斉に枯損したものと
伊勢平野中部の志登茂川左岸において,地質調査,堆積物の放射性炭素年代測定および珪藻化石分析を行い,完新世後期における浜堤の地形発達過程を明らかにした.当地域には4列の浜堤が認められ,内陸側の浜堤Iの閉塞完了時期が最も古く,海側の浜堤IVが最も新しい.浜堤Iは,5,700~6,000calBPまでに後背地の閉塞を完了した.浜堤IIは3,300calBP頃に形成を開始し,2,700calBP頃に閉塞を完了した.浜堤IIIは少なくとも1,500~2,200calBP頃までには閉塞を完了した.浜堤IVは現成の浜堤である.浜堤Iの形成時期には,対象地域南方の雲出川下流低地で浜堤の発達が認められない.これは両低地間における埋没平坦面の有無,河川営力の相対的な大きさの違いを反映している可能性がある.また,浜堤IIおよびIIIの形成完了時期は雲出川下流低地と一致しており,1,500~3,000calBP頃
本研究は,山腹斜面に人工林の卓越する景観が形成されてきたプロセスを,複合的に展開する生業活動と転出入をともなう就業動向を分析することから明らかにした.研究対象地域はかつて木場作と呼ばれる林業前作型の焼畑農業とマツ短伐期林業が営まれていた熊本県芦北町黒岩集落とした.その結果,人工林が卓越する景観となった要因として,就業地の遠隔化などで世帯員が減少したりする中で木場作から得られる生産物の役割が変化したことが大きく,マツクイムシの被害も相まってマツ短伐期林業の前作的な役割であった木場作が中止された.そして,林地や畑地など多様な土地利用から,スギ・ヒノキの人工林が卓越する土地利用が形成された.他方,面積は小さいものの自給的生産や小規模な販売目的の農業生産を通じた山腹斜面の利用は継続されている.景観は異なるものとなったが,住民の山腹斜面への関わり方は地域内外の需要に応じて利用形態を変容させるというも
本稿では,1993年にウリミバエが撲滅されるまで沖縄県内でのみ流通していたゴーヤーが県外向けに生産・出荷がシフトする過程で,沖縄県の野菜生産農家の経営や生産・出荷体制にどのような変革やインパクトが生じたのかを動態的に地理学的視点から明らかにした.県内有数の野菜産地である糸満市では,ゴーヤー品種の改良,補助事業による施設園芸の促進,生産技術や県外向け出荷規格への順応など,行政・JA・民間・農家がハードとソフトの両面において連携し,ゴーヤーの出荷拡大を後押ししていた.ゴーヤーの出荷先が県内外で多様化したことで,沖縄県の野菜農家が主体的に市場を見極めながら,出荷先を開拓,選択できる新たな経営形態への展開がみられた.ゴーヤー生産拡大は,単に新たな県外向け生産・出荷体制を構築したのではなく,沖縄県の野菜農家が本土の遠隔野菜供給者として再始動するための,新たな基盤整備に大きく寄与していた.
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
自然遺産を保全し,地域づくりに活かすためにジオパーク認定を受けようとする地域が増えている.ジオパークでは,地域住民の理解と協力を得らえることが重視され,住民参加は認定の要件の一つになっている.本稿では,山陰海岸ジオパークを事例として,ジオパークに対する住民の意識と行動を,ウェブアンケート調査とジオガイド等への聞取り調査等を基に明らかにした.当地では,ジオパークは住民によく知られている.ただし,住民の関心は,ジオパークが強調する大地の成り立ちと人々の暮らしの関わりより,観光客と同様に温泉と食に向いている.また,ジオパークによる地域活性化への期待はあまり高くなく,むしろ自然保護につながるものと期待されている.ガイドはジオパーク全域よりジオサイトへの強い愛着に基づく行動をしており,ジオパーク的な情報は説明の選択肢の一つと割り切っている例もあった.
中国の条件不利地域農村では環境保全と住民生活の改善の両立を目標に,耕地の緑化,実施者への有期の食糧・現金支給,農業の構造調整が実施されている(退耕還林).黄土高原ではこれまで行政村を単位とした郷鎮スケールの空間的な現状や問題点の検証は行われていなかったため,退耕還林による成果が均一に波及していない場所の特徴把握や,要因の推定,効率的な対処等が困難であった.本稿では,陝西省呉起県の一地域を事例に,各種社会経済データを用いたクラスタ分析を行った.行政村の空間立地に着目することで,河岸地域の経済的優位性が見出され,その要因として,現地での土地利用調査からトウモロコシ栽培やビニルハウスの導入などが推察された.一方で丘陵奥地の行政村では退耕還林による農業の構造調整後も,低い平均収入や高い生活保護世帯率などが課題として存在していた.
本研究は,韓国語と中国語の「東京」旅行ガイドブックの各3冊に掲載された観光名所を分類し,出現頻度と空間分布を検討した.また,既存研究で明らかになった英語圏のガイドブックの特徴とも比較した.観光名所の分類から見ると,韓国・中国のガイドブックは,商業施設を指向するのに対して,英語圏のガイドブックでは,酒場とレストランを指向する.東京都内の観光名所の空間的分布に注目すると,英語圏のガイドブックでは,JR山手線周辺とその内部に偏在するのに対し,韓国・中国のガイドブックではJR山手線周辺のみならず,近隣の県まで分布が広がる.韓国と中国のガイドブックを比較すると,観光名所の種類別において,韓国のガイドブックは,観賞型観覧施設・保養施設を指向し,宿泊施設も重視する傾向にある.一方,中国のガイドブックは,商業施設・飲食施設を重視する反面,全体的に宿泊施設の出現頻度が低いことが明らかになった.
2014年2月の降雪による園芸施設への雪害の発生形態と発生原因について,関東甲信地方の三つの地域(埼玉県北部地域,山梨県峡東地域,長野県諏訪地域)を事例に,園芸施設の構造特性と気象の変化および地域的要因に着目して明らかにした.園芸施設被害の誘因である降雪・積雪・積雪重量は各地に過去最大規模の被害をもたらしたが,これらに応じて被害が一律に発生したとはいえなかった.被害状況を量的側面(棟数被害率)と質的側面(金額被害率)からとらえると,埼玉北部は量的側面よりも質的側面の被害が小さく,山梨峡東は量的側面よりも質的側面の被害が大きく,長野諏訪は量的側面と質的側面の被害がともに相対的に小さかった.耐雪強度の高い施設ほど被害が少なく,耐雪強度の低い施設ほど被害が多いともいえなかった.被害の差異を発生させた素因として,地域ごとの農業生産形態と農業者による事前対策や発生対処などの対応行動が影響した可能性を
本研究では,第1種共同漁業であるイセエビ刺網の自主的管理を共同体基盤型管理(CBM)ととらえ,和歌山県串本町の11地区を事例として,同一地域内におけるCBMのミクロな多様性とその形成要因を検討した.イセエビ刺網のCBMを構成する手法は,空間管理,時間管理,漁具漁法管理,参入管理の4類型に分類される.イセエビ刺網の実態や傾向がある程度地理的なまとまりを伴いつつも地区間で異なっていたように,CBMのあり方もまた,地区間・手法間でさまざまな異同がみられた.これらの事例の比較検討から,CBMのミクロな多様性は,地区の自然的・社会的諸条件とその変動に対する漁家集団の応答の積み重ねによって形成されてきたことが明らかとなった.また,CBMが改変・維持される目的にも地区間・手法間で多様性がみられ,漁家集団の性質や意向を反映しながら,CBMの多様化を方向づけていた.
本稿では,国際交通・通信インフラの変遷を検討することによって,近代日本のグローバル化の過程を論じた.日本のグローバル化は19世紀末に最初の国際定期航路・電信線が整備された段階で,英国の植民地統治を支える交通・通信システム(「英国グローバルシステム」)に組み込まれる形で始まった.産業革命後の英国はインドや中国への交通・通信ルートを拡大していったが,「極東」日本はその延長上に位置し,日本から見た西廻りルートが成立した.一方,太平洋を渡る東廻りルートは米国主導で整備され,日本は新興の「米国グローバルシステム」に否応なく組み込まれた.日本は,国策として定期航路や通信網を維持し,両ルートを確保し続けたが,第二次大戦後は航空輸送や衛星通信の発達,さらには20世紀末のインターネットと光ケーブル網の発達によって米国のプレゼンスが拡大すると,「米国グローバルシステム」へ急速に傾斜することになった.
諏訪之瀬島における今日の農業土地利用を支える土壌の特性を明らかにすることを目的として,農耕地,放牧地,林地および1813年噴出のスコリア層下の埋没土層の土壌分析を行った.対象とした土壌は「火山放出物未熟土」と一部「未熟黒ボク土」に分類された.土壌分析の結果,農業にとって不適な土地ではないことが明らかとなったが,現在も噴火活動による降灰が続くため,諏訪之瀬島の土壌が黒ボク土へと成熟していくことは期待しにくい.露頭の埋没A層の特性は,土つくり実験地,ミカン栽培地,および斜面の崖下にある竹林の土壌特性に類似していた.緑肥の投入など人間による積極的な干渉が強い土壌ほど地力が高いことが示された.埋没A層は1813年の無人島化以前の農業生産活動を支えた土壌であり,諏訪之瀬島の資源であるといえる.今日の農業基盤拡大にあたり,過去の土壌資源を活用することが効果的であると考えられる.
本稿は,深谷市を事例に,各主体による深谷ねぎのブランド化への対応を踏まえて,その課題を考察することを目的とする.深谷市では深谷ねぎの産地偽装を契機として,2002年以降,行政とJAが積極的にブランド化への動きを開始した.しかし,深谷ねぎ産地において産地市場が複数存在していることなどから統一的なブランド規格を設定することが難しくなっている.市町村およびJAの合併に伴い,深谷市の北部と南部とでは自然条件や社会経済条件に違いがあることから,ねぎ生産をめぐってこれら地域間には生産者の意識に温度差が見られる.深谷市のねぎ栽培は,地形の異なる地域にまたがって存在しているために,深谷ねぎのブランド化が滞る要因になっている.深谷ねぎのブランド化は,行政と一部の産地市場による地域振興を目的とした地域ブランド化と,周年栽培とJA外出荷を行う商業的農家による個人ブランド化の二つの方向で進んでいるのが現状である.
本研究では,手描き地図における描画の詳しさの部分的な違いに着目した新たな分析手法であるバッファ重心法を提案する.実際に,愛知県名古屋市東区に位置する東海中学・高校の在校生(中学3年生~高校3年生)を調査対象とした手描き地図調査を通してその有効性を検討する.手描き地図の分析手法の一つにバッファ法がある.一般に手描き地図では,詳しく描いてある部分とそうでない部分がある.バッファ法にはこの局所的差異をとらえられないという課題があった.空間認知における認知度の局所的差異は重要なテーマであり,その中でもアンカーポイント仮説などの理論が提唱されてきた.そこで,バッファ重心法を提案し,これを実際に適用することで認知地図の局所的差異の客観的な分析において一定の成果を得た.ここで提案するバッファ重心法は空間認知の局所的差異に関わる,今後の空間認知研究に貢献することができる.
ネパール南部における住宅の温熱環境の季節的な特徴を明らかにすることを目的として,屋根素材が異なる3住宅で気象観測を行なった.その結果,以下の知見を得た.①非モンスーン季には,日の出以降気温が急激に上昇し,モンスーン季よりも日較差が大きい.晴天日の日中においては,屋根素材のタイプによって屋根面温度の違いが明確に現れた.室温は,日中にはトタン屋根,夜間にはコンクリート屋根の住宅で最も高い.以上の結果から,室温形成に屋根素材の熱的性質が関与していることが検証された.②モンスーン季では,降水や高湿度の影響により,気温の日較差が小さい.日中においては,保水による昇温抑制効果が強いカワラ屋根と保水不可能なトタン屋根との温度差を反映し,室温は,トタン屋根の住宅で最も高く,カワラ屋根の住宅で最も低くなったと考察された.以上のことから,降水が室温に対し強く影響を及ぼしていることが明らかになった.
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
本研究では,JAの合併に伴う取扱量の増大を背景とした卸売市場の集約化がどのようにして展開しているのかを,JAつがる弘前によるリンゴ出荷を対象に明らかにした.その結果,卸売市場への出荷は,産地での袋詰めや希望価格の実現性の低さなど産地側の負担が大きいものの,JA内で在庫が発生した際などに大量出荷可能な大都市の市場への量的集中がみられた.その一方で,大量に出荷することのできない市場でも価格や等階級指定の緩さといった取引上の優位性がある市場や出荷量の増加要求のあった市場への出荷は増加傾向にある.しかし,同じ少量出荷している市場でも,取引に優位性のない市場への出荷は減少傾向にある.そのような市場と多量出荷可能な市場間での出荷するリンゴの等階級の重なりが,より一層少量出荷型市場からの撤退を促し,多量出荷可能な市場への集約化を進行させていることもわかった.
近年,地理情報システムを用いた歴史地理学研究が活発化しており,歴史的な地理情報の整備が進んでいる.しかし整備には多くの時間を費やし,また大量の歴史的な地理情報の取得や作成に適したシステムの整備は不十分である.住所を位置座標に変換する手法であるアドレスジオコーディングを用いたシステムは存在しているが,どれも現在の住所を対象とするものであり,明治・大正期の住所は扱うことができない.そこで本研究では旧東京市15区の住所を位置座標に変換するシステムを構築し,歴史的な住所を位置座標に変換する作業の効率化を図った.処理時間について計測を行った結果,十分実用的な速度で動作することを確認した.また,時期の異なる住所による認識率の比較を行った結果,1890年代から1920年代の住所において高い認識率を示すことが明らかとなった.構築したシステムは「近代東京ジオコーディングシステム」という名称で公開した.
河成層のみならず泥炭層が厚く形成された石狩低地において,湾頭デルタの陸化の過程とデルタプレインの発達過程を明らかにした.湾頭デルタの前進に伴う潟湖の埋積と陸化は,海水準上昇速度の低下した約8,000年前に始まり,上流側から下流側へ向けて進行した.陸化直後には河成層の形成が活発ではなく,泥炭層が形成される場合が多かった.約5,600~3,600年前以前にはクレバススプレイの形成やアバルションが生じており,上流側のデルタプレインでは,陸化直後から約200~600年間以上にわたって形成された泥炭層を覆って,河成層が形成された.約5,600~3,600年前以降には東アジア夏季モンスーンの弱化に伴う降水量の低下により河川流量が減少し,低地全体で河成層の形成が不活発となることで,泥炭地が広域的に発達するようになった.その結果,約6,500~6,000年前に陸化した下流側のデルタプレインでは陸化以降,流
鉢植えの緑は都市の路地空間の緑化に貢献するが,規模が小さくその分布を広域的にとらえることは難しい.本稿では,名古屋市那古野地区において敷地外に置かれた「あふれ出し」の鉢植えの分布を調査し,道路幅員との関係,および住民による鉢植えの管理や住民間の交流との関係を明らかにした.その結果,(1)幅員4m以下の路地では敷地の内と外のいずれかに設置場所が二極化するのに対し,幅員4~8mではその両方に並置するケースが増加し,幅員10m以上では地先への設置が多く見られた.(2)街路へのあふれ出しには交通に用いられない空間(デッドスペース)を利用していた.(3)設置者は,周辺住民との交流や各自の生活習慣に合わせて鉢植えの可動性を活かした柔軟な管理を行っていた.以上から,特に広幅員街路では,狭幅員の路地と同等かそれ以上の規模のあふれ出しが見られると同時に,多様な住民間の交流を通じて管理されていることが明らかと
本稿は,医療供給主体間の関係から長崎県における医療情報システムの普及過程を明らかにした.大村市で構築されたシステムは,参加施設数の増加ペースをあげながら県全域に普及した.県内スケールでみると,普及促進機関による協調行動が,異なる利害をもつ主体による共通のシステムの運用を可能にした.また,普及促進機関による職能団体との協調およびコスト負担の軽減を通じて,市町の領域を超えてシステムが普及した.市町内スケールでみると,長崎市や大村市では,地域医師会や地域薬剤師会における信頼関係が,診療所や薬局のシステムの普及に重要な役割を果たしていた.システムの普及は単なる技術的な問題ではなく,地域間で異なる職能団体の特性に依存することが明らかになった.本稿の結果は,情報通信技術が社会インフラとして機能するため,その普及や効果に地域差が生じる要因をさまざまな空間スケールから解明することの必要性を示唆している.
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
Online ISSN : 2185-1751 Print ISSN : 1883-4388 ISSN-L : 1883-4388
本稿では,大阪大都市圏を対象に,バブル経済崩壊後の戸建住宅供給の動向を分析し,社会経済的状況の変化が戸建住宅開発にどのように影響しているのか検討した.その結果,バブル経済崩壊後,インナーシティやスプロール郊外としての背景をもつ1975年時点での既成市街地における再開発的な戸建住宅供給の比重が増してきたことが明らかとなった.しかし,それは人口減少や住宅の老朽化の進む地域における小規模で断片的な再開発であり,地域人口の増加には必ずしもつながっていなかった.こうした既成市街地での戸建住宅開発には,バブル経済の崩壊や産業構造の変化などの経済的要因のほか,住民の高齢化や住宅の老朽化という人口と住宅のライフサイクルの影響が大きいことが確認された.以上の知見は,都市圏の構造変化と住宅供給の関係について,既成市街地における再開発的な戸建住宅供給の重要性を示すものである.
従来,日本の「地域」は町内会などの地縁組織を中心に編成されていた.しかし,今日では,ボランタリー組織など,地縁組織とは地理的・社会的に特徴を異にする新たな組織もまた,「地域」を構成するようになっている.本稿は,名古屋市緑区で活動する災害ボランティア団体を事例に,活動の展開の詳述を通じ,ボランタリー組織が地縁組織を中心とした既存の「地域」にどのように織り重なっていくのか検討した.同団体は設立当初,「地域」と接点を有していなかったが,公的機関とスムーズに連携できたことや,さまざまな動機で集まったメンバーのネットワークにより,地縁組織やほかのボランタリー組織と接点を築きながら,「地域」での防災活動の場を増やしていった.同団体の活動は,既存の「地域」を補完する一方で,既存の「地域」を前提としながら,地縁を越えたネットワークによる新たな「地域」の担い方を実践していると特徴づけられる.
本稿は、中世後期にしばしばみられる公家衆や将軍家庶流の子弟が室町殿の猶子となって寺院に入室する現象(猶子入室)の意味を検討したものである。 猶子入室は、これまでの研究において、室町殿による「寺院統制策」の一環として理解されてきた。しかし、実際には入室先の寺院や出身母体たる公家衆の側からの申請によってなされた事例が多いことを明らかにし、その背景として、室町殿猶子になることで有利な待遇を得られたことや、門跡の後継にふさわしい「貴種」が払底していたという中世後期の社会状況があったことを指摘した。 また、猶子入室は王家や摂関家の猶子をはじめ、各身分階層において確認でき、室町殿猶子だけを取りあげて室町殿による「寺院統制策」であると評価することは難しいとしたうえで、王家猶子の微増と室町殿猶子の減少が相関関係にないことも論じた。 さらに、室町殿猶子の数量や、猶子の出身家門に着目したとき、義満・義持期は足
足利将軍家の子弟や室町殿の猶子が門跡寺院に入室する目的としては、しばしば門跡寺院支配や統制が先行研究によって挙げられている。室町殿と血縁関係ないし擬制的親子関係を有する僧が門跡寺院へ入室するのだから、彼らの入室により室町殿の寺院に対する影響力が強まっていったであろうことは想像に難くない。 ただし、これまでの研究では、肝腎であるはずの入室の契機に関する検討を欠いたまま室町殿の主体性を自明視してきたため、室町殿と公家・寺院との関係性や、寺院に対して室町殿の影響力が強まっていく背景が適切に捉えられていない。とりわけ、門跡寺院の附弟選定が各権門間における合意形成の場であったにもかかわらず、それまで寺院に子弟を送り込んできた天皇家や公家、あるいはその受け皿となった寺院側の動向が検討の対象とされてこなかった点は研究史上の不備であり、入室の多様な意義を曇らせてしまっている。 そこで本稿では、将軍家子弟や
本稿の目的は、「大学の運営に関する臨時措置法」の成立過程を明らかにすることである。政府は、日本全国に波及した大学紛争に対応するため、1969年に臨時措置法を制定した。 第1章では、1968年までの政府と自民党の大学紛争対応を分析した。自民党では、教育制度改革の必要性を主張する坂田道太が党の文教政策を主導した。そして、1968年11月30日、佐藤栄作総理大臣は、内閣改造を行い、坂田を文部大臣とし、保利茂建設大臣を官房長官とした。 第2章では、1969年以降の自民党の動向を検討した。東京大学での紛争の激化や、岡山大学で警官が殉職するなど、大学紛争が激化した。自民党内では、日米安全保障条約改定の観点から大学紛争を捉えるようになり、政府に強硬な対応を強く求めた。 第3章では、政府の法案作成過程を検討した。政府内では、保利官房長官と文部省が法案作成を行った。保利は沖縄返還実現のため早期の紛争沈静化が
ボナパルティスムとブーランジスムの関係は、しばしば両者の政治文化的な類似性が指摘されてきた一方で、ブーランジェ事件下のボナパルト派に関する研究は少ない。本論文は、ヴィクトル派という当時のボナパルト派内の多数派集団に着目し、フランス右翼史の画期とされるブーランジェ事件に対峙した時期のボナパルト派の実態解明を試みた。 1880年代後半のヴィクトル派内では、王党派と帝政派の議会グループ「右翼連合」を支持するポール・ド・カサニャックと、これに反対するロベール・ミシェルの間で激しい対立が存在した。この対立により、セーヌ県では帝政派コミテという下部組織が乱立し、カサニャック派とミシェル派に分かれて激しく対立する事態に陥った。1888年春、ヴィクトル公と中央コミテが統制を図った結果、セーヌ県のヴィクトル派組織は、対立の一方で完全には分裂していないという状況で、ブーランジスムの高揚に対峙することになる。
1885年12月22日に創設された内閣制度は、その根拠法令たる内閣職権で首相に法令・命令(勅令)への副署義務を課すことを通して、「大宰相主義」と呼ばれる強い権限を与えていた。これは、内閣職権の後に制定された公文式でも確認されたが、公文式はこれに加えて法令の起案主体を内閣と規定したことで、執政における大臣責任制と君主無答責をより一層明確にしていた。 首相権限が強力な形で制度化されていた一方、内閣制度創設に際し軍備編成の規模をめぐって軍部大臣人事が問題となっており、内閣制度創設後も伊藤博文首相・井上馨外相・松方正義蔵相など文官閣僚と大山巌陸相ら陸軍主流派との間で軍備構想の相違が見られた。 かかる中で、大山陸相ら主流派が主導して進めた陸軍武官進級条例・陸軍検閲条例改正に対し、反主流派の四将軍派が定年進級の導入や検閲機関としての監軍部廃止を問題視し、主流派と四将軍派との間の陸軍紛議に発展する。軍備
秦漢時代を対象とする歴史研究において、郷里社会における人的結合を究明することは、当該時代の特質を描きだすとともに秦漢国家形成論にもつながる重要な課題である。従来の主な議論では、任侠や爵制あるいは血縁や地縁が着目されてきた。本稿では、諸研究の成果を踏まえ、出土文献や編纂史料を分析し、犯罪者およびその犯罪者を救わんとする者の関係を構築する原理を明らかにして、秦の統一国家形成と関連づけた議論を行う。 第一章では、『睡虎地秦墓竹簡』『嶽麓書院藏秦簡』『二年律令』に抄録される法律条文から、犯罪者およびその犯罪者を救わんとする者の関係を確認し、親属と「所知」二つの人的関係を指摘する。また、犯罪者およびその親属と「所知」には強い人的結合が存在したことも確認する。 第二章では、国家が法律条文において、危機に瀕した者を救済する資格を、その親属と「所知」のみに認めていたことを指摘する。その上で、『嶽麓』で親属
国家の栄典たる国葬は、戦前の20例に対し、戦後は1例のみにとどまり、代わって国民葬や内閣・自由民主党合同葬儀などの形が登場した。この展開は何によりもたらされたのか。本稿は、昭和42年の吉田茂国葬、昭和50年の佐藤栄作国民葬、昭和55年の大平正芳内閣・自由民主党合同葬儀の3例を検討対象とし、国家勲功者に対して内閣が主体となり執り行われる公葬と、それを取り巻く問題から、戦後日本の国家における顕彰・追悼の姿を検討するものである。 吉田の国葬に際し、宗教的形式の採用によって政教分離への批判をおそれた政府は、国葬から宗教色を排除する。そのため、明治以来、神道式で行われてきた儀式の連続性が途絶え、新たな形式が登場する。またこれは閣議決定により実施された。だが日本国憲法下で、この「国家による葬儀」の決定過程に議会が参画しないことに対する批判が湧き上がる。さらに佐藤が国葬とされなかったことは、権衡の関係か
古代の日本では、官人への出身や得度に際し、戸籍を勘検して身元を確認する勘籍が行われていた。その勘籍に関する木簡が、二〇〇五年、徳島県の観音寺遺跡ではじめて出土し、注目を集めた。阿波国名方郡に本貫をもつ資人の勘籍について、国司が解で報告するという内容をもつ。この木簡が示す勘籍の手続きは、後に『延喜式』(式部上)の条文にもなる帳内・資人特有の勘籍方式である。すなわち、本貫の京・国が保管する戸籍でもって勘籍を行い、その結果を式部省に報告し、それを受けて省が補任する。通常の勘籍が人事を所管する式部省・兵部省と民部省との間で行われるのに対し、帳内・資人の場合、戸籍の勘検そのものを本貫地で行い、民部省が介在することはない。 こうした特殊な勘籍のあり方は、本主との関係と、トネリとしての歴史性に由来する。貴人の従者である帳内・資人は、本主との強固な主従関係を有し、人選から任用まで一貫して本主が主導していた
本稿では、革命期ロシアで活動した二人の知識人、ミハイロ・フルシェフスキーとボリス・ノリデの学問的・政治的著作と実践政治の分析を通じ、当時の「ウクライナ問題」の展開を、「自治」という国制をめぐる論争という観点から分析した。特に、両者の活動のなかで、歴史研究、評論活動、実践政治が緊密に結びついていたことに注目した。 第一章では、近世にウクライナの地に存在したヘトマン領自治についての二人の研究を扱った。両者は全く異なる問題関心から近世ヘトマン領自治にアプローチしていたが、一六五四年のヘトマン領とモスクワ国家の合同のみならず、一八世紀の自治の廃止まで通時的に論じることで、その歴史学的研究の水準を大いに進展させた。 第二章では、二人による同時代の国制論議を検討した。ウクライナ民族主義者のフルシェフスキーは、ヘトマン領を民族の栄光の歴史の一部とみなし、同様の領域自治を、民族の自然権に依拠して達成するこ
近年のベトナム史研究では、十七~十八世紀の紅河デルタにおける自律性の高い村落の形成過程が議論されている。しかしながら人口過剰、耕地開発の限界と相次ぐ天災で多くの農民が流亡した十八世紀に各村落がいかなる戦略を採ったのか、いまだ十分には解明されていない。そこで本稿では村落から人員を供出して祠廟・仏寺や地方官衙の維持管理に当たり、その代わりに公的負担を減免される皂隷や守隷に注目し、公的負担の減免という権益の維持・拡大を官に働きかける村落の動きに光を当てることで、村落住民の戦略を考察した。 十七~十八世紀には多数の村落が皂隷・守隷として公課を減免されたが、同一村落であっても時期によって免除される公的負担が変化しており、皂隷・守隷の権益は流動的かつ不安定だった。村落に対する税・役の賦課は地方官吏にとって自身の私腹を肥やす機会でもあったため、地方官の側が皂隷の村落に対して本来免除すべき負担を賦課する事
党の正史である『立憲政友会史』は、政友会院外団の成立を一九〇三年一二月とした。しかし一九〇〇年の発会以来、すなわち初期政友会(伊藤博文総裁期)において院外団は活発に活動した。その背景には党組織の不安定があり、安定した政党組織の確立は政友会が桂園体制の一翼を担う前提となった。 本稿は、政治史・政党史研究の枠外におかれてきた院外の動向に着目し、政友会院外団の成立過程を検討することで、政友会の組織構造や党幹部との関係から院外団を位置づけなおすことを試みる。その目的は、第一に院外団の検討を通して政友会の組織強化過程を示すことで同党が統治主体化する前提を明らかにし、第二に院外団の意義と限界を示し従来の院外団イメージの再検討をはかることにある。 本稿の成果は以下のとおりである。初期政友会における院外団は、議会を中心に離合集散した代議士経験者と代議士予備軍・壮士の連帯であった。院外団は〈硬論による党幹部
室町幕府の経済基盤は、基本的に、鎌倉幕府のそれを継承して、直轄領からの収入と、地頭御家人の経済的奉仕に依拠していた。しかし、両者ともに機能が低下するなか、室町幕府は、建武政権の施策を参考に、新たな賦課を開始した。地頭御家人に恩賞として給与した所領に、低額の年貢を賦課する制度で、「新恩地年貢」と呼ばれた。 本稿では、室町幕府初期の財政基盤を検討するため、おもに「新恩地年貢」を分析した。史料上に「五十分一年貢」とある賦課も同じものとみなし、以下のように分析した。幕府が所領の年貢総量を把握している場合は、年貢の五十分一を賦課し、把握していない場合は、把握した耕地である「公田」の面積を基準に算出して賦課した。年貢総量を基準とする賦課は、建武政権で採用された新しい方式である。南北朝期における年貢総量の把握の様子も概観した。また、対象となる新恩地は、室町幕府が給与したものだけでなく、建武政権が給与した
本稿は、明治中・後期(1888~1912年)における皇室財政の制度と実態について、基礎的な検討を行うものである。 1888~1893年度においては緊縮財政路線がとられた。一方、この時期の宮内省内蔵頭の杉孫七郎は、平常の財政運営に関しても伊藤博文の指導力に依存する傾向があり、また主に元老によって構成される皇室経済会議が皇室財政を監督する体制を支持していた。 1894年度以降、皇室財政は次第に膨張へと転じていく。そうした中で内蔵頭の渡辺千秋は、御料地経営の収益を組み込んだ統一的な財政制度の確立や、借入金の完済などを提起した。また渡辺は、杉内蔵頭の時代とは異なり、平常の財政運営に関しては、宮内省は自ら問題を処理する能力=専門性を備えつつあると認識していた。 1903年以降、帝室制度調査局において皇室法の検討が活発化していった。同局および宮内省内での検討を経て、1910年に皇室財産令が、1912年
本稿は、十~十三世紀の期間を主として、中世的天皇の形成過程の検討を行うものである。中世的天皇の特徴として、個人としての側面と機関としての側面の二面性を持つことが指摘されてきたが、そのような二面性の分化過程を、特に天皇の「隠蔽」に関する検討を中心に明らかにすることを目指す。従来古代~中世の天皇変質に関しては、その相対化ばかりが注目されてきたが、実際には形式的ながらも絶対化も並行して行われていたことを明らかにする。 本稿で扱う天皇の「隠蔽」は、御簾と「如在」の利用を主とする。実在しない霊魂や神々を存在するとみなす中国の作法であった「如在」が、十世紀の日本では不出御の天皇を出御しているとみなす、天皇機関化作法に展開していたことを指摘する。そして村上天皇による母藤原穏子に対する服喪時に、清涼殿で「尋常御簾」を使用したことが、倚廬で服喪・忌み籠りしていて清涼殿に不在という天皇の個人的側面を「隠蔽」し
本稿は巴蜀地域と洞庭・蒼梧両郡への遷徙傾向の比較を出発点に、統一秦における洞庭郡遷陵県の開発の状況を検討する。岳麓書院蔵秦簡や里耶秦簡を見ると、巴蜀地域と洞庭・蒼梧両郡への刑徒や「従人」の遷徙例では①遷徙目的、②移動の禁止、③移送方法が共通している。これは洞庭・蒼梧両郡が置かれると、戦国秦において成立した巴蜀地域への遷刑が両地に援用されたことを示す。言い換えれば、新領土に外部から労働力を供給して開発を行うというモデルが巴蜀において完成し、それが洞庭・蒼梧郡に援用されたということになる。 洞庭郡遷陵県の移入人口を見ると、巴郡と南郡からの移入が多数を占める。この傾向は周辺郡がすでに秦の習俗が浸透して久しく、同時に土着の習俗が洞庭郡のそれに近いので、洞庭郡の開発に便利であり、さらに秦による新領土経営の経験が洞庭郡経営に利用できることが反映されていると言える。 刑徒の移入傾向を見ると、その多くが反
本稿は、19世紀末から20世紀初頭のイズミルで発生した2つのコレラを事例に、細菌学という新たな科学知の受容、病気という現象の理解、そして現実の疫病対策への影響という理論と実践の両面から、近代オスマン都市の疫病対策を検討する。そしてコレラ対策の中心となった行政医たちに着目し、こうした疾病理解や新聞や雑誌の急速な発達の中で、近代オスマン帝国の衛生政策に地方社会がいかに組み込まれていったかを考察する。 1910年から11年のイズミルにおけるコレラ流行では、それに先立つイスタンブルでの細菌学研究所設立の影響もあり、上水道の断水や患者の隔離の徹底が対策の中心となるなど、1893年の流行の際とは異なる対策の新たな局面も見られた。しかし他方で、コレラの発症には人間側の条件、すなわち人間の身体にコレラ菌の生育に適切な環境が必要であるという理解の下、以前の流行の際に見られた行政・個人双方での諸対策も、「細菌
本稿は、筆者が新たに発見した政治学者・矢部貞治が書いた三点の史料にもとづき、共同体的衆民政と協同民主主義の異同、すなわち戦前・戦時・戦後の連続/断絶を詳らかにし、その成果にもとづいて、周知の矢部の憲法改正案と天皇退位論を再検討するものである。 敗戦を前にした矢部政治学は、戦時期の自己批判によって二度目の発展を遂げた。 デモクラシー論では、南原繁の政治哲学に接近した。デモクラシーの本義を「古代人の自由」に見出し、共同体的衆民政が孕んだ全体主義に堕す構造的問題を克服した。それは戦前への単純な回帰ではなかった。協同民主主義は、戦前の自由的衆民政と共同体的衆民政ないし協同主義を止揚したものだった。地域の生活協同体の自治に国民が参加することで、自由と公共性を両立した民族共同体の構築をめざした。 国体論では、里見岸雄の国体論を採り入れ、一君万民論から君民一体論へ変化した。しかし、それは戦前から影響を受
本稿は、近年盛んになりつつある「軍隊と地域」研究の一環として、日露戦争後の軍拡期に第十三師団が立地した新潟県中頸城郡高田町(現上越市)を対象とし、地方都市が地域振興のために敷地を献納してまで軍隊を誘致し、軍隊と共存しうる市街地の改造に努めつつも、様々な負担の重圧から政治的・財政的混乱を引き起こしてしまう経緯を解明することを目的とする。 前半では、高田町がすべての敷地の献納を公約して師団の立地を得たものの、敷地買収のための公借金が過重であることに加え、政友会との政治的な対立の中に投じられ、師団誘致を進めてきた非政友系町長の辞職を余儀なくされるなどの混乱を引き起こしてしてしまう経緯を追った。また、高田町の負担額は陸軍省によっていくぶん軽減されたものの、新たに小学校の増改築にも迫られ、長期債への借り換えによってかろうじて財政破綻は回避された。しかし、その償還費が以後の町財政を圧迫して新規事業に着
1990年代初頭からドイツ歴史学の中で活況を見せる歴史犯罪研究は、中近世における傷害や殺人などの暴力をはじめとする犯罪の社会史を論じている。その系譜は、ドイツ社会史研究の盛り上がりや、人類学にも接近した「新しい文化史」の台頭といった、1970年代以降の歴史学の趨勢に位置づけられる。G・シュヴェアホフやM・ディンゲス、J・アイバッハといった研究者は、犯罪社会学の概念やP・ブルデューの名誉や男性性に関する見方を積極的に摂取することで、N・エリアスの文明化論でしばしばネガティヴに描写されてきた前近代の暴力を文化史的に捉え直した。すなわち、とくに男性間での名誉をめぐる揉め事に、中傷や挑発の言動に端を発して最終的に身体的な実力行使に至るというエスカレートの規則性や儀礼化を見出すことで、感情や攻撃欲の無制限の発露、非文明的な行為としての暴力像を退けた。こうした理解はその後の研究に受け継がれつつも、P・
これまで、明治期の横須賀造船所の事業状況に関する研究は主に焦点を国内の軍需と民需の両面にあてて論じているが、本稿は外国船の修理という視点を導入し、明治一六年の海軍軍拡の開始まで、船舶の修理事業に重点を置いた横須賀造船所の事業状況、とりわけ外国船修理の受入れに対する造船所・海軍省の態度ついて検討を試みました。 この時期、部外船の修理の受入れに対する海軍の態度に関する考察として金子栄一・小林宗三郎、室山義正らの研究があげられる。これらの研究は修理船の外需の排除を海軍の方針として理解し、その上で、ヴェルニーの解雇の原因として外国船修理に関する彼の方針への海軍の反発があったと理解している。さらに、ヴェルニーが解雇されて以降も、造船所が依然として広く外国船の修理に従事したことについてそれを海軍の意図に反するやむを得ない選択として理解している。 しかし、前掲の各研究は史料的制約に規定され、その説は充分
戦間期の帝国日本において、朝鮮総督府や満洲国といった外地政府は中央政府(内地政府)の介入を拒絶するほどの自律性を持ち、内地政府はそれらの外地政府に影響力を及ぼし、あるいは交渉することを繰り返し試みた。帝国日本におけるこうした内外地間の政治過程についてはある程度の研究蓄積があるものの、大恐慌の克服とブロック経済の構築のため、外地政府との協調の重要性が増した満洲事変後の政治過程については、未解明の部分が多い。本稿は、1930年代において内地政府が朝鮮総督府および満洲国と交渉し、帝国大の経済政策を形成する過程を検討するものである。分析に際しては、特に激しい利害対立が内外地間で見られた農業政策に注目する。したがって本稿は、内地政府のうち農林省が植民地政府と展開した交渉の過程を跡づける。 1930年代前半、農林省はまず朝鮮総督府との米穀統制をめぐる対立に直面した。恐慌下で米価の低落に喘ぐ農村を擁護す
本稿は、1990年から91年にかけてのコメコン改革ないしはコメコン後継組織の設立をめぐるソ連の方針とコメコン内の交渉過程について分析したものである。コメコンに関する研究史では、この時期のコメコン内の動向を扱った研究はほとんどなく、1989年の「東欧革命」以降、コメコンは自然消滅したとする見方が今なお有力である。これに対して本稿は、旧ソ連・東ドイツのアーカイヴ史料をもとに、この時期のコメコン内の交渉過程を実証的に分析し、以下の結論を得た。 1990年以降のコメコン改革をめぐる交渉で、当初、ソ連はコメコンの枠内で経済統合を進めようとしたが、中欧3国(チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド)の反対を受けて大幅に譲歩し、協議を主目的とする権限の弱い国際経済関機構(OMES)をコメコンの後継組織として設立することに同意した。しかし、コメコンには欧州域外の国々も加盟しており、とくにキューバが非欧州
本稿の目的は、一九三二年~一九三四年に北海道庁(以下、道庁と略記する)が北海道を対象として推進した農業移民政策の検討を通じて、二つの移民政策の受け手側に立つ農家自身の主体性の一側面を抽出する。本稿では、北海道第二期拓殖計画(第二期拓計)下の農業移民政策(民有未墾地開発事業)とブラジル移民政策が、競合関係にあったことを論じた。一九三二年の拓務省による支度金交付は、凶作・水害下の道内農家に対して、ブラジルへの移動という選択肢を与えるものであった。北海道における一九三二年~一九三四年のブラジル移民の増加は、拓務省が提示した選択肢を選んだ農家が少なからず存在していたことを示す。生活維持が困難な農家の立場からすると、一定程度の資本が必要となる民有未墾地開発事業よりも無資本でも受給できる支度金は、利用しやすい政策であったといえよう。ただし、農家の移動・定着を決定づけたものは、道庁・拓務省といった政策主
本稿は、西日本の政党の動向と、懇親会という運動形態に注目することで、民権運動の停滞期(明治一六~一八年)に特有の運動の論理と展開について解明しようとするものである。 明治一七年の関西懇親会は、自由党と立憲政党の主導のもと準備・開催された。同懇親会は、大同団結が強調され、関西を中心に多数の地域から参加者を得たほか、四大政党の関係者が一堂に会するなど盛況を極めた。党派と地域を問わず、広く同主義の人々を糾合し、持続的に懇親を重ねることで、緩やかな連帯の成立を目指した点に同懇親会の特質があった。こうした特質をもつ懇親会は、集会条例改正後の「隔地割拠」(中央―地方関係の疎遠化)と、偽党撲滅運動後の党派対立の激化という、当該期の政党運動が抱えていた課題を克服する可能性を有するものであった。 以上のような特質を帯びた懇親会は、人々が集まって親交を深めるような単なる懇親会ではなく、規約・主義に基づいた、組
本稿は、毒ガスの一種である催涙性ガスの戦間期日本における使用事例から、警察概念の援用が戦時国際法解釈・運用にどのような影響を与えたのか考察した。 第一次世界大戦後の国際社会では、毒ガスの戦時使用を国際条約で禁止しようと改めて試みられる一方で、治安維持やデモ制圧など催涙性ガスの警察使用がアメリカを中心に普及していった。日本陸軍はアメリカ軍人の議論の受容や一九三〇年の日本国内における催涙性ガスの警察使用への導入を通じ、催涙性ガスの警察使用を例外的に人道的と見做す発想を定着させた。 一九二五‐三四年に開催されたジュネーヴ一般軍縮準備会議・軍縮会議では、催涙性ガスの違法性や警察行為の位置づけが初めて問題化した。参加国の大多数が催涙性ガスを含む毒ガスの包括的禁止を求めたが、アメリカは催涙性ガス使用、特に警察使用の特例化を主張し、戦時使用は禁止する一方警察使用は容認するという催涙性ガスの特異な位置づけ
近世ヨーロッパ史研究では、ここ半世紀のあいだに近代化論から離れ、近世国家の特質をめぐる議論を展開してきた。この傾向は、近世アルザス史研究にも、フランス絶対王政の新たな理解に基づく再考を促した。しかし、一七世紀のアルザス譲渡以降についてフランスとの関係にのみ注目し、神聖ローマ帝国とのつながりを度外視するならば、同地域の秩序を根本的に理解することはできない。近年では両関係が考慮されつつあるが、いまだ事例研究の数は少なく、まして体系的な研究には至っていない。それゆえ本稿では、アルザス最大勢力であるシュトラースブルク司教の訴訟を事例とし、帝国、王国、アルザスの諸権力を視野に入れて同地域の秩序を描き出すことを試みた。 具体的には、第一章にて近世アルザス史を概観し、第二章にて前述の訴訟を分析し、第三章にてアルザス周辺の紛争と解決における特質を浮かび上がらせた。特質として、以下三点を指摘できる。第一に、
天皇像の歴史を君主(monarch)の歴史の共通性において、また特異性において理解したい。ちなみに西洋史で、両大戦間の諸学問をふまえて君主制の研究が進展したのは1970年代からである。2つの面からコメントする。 A 広く君主制(monarchy)の正当性の要件を考えると、①凱旋将軍、紛議を裁く立法者、神を仲立ちする預言者・司祭といったカリスマ、②そうしたカリスマの継承・相続、③神意を証す聖職者集団による塗油・戴冠の式にある。このうち②の実際は、有力者の推挙・合意によるか(→ 選挙君主)、血統によるか(→ 世襲君主)の両極の中間にあるのが普通である。イギリス近現代史においても1688~89年の名誉革命戦争、1936年エドワード8世の王位継承危機のいずれにおいても、血統原則に選挙(群臣の選み)が接ぎ木された。天皇の継承史にも抗争や廃位があったが、万世一系というフィクションに男子の継体という m
六世紀に即位した継体天皇は、応神天皇五世孫とされる出自、近江・越前と推測される政治基盤といった特徴から、関心の集まる古代天皇(大王)である。 継体天皇への着目は、近代では『日本書紀』の紀年論からスタートし、皇室内部の並立を想定する学説や陵墓の比定問題へと展開していった。これらの学説は戦後の古代史・考古学にも強い影響を与え、継体・欽明朝の内乱説や三王朝交替説などの議論をもたらしている。 その一方で継体天皇は、明治期の皇室典範制定において注目されたことも重要である。典範草案の起草者・井上毅は、天皇の正当性を支えるものを血統、すなわち「万世一系ノ天皇」(A line of Emperors unbroken for ages eternal)に求めた。そのときに傍系10親等から即位した継体天皇の位置づけは、皇室典範が起草された当時の現実の課題なのであった。 歴史のなかで過去の天皇がどのように認識
本稿の目的は、近世後期の尊王思想の流通について、幕府の政策(出版統制と編纂事業)との関係で再検討することである。ここでいう尊王思想とは、大政委任論・「みよさし」論・朝廷改革構想・尊王攘夷思想等を念頭に置いている。先行研究は、これらの尊王思想に関してその形成過程や機能に着目してきた。例えば、中国思想(朱子学)との関係や、内政状況(宝暦・明和事件や尊号一件)、外政状況(対露関係やペリー来航)、幕末の政治状況(将軍継嗣問題や安政大獄)等への着目である。 これらの研究は、尊王思想についての基礎的な成果と見做すことができる。その上で、次の課題は以下の二点である。一点目は、尊王思想の流通と幕府の政策との関係である。近世後期の尊王思想は、天皇・朝廷の権威の上昇や対外危機の勃発によって、幕府の統制を越えて流布したというイメージがある。このイメージは、天保改革における出版統制の強化によって補強される。しかし
治承・寿永の内乱の偶然の産物として、前例のない武家政権が関東に成立した鎌倉時代において、天皇と武家の関係をどのように考えるのかは中世国家論の焦点であったが、鎌倉時代人の《現代史》認識においても難問であったため、鎌倉時代には様々な天皇像・歴史叙述が生み出されていた。本稿では、そうした天皇像の語りが、政治状況と交錯しながら、どのように変化してきたのかを論じた。現実に機能した天皇像・歴史像のもとでどのように「史料」が生成し、それらを後世の歴史家がどのように読みといたのか、複層的に議論を進める。 鎌倉時代は三度の皇統断絶を経て、天皇像の危機的な状況が生まれる一方で、新たに登場した武家政権の位置づけをめぐって武家像(将軍像)を含みこんだかたちで、天皇像が新たに語られ、また、人びとも天皇像について自らと関連づけて語り始めていた。武家を組み込んだ天皇・藤原氏の像を歴史叙述として体系化したのは『愚管抄』の
本企画の趣旨は、天皇像―すなわち天皇の(図像ではない)イメージ、天皇のあり方・あるべき姿をめぐる像―を分析対象とし、列島のさまざまな時代におけるその形成、変容、利用のあり方を考える、というものである。特に留意したのは、具体的な時代状況・政治過程のなかで考えるという視座と、媒体となる史料・書物に焦点を当てるという方法であった。 本企画はいうまでもなく、天皇の代替わりをめぐる動向が、国民的な関心をあつめている社会状況を強く意識して企画・開催された。この代替わりに先行して、天皇明仁(当時)による、過去の天皇についての歴史認識をふまえた、現代の日本国憲法下での天皇の役割をめぐる積極的な発言、行動がみられた。国際環境の激動のもと、国内政治・経済の新たな動向が模索される社会において、こうした明仁天皇の言動は強い印象をもって受け止められ、それによって現代日本における天皇(皇族も)についての従来の像・イメ
第一次世界大戦以後における国際協調の機運や平和的思潮は、海軍にも大きな影響を与えた。特に一九二二年のワシントン海軍軍縮条約の締結はその顕著な例であろう。こうした時期において、海軍は如何なる広報活動を行って、地域社会との関係を構築しようと試みたのか。この問題については、近年の先行研究では海軍当局による宣伝活動のほか、特に軍港という空間に着目して、海軍と地域社会・民衆との関係性を問う社会史・地域史的研究が蓄積されつつある。 そこで、本稿では軍港ではなく、関東州へ巡航する艦隊に着目し、巡航中の海軍と寄港地の状況、両者の相互関係を検討することで、大正期における海軍の平時行動の実態を明らかにするとともに、海外租借地である関東州との関係を考察し、海軍と地域社会との関係の新たな一側面を明らかにすることを試みた。 第一章では、海軍の演習、訓練などの平時の艦隊行動を整理し、こうした艦隊行動の一環としての巡航
一般的に、唐代藩鎮は中央集権支配に反目した負の印象が強い。しかし近年の研究により、唐が軍事・行政・財政等、諸方面に亘って藩鎮に依存していたことが明らかとなった。唐は、藩鎮体制というシステムがあったからこそ、安史の乱後も存続することが出来たと言っても過言ではない。ただし、朝廷と共存関係にあった唐代藩鎮は、僖宗(きそう)期の黄巣(こうそう)の乱を境に変質していったとされる。では、唐代藩鎮体制は具体的にどのような過程を辿って破綻に至ったのだろうか。本稿ではこの点を解明すべく、僖宗期の軍事政策に如何なる過失があったのかを分析し、唐滅亡と唐代藩鎮体制との関連を考察した。 黄巣の乱が勃発した際、朝廷は、乱に遭遇した現地の節度使に対応させるという基本戦略を採用した。しかし、現地兵は実は賊と表裏一体であったため、この戦略は有効ではなかった。そしてより重要な問題は、黄巣の乱前半期、本来唐の軍事力の根幹であっ
「協同一致」の論理とは、陸海軍が完全に意見一致することで、軍事協同作戦の遂行が可能になるという論理であるとともに、天皇への輔弼責任の保障という軍による輔弼の在り方を建前とした、陸海軍間や他の国家機関との間における自己正当化の論理だった。本稿は、「協同一致」の輔弼責任を保障していた元帥府・軍事参議院を分析軸として、昭和戦前期における陸海軍関係の一端を解明することを目的とした。 日露戦後、軍事参議院は戦闘用兵事項について軍政・軍令機関の「協同一致」の輔弼責任を保障する役割を担った。元帥府には国防用兵事項について統帥部が諮詢奏請、元帥会議による全員一致の奉答を経て裁可を仰いだ。両統帥部が「協同一致」の輔弼責任を元帥府奉答で仮託することで、内閣と対等の立場で国防用兵事項の決定に関与するという政治的正当性を具現化していた。 この「協同一致」の論理が動揺したのが、ロンドン条約批准問題だった。参謀本部は
「恩倖(おんこう)」は皇帝の寵愛、またはそれを受けた者を意味する。中国の正史に歴代立てられた恩倖伝のなかでも、特に『北斉書(ほくせいしょ)』恩倖伝は、北族武人や西域胡人等を含むという民族的な多様性によって注目されてきた。本稿では、北斉「恩倖」が隋代以後の中央集権に繫がるという問題意識のもと、その代表的な人物である和士開(わしかい)の墓誌、及びその父である和安(わあん)の碑文を用いて、恩倖がどのように皇帝・権力者と結びついたのかを検討した。 まずは『北斉書』恩倖伝にいう「恩倖」とは何かを、序文や「和安碑」から分析した。その結果、北斉「恩倖」の焦点は皇帝や権力者に突如接近し、朝政に関与した人々にあったことを指摘した。次に、そうした中央権力との関係を支えた要因として、「和安碑」「和士開墓誌」にある「嘗食典御(しょうしょくてんぎょ)」「主衣都統(しゅいととう)」という官職に注目した。両官の職責は基
本稿では宇都宮城下の古着商人・沢屋宗右衛門(沢宗)と丸井屋伊兵衛(丸伊)を対象に、各々の経営をふまえ、仕入れと販売の面から取引を分析・比較することで、宇都宮という地方集散地における古着流通の有り様を明らかにする。 城下の古着仲間内で行われた直接取引では両者に特徴的な様相はみられないが、城下外の諸所との仕入れ・販売取引では差異が明らかであった。 仕入れの面では、丸伊は文化期末から積極的に江戸へ赴き、呉服・太物類を扱う問屋と取引をした。さらに足利から結城にかけての織物生産が盛んな地域で、払物や仕立て直し品を含むとみられる商品を仕入れた。ここでは前貸しによる委託という問屋的性格もみられ、当地域での取引が経営の成長に繋がったと考えられる。一方沢宗は江戸以外の地域へ出向いた様子はなく、江戸商人との取引も顕著なのは文政期初頭までとなり、太物の扱いが主という傾向もみられた。質屋を兼業したため、城下や在方
本稿は、環境史的視野をもった消費論、環境史的消費論を構築するために、中世の近江国菅浦における産物の消費実態の考察から、生業の構造とその変化を解明したものである。 網野善彦が「湖の民」と述べたように、菅浦については内水面を対象とした二つの生業、漁撈と水運に従事したムラというイメージが流布している。しかし、まず近世菅浦研究がそのイメージを一新し、中世菅浦研究もそれに続こうとしている。それは、アブラギリ生産など、「集落とその背後などの陽当たりのよい傾斜地」を対象とした生業の重要性を提起したものと総括できる。 建武二年(一三三五)に進上を誓約したとされる供御、コイ、ムギ、ビワ、ダイズのうち、コイが長禄元年(一四五八)には代銭納化されていたのに対し、ビワは禁裏に献上され、都市領主社会内部でも分配されていた。十五世紀の王権と都市領主にとっては、菅浦はビワの名産地という位置づけであった。 一方、琵琶湖地
本稿は日ソ戦争直後にスターリンが満洲の日本人捕虜をソ連領内に移送して労働使用する命令を発令する過程と、ソ連極東軍が日本人捕虜をソ連領内に移送する過程が、常にアメリカが関与する状況の中で進められていた可能性についてソ連とアメリカの史料に基づいて検証することを目的とする。 ソ連では捕虜の労働使用が積極的に行われ、経験的にも技術的にも定着して制度化されていた。独ソ戦においてソ連は戦争終結後にもドイツ人捕虜の抑留と労働使用を計画したが、アメリカの反対が予想された。これに対してソ連はドイツの捕虜収容所からソ連軍が解放したアメリカ人を抑留状態に置き、その帰還者数を制限することによりアメリカの反対を抑えようとした。 日ソ戦争では日本人捕虜の取り扱いは独ソ戦争の経験に基づいて行われ、捕虜をすぐにはソ連領内に移送せずに武装解除地点に捕虜収容所を設置して収容状態を維持する命令が発令され、七日後にスターリンから
明治22(1889)年に制定された(明治)皇室典範(以下、典範)は、皇位継承や皇族など皇室に関する重要事項を定めた。本稿は、従来等閑視されてきた元老院議官の制定への関与に着目した上で、典範によって規定された皇室の自律性を明らかにするものである。 典範草案の多くは、柳原前光や尾崎三良など、近世朝廷関係者で三条実美を人脈的結節点とする元老院議官によって作成・協議された。それらは、井上毅の意見とは異なり、天皇の皇族に対する監督権(以下、皇族監督権)を尊重しながら、皇位継承順序・摂政就任順序の変更などは元老院へ諮詢されねばならないとした。背景には、皇室の自律性確保や元老院の権限強化といった志向がうかがえる。 しかしながら制定を主導した伊藤博文は、皇族監督権を容認する一方、皇位継承順序の変更については、皇室の政治からの独立性を担保すべく、元老院のみならず内閣への諮詢も否定した。こののち柳原は、伊藤・
本稿では、五~六世紀を中心として華北の諸政権において行われた雅楽の復興・再建のプロセスに注目し、楽制史の観点から、中国の「正統」というものを見直した。 後漢末から五胡十六国時代にかけての混乱によって漢以来の楽制が失われたのち、華北を手中におさめた北魏は、四世紀末から五世紀に鮮卑の音楽を利用して新しい楽制を立てた。しかし、それも爾朱兆の洛陽襲撃によって失われる。その後、北魏末に西涼楽を利用して楽制の欠を補うことがなされた。西涼楽とは五胡十六国時代、呂光が西域地方の亀茲楽に関中地方の秦声をまじえて作った音楽のことである。 この西涼楽を中心とした雅楽は、北魏の流れをくむ北斉・北周両王朝にも踏襲されて「中国」の音楽の基本となった。ただし、西涼楽は本質的に「中国」の伝統的な音楽ではなかったから、それを「中国の伝統」に則ったものとして見せかけるために、北斉・北周両王朝においては、理想上の周の制度につい
本稿は、文化史上特に重要とされながら、これまで研究が僅少であった、平安時代における書筆に優れ文字を巧みに書いた人々、「能書」の性質について考察を行ったものである。当該期における「能書」は、種々の依頼(命令)に応じてさまざまな文書の清書を行うという、彼らにしか行い得ない独自の社会的役割を持っていた。こうした彼らの書に関する能力は、九世紀初頭より十世紀後葉頃までは、紀伝道を中心とする大学での学習、あるいは親族間による書の技術の伝習という、二つの方法を中心として育成された。この二つを巧みに利用した小野氏をはじめとするいくつかの一族は、能書の一族として九・十世紀の間勢力を保持した。また、彼らはその能力を、天皇・皇太子といった権力者と人格的関係を築く一助としても活用した。 十一世紀前後より、能書は自身の臣従する主君(権門)の命令による清書のみを行うようになる。また、十一世紀中葉までに摂関家に臣従した
ハワイへの官約移民に始まる日本人の大規模な海外移民及び植民は、国内外の政治状況に左右される形で、山谷を繰り返してきた。明治以後、多くの人びとがハワイ、そして北米へと移住したが、1908年の日米紳士協約によって事実上、米国への移民の途を閉ざされるに伴い、海外移民数は落ち込んだ。しかし、1920年代には、年間1万人から2万人もの人々が、再び移住先を、ブラジルを中心とする南米にかえて、海を渡るようになる。本稿は、この所謂「ブラジル移民ブーム」と呼ばれる現象の背景にあった、第一次世界大戦後の海外移植民政策・事業の変化とその規模拡大の過程を明らかにしながら、その政策的・社会的位置づけと特質の描出を試みるものである。 1920年代の海外移民送出数の盛り上がりの直接的な要因としては、1924年に内務省社会局が実現したブラジル移民渡航費全額補助が挙げられよう。大人一人につき200円もの渡航費を数千人規模で
本稿は、明治前期に広く展開されていた府県庁「会議」(各部課署係の正副長ないし一般属官を構成員とし、議会的な議事規則を用いて府県内の重要事案を審査する諮問機関)を対象に、府県行政における意思形成過程の一端を解明することを通じて、近代国家形成期における「公論」の変容過程を考察したものである。 廃藩置県後、府県庁内の官吏と区戸長・公選議員とが交わる「官民共議」的な地方民会が一時に現れたが、公選民会の発達により官吏は徐々に除外された。しかし官側にも、意見集約の場と、対等な議論による意見形成の経路が求められていたため、明治ゼロ年代末から明治十年代初頭にかけて、多くの府県で「会議」が創出された。「会議」の誕生経緯、規則、および議事録からは、「会議」が府県行政、特に議会の議案審査など対議会事務において大きな役割を果たしていたことが指摘できる。府県会が成立したにもかかわらず、議会式な意思形成経路が行政内部
英西間の一七三九年のジェンキンズの耳戦争に対しては、ウォルポール政権を批判する野党のプロパガンダ・キャンペインとそれに煽られた世論が引き起こした戦争という見方が早くから存在した。そのため、スペインの沿岸警備隊によるアメリカ海域でのブリテン商船拿捕問題などをめぐるこの時期の政治的論争も、しばしば戦争原因の探求という文脈の中で扱われてきた。また近年では、ウィルソンの研究のように、議会外集団の政治参加のあり方を探る政治史的観点からも分析されている。しかし、本論文ではこの時期の議論を、近年の財政軍事国家論の進展を踏まえ、十八世紀半ばのブリテンにおける軍事力、とくに海軍力の行使を正当化ないし批判するロジックの解明という新たな観点から分析する。 使用した主な史料は、新聞・パンフレット類などの出版物、および議会討議録であるコベット『議会史』である。本論文ではこれらを用いて、拿捕問題が議会で論じられ始めた
本稿は、近世以来の自治慣行を継承しつつ、明治初期に政治・外交・経済上の要所で三府開港場と称された東京・京都・大阪・横浜・神戸・長崎・新潟における税の収支実態の検討と、地方税規則の例外措置であった三部経済制との関連の検討を通して、都市財政構造の近世から近代への変容過程を明らかにすることを目的とした。 第一章では、維新後の府県財政を制度的に概観した上で、大蔵省収納の諸運上・冥加金が、近世的な収支慣行を残しながら、明治五、六年の府県限り取立税に関する法令に先んじて、目的税として三府開港場へ切り出されていたことを明らかにした。その背景には疲弊する町人の民費や共有金の負担を回避しつつ財源を確保する意図があった。 第二章では、それらの徴収・支出の実態を「賦金調」を元に検討した。府県庁と町会所が担う行政内容の近接性、近世以来の税の収支慣行の存続ゆえに、実際には目的税の制約を超えた「共有金的な」運用が展開
古代中世の葬送において女性がどう関わっていたのか。これまで葬送史研究、および女性史研究でも検討されたことはなく、両者の歴史的な関係を解明する必要性があった。 そこで本稿は、八世紀から十六世紀までの葬送事例を通して、女性における葬送への参列参会の実態と歴史的な変化を検討し、その背景を葬送の性格と女性の位置という二側面から考察した。 まず十三世紀半ばまででは、次のようなことを指摘した。一に、葬送が凶事とされたため、身体を保護する必要性から幼女や妊婦は葬送の参列もできなかった。二に、女官・女房や女性親族は、故人を愛しみ遺体に触れることも可能であった。しかし、九世紀中頃から女性が公的な社会から疎外されていくなか、女性親族が会的側面をもつ葬送への参列や葬所への参会が行われなくなる。一方女官・女房は、公的立場をもった女性として、職務の一環から参列参会していた。三に、皇后・中宮はさらにその身位がもつ制約
『延喜式』陵墓歴名には、天皇やその近親者など計百二十の陵墓が列挙されている。特に『弘仁式』墓歴名の配列や陵墓歴名の成立をめぐって、新井喜久夫氏と北康宏氏の両説が対峙している状況である。そこで本稿では、『延喜式』陵墓歴名から『弘仁式』部分を抽出し、その配列方針を検討することで、陵墓歴名の成立時期や作成目的について考察した。 原陵歴名には、天皇陵の他、天皇の生(祖)母、即位天皇に準じて扱われた天皇の父や諸皇子女、先例となる伝承をもち、かつ王位をつぐ可能性の高かった人物の墓などが存置順に配列されていた。その成立時期は、生母墓や先例となる伝承をもつ皇子墓の編入の初例が見られる欽明朝であった。原陵歴名とは、皇位継承の正統性を保証するために、国家的な守衛の対象となった陵墓を管理するために作成された台帳であった。 大宝令が施行されると、原陵歴名は天皇陵のみを記載する陵歴名と、それ以外の墓を記載する墓歴名
本稿の目的は後漢時代における漢帝国の地方統治に対する辺境地域社会の反応を解明することにある。漢帝国は早くから辺境の征服地も含めて体系的・集権的統治制度を整備したが、そうした国家制度と現地地域社会との接触やその展開には検討の余地が残る。そこで、成都東御街で新たに出土した二点の後漢石碑(二世紀中期。李君碑及び裴君碑。総称して東御街漢碑)及び四世紀の地方志である『華陽国志』を材料とし、紀元前三世紀に戦国秦によって征服された西南辺境である四川地域を対象に分析を行った。 東御街漢碑は後漢蜀郡の治所にあたる現成都市の中心部でまとまって出土した。顕彰文の内容によれば、李君・裴君は郡学(儒教の宣布・教習を目的とした官立学校)を振興し、善政を敷いたとされる。先行研究に指摘されるように、この時期、豪族(大姓)は積極的に儒教を習得し、官吏・地方知識人の性格を強めていた。学術を習得する場では門生故吏や同門関係が形
第一次大戦期に中国の関税引き上げが日中間の外交問題となると、これに対する寺内正毅内閣の対応を批判して、関西の実業家を中心に大規模な反対運動が起こった。本稿ではこの運動をめぐる政治過程をとりあげ、大戦の長期化のなか展開された寺内内閣の対中政策によって国内政治に生じた問題について考察する。 中国の関税引き上げについては、大戦前の段階から対中輸出貿易への依存度が高い大日本紡績連合会(紡連)などが強い懸念を示していたが、当時は政府・政党もこれらの実業家と問題意識を共有し、その陳情を汲み上げていた。しかし大戦期に再び本問題がもちあがると、当時の寺内内閣は一転して関税引き上げを容認し、代わりに中国への事業投資を促すようになる。これは当時問題となった国内物価騰貴や中国・連合国との外交関係を考慮して提示された政策であったが、紡連に加え関西地方を中心とした同業組合や商業会議所は、国内産業にとって対中輸出が持
本稿では、海軍志願兵募集や「海軍と地域」研究の課題に大きくかかわる海軍と在郷軍人の問題について、海軍の在郷軍人会に対する姿勢に注目して検討した。 海軍は、一九一〇年に在郷軍人会ができると、財源の問題と在郷軍人統制に対する立場の違いから不参加となった。不参加としたものの在郷軍人会に加入する海軍軍人もおり、制度上陸軍のみの団体である不都合を改善するため、一九一四年に在郷軍人会へ正式加入した。加入後に出された勅語には田中義一の影響などがあり、海軍の反対にもかかわらず「陸海一致」の文言が盛り込まれ、これ以降在郷軍人の「陸海一致」の根拠として使用された。 在郷軍人会に加入したものの、陸軍中心の状況は変わらなかった。一九一九年頃には第一次世界大戦の影響によって海軍も在郷軍人統制に力を入れることになり、在郷軍人会からの分離を含めて海軍在郷軍人の立場向上が模索された。一九二一年になると、各地に海軍在郷人の
列国議会同盟(Inter-Parliamentary Union、以下IPU)は1889年に創設された主権国国会議員から成る現存する国際機構である。1908年、衆議院はこれに加盟して日本議員団を結成し、1914年には排日問題を協議する日米部会を組織するなど、一定の成果を挙げる活動を行った。だが、貴族院は当初から日露戦後の財政逼迫を理由に加盟を拒否し、またやがて第一次世界大戦が勃発すると、衆議院とIPUとの関係も希薄化し消滅する。本稿は、こうした時期にIPUと帝国議会の間を私的に仲介し、日本議員団の再組織と貴族院の加盟に尽力した国際主義者・宮岡恒次郎を取り上げ、ジュネーヴのIPUアーカイヴズや衆議院国際部が所蔵する列国議会同盟に関する史料等をもとに宮岡の活動を検討し、宮岡の背景にあった当該期議員外交の国際環境を明らかにすると同時に、宮岡の視点に立って帝国議会の「国際化」を俯瞰し、そこに内在さ
18世紀ロンドンでは、都市化の進行をはじめとする社会状況の変化に対応すべく、治安維持機構の改革が進められていた。近年の研究において、18世紀と19世紀の間に一定の連続性が認められる中で、本論文は、中央集権的な警察機構に強い抵抗を感じていたイングランド社会に、いかにして近代警察が導入されるに至ったかについて改めて探ることを目的とした。パーマーによれば、首都警察導入の背景として、騒擾対応において軍隊を用いる機会が増え、警察への抵抗感も薄れていったのであろうと指摘されている。これに対し、筆者は、軍隊と異なる性質を持つ義勇団の治安維持活動に着目し、治安維持組織改革における義勇団の役割と意義を捉え直すことを試みた。 本論において、まず、ロンドン・ウェストミンスタ義勇軽騎兵団及びシティの2つの武装協会を事例に、義勇団の構成並びに財政のあり方について詳しく考察した。結果、義勇団は国からの支援を受けて国と
本論文では天正4(1576)年に法華宗(日蓮宗)教団が京都で実施した勧進に関する史料を分析し、戦国期の都市民における永続的な「家」(イエ)および都市民の社会的結合について考察する。第一章では勧進史料における家の位置付けを「家数」記載や信徒数の集計方法に注目して分析する。法華宗教団は家単位で信徒を把握しようとしていた。信徒の大半は教団側の志向に従って当主名義で家として出資を取りまとめたが、当主以外の家構成員や他宗の檀家に包摂された女性信徒などが個人として出資をする場合もあった。先行研究はこれらの点に留意していなかったため、家について適切に考察することができなかった。 第二章では狩野・後藤・本阿弥・五十嵐等の有力信徒の一族を取り上げ、家と一族の関係について考察する。当該期には婚姻の際に女性が帰依する僧坊を夫に合わせるか否かを選択しており、菩提所を異にする家同士の婚姻によって家や一族内部で帰依す
従来、ワシントン軍縮会議後の問題は、その後の海軍における統帥権独立の問題や海軍軍令部の独立問題、大臣人事の問題に注目が集まり、条約に対する具体的な対応策については十分に議論がなされなかった。本研究はその後の海軍の在り方に影響を与えたとして、連合艦隊の常置化とその役割の変遷を取り扱う。 海軍という組織は、軍政を掌る海軍省と軍令を掌る軍令部の二元組織と解釈されるが、正確には、軍政権と統帥権の並立の下に、最高機関として海軍大臣、艦隊・鎮守府の司令長官、海軍軍令部長(軍令部総長)が存在するという構造である。そして、艦隊司令長官や鎮守府司令長官の役割は指揮統率であった。 それが、ワシントン条約への対応策として精兵主義の方策がとられた。連合艦隊はその中で常置化された。これにより、海軍の主兵力が連合艦隊に一本化され、さらに連合艦隊司令長官の平時における権限や役割が明確に規定された。こうして連合艦隊は、非
本稿は、「大正デモクラシー」がいかに明治憲法体制に組み込まれたのか(または、組み込まれなかったのか)という視角から、昭和初期の右派無産政党である社会民衆党の分析を試みるものである。同党は吉野作造の指導のもとに「大正デモクラシー」を具現化しようとした政党であり、陸軍桜会のクーデタ計画である三月事件にも参加し、かつ強力な「革新」派政党である社会大衆党へ連なる政党でもあるという点できわめて注目に値するが、一九三二年の無産政党再編問題を「離合集散」ないし「復古」化と捉える先行研究は、同党のこうした性格に十分な関心を向けてきたとは言い難い。 そこで本稿では、社会民衆党の基幹イデオロギーである議会主義に対する思想史的分析を補助線としつつ、社会民衆党の「革新」プランとその展開過程を具体的な政局と関連づけて追跡することで、「革新」勢力が権力核へ接近する筋道を描出した。その成果は以下の通りである。 「少数賢
本稿は、BC級戦犯が靖国神社に合祀されるまでの経緯を、戦犯釈放運動の旗振り役でもあった復員(ふくいん)官署(かんしょ)法務(ほうむ)調査(ちょうさ)部門(ぶもん)、及びその周辺政治勢力(戦争(せんそう)受刑者(じゅけいしゃ)世話会(せわかい)、白菊(しらぎく)遺族会(いぞくかい))の動向から明らかにする。 復員官署法務調査部門(以下「法調(ほうちょう)」と略記)とは、旧軍の後継機関である復員官署内で戦犯裁判業務を担当した部署である。多数の旧軍人事務官から構成され、法調は戦犯家族の世話も行い、戦犯を合祀する際に必要であった戦犯の名簿も所持していた。 講和条約発効直前の一九五二年二月に、法調は戦犯合祀を企図し始め、密接な協力関係下にあった戦争受刑者世話会とともに合祀を推進した。そして援護法と恩給法の対象に戦犯・戦犯遺家族が組み込まれると、一九五四年に靖国神社は世話会に対して、「適当の時機に個人
立憲政友会の有力者であった前田米蔵は、5・15事件(1932年)後における政党政治批判の高まりに対し、いち早く1933年に「日本独特の立憲政治」論を主張した。日本の議会は天皇が設けたことを強調し、天皇の権威の下に議会政治、政党政治の正当化をはかったのである。 さらに前田は、貴族院議長近衛文麿を党首とする立憲政友会と立憲民政党の合同(保守合同)による近衛新党構想を進めた。近衛は議会外諸勢力の支持を得て首相候補と目されていた。前田は、二大政党による政権交代ではなく、近衛新党という、議会外の勢力とも連携する形による政党内閣の復活をはかったのである。 しかし、近衛新党が実現しないうちに1937年に第一次近衛内閣が成立し、日中戦争が勃発した。日中戦争の収拾に苦慮した近衛は、1940年6月、戦勝に向けた強力な挙国一致体制の実現のため新体制運動を開始し、7月に第二次近衛内閣を組織した。 近衛は挙国一致強
一三世紀以来ドミニコ会は大学と緊密な関係を保っていたが、一四世紀半ばはその転機となった。従来ごく限られた大学にしか設置されなかった神学部が各地で新設され、ドミニコ会士の学位取得が格段に容易になったためである。結果、適性に欠ける学位保持者や取得を巡る不祥事の増加に直面したドミニコ会は、修道士の学位取得を厳密かつ中央集権的に管理する体制を一五世紀を通じて構築した。本稿ではこうした新しい制度的環境における、ドミニコ会士による学位取得に関わる規範と実践の関係を解明することを試みた。このためアヴィニョン大学神学部に注目し、学位取得のための修道士の大学派遣を記した修道会総会の決議記録や総長の書簡記録簿といったドミニコ会史料と、アヴィニョン大学の会計簿を対照することで、学位取得を目指した修道士たちについてプロソポグラフィ的分析を行った。一五世紀末のアヴィニョン神学部は、北フランスに広がっていたフランス管
本稿では、アン県およびドローム県をケース・スタディーとして、近代フランスの行政制度が複雑化と拡大化を経験した、第二帝政期の地方幹部候補行政官である県参事会員の登用を分析し、専門職化の実態解明を試みた。 まず、数値的分析から、第二帝政期県参事会員の性質変化をみてみると、年齢では時代が進むごとに若年化が進み、出身県ではあらゆる地方出身の若者が両県に赴任したことが明らかとなった。また、経歴面では、第二帝政期の県参事会員は短期間に多くの県と公職で職歴を積み、地方幹部候補行政官として養成されていったのである。 次に、叙述史料の分析から、以下のことが明らかとなった。第一に、請願書における候補者の属性に関する記述は、第二帝政期になると、前任者や父親からの公職継承は衰退することとなり、七月王政期に比べて属性的要素は減少したといえる。第二に、請願書における候補者本人の能力に関する記述は、七月王政期と第二帝政
共和政末期ローマの政治史研究において、国民が政治的な意思決定に対して重要な役割を果たしたことは、今や広く受け入れられている。こうした研究潮流を背景に、近年、コンティオと呼ばれる政治集会で聴衆の示す反応が、法案の成否を左右する要因として度々指摘されてきた。そのなかで、前59年の執政官C・ユリウス・カエサルが提出した農地法案の立法過程は、一見すると、彼がコンティオの利用を主眼に据えた立法戦略に着手し、元老院の意向に反しながらも、法案の可決させた様子を伝えているために、上記の指摘を例証する一例となる。 しかし、カエサルの行動を立法過程全体に渡って詳細に再検討することで、実際のところ、彼は一貫して法案に対する元老院の反対表明を回避するべく尽力していたことが明らかになる。カエサルは、元老院から反対を導出しない法案の起草に努めるとともに、多数の元老院議員たちが反感を議場外に伝えようとするや、直ちに元老
元帥府とは1898年に天皇の「軍事上ニ於テ最高顧問」の役割を帯びて設置された機関である。一方で、1903年に設置された軍事参議院は天皇の帷幄で重要軍務の諮詢を受けることを目的とし、元帥のほか陸海軍要職者から構成され、多数決制や議長の表決権などの議事規程も備えた合議制諮詢機関であった。 両機関は「軍事顧問府」として宮中に存在し、戦前は枢密院と対比されるような国家機関として位置づけられていたにも関わらず、先行研究では陸海軍の運用統一を図る統帥機関として有効に機能しなかったという低評価が定着していた。 そこで本稿では、大元帥たる天皇が求めた「軍事顧問府」という視点に改めて着目し、軍事輔弼機関としての元帥府・軍事参議院の成立過程を再検討することで、日清・日露戦間期における天皇と陸海軍との関係形成の新たな一側面を描出することを目的とした。その成果は以下の通りである。 元帥府の設置は、日清戦後の軍制改
漢初において、高祖皇帝劉邦は近臣との関係を保つために、「符を剖かち、世々絶ゆる勿し」の約束を交わしたが、伝世史料には符の正体について明記されていない上、諸家の注にも検証されることがない故、約束の内容は不明確である。従来では、この符を功臣の特権的な地位の永続(封爵之誓)と関連させて考えるが、本稿では西北簡の研究成果を踏まえ、通行証としての符を伝世史料の条文に当てはめて考える。 第一章では、戦国から漢初までの中華世界の地域観念の変遷を考察し、秦の「統一」、楚(項羽)の封建制の復活、漢の郡国制、一連の流れを整理し、戦国~漢初における地域観念の連続性を指摘し、符の通行証としての理解の適用範囲を確認する。 第二章では、漢初における諸侯王との剖符を考察する。楚漢戦争の中で、漢は同盟する諸王国を警戒すべく、符を用いて東西を繋ぐ関所の弛緩を掌握した。その体制は、漢帝国が都を檪陽から長安へ遷しても継承され、
類書は、魏晋南朝時代に新たに出現した書籍であり、経史子集の各文献から網羅的に集めて抄撮配列し、テーマごとに纏めた、百科全書のような資料集である。本稿では、知識の資料庫という役割を担った類書の発展経緯を考察することで、初期類書がもつ意味、編纂される契機と背景を検討し、漢唐間の知識の整理と受容のあり方を考察する。 目録に収録された類書を見ると、唐代までの類書の範囲は限られており、『皇覧』を強く意識した一連の書籍を指している。この理解から類書の発展を見ると、曹魏の初期に編纂された『皇覧』は、後代類書の規範ともなった南北朝末期の梁・北斉編纂の『華林遍略』『修文殿御覧』との間に、二五〇年ほどの開きがある。この空白期間は『皇覧』と斉梁類書の内容と歴史背景の差異を示す。 唐代では、内容を選別せずに政治に無益な見聞を幅広く収録する初期類書の性格が批判された。初期類書と直接に書承関係を持つ『藝文類聚』の引用
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Susan Howson, ed., Lionel Robbins on the Principles of Economic Analysis: The 1930s Lectures Routledge, 2018
This paper examined Teruo Ichiraku's(1906―1994)thoughts on co-operative societies and the economic aspects of his 'Ten Principles of teikei' formulated in 1978. Ichiraku held high-ranking positions in several co-operative organisations and founded the Japan Organic Agriculture Association in 1971. He was influenced by pre-Second World War Japanese cooperativism and peasantism. He found his co-oper
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164 David Harvey(Japanese Translation by Sadaharu Oya, Taiki Kagami, Takashi Sato, Jun Siota, Naoto Shimokado, Takashi Nagashima, Yoshitaka Nakamura, Tomoyuki Niida, Tamiki Hara, Kakeru Miura, and Yasuhito Morihara), Marx, Capital and the Madness of Economic Reason Sakuhin sha, 2019
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Maria Cristina Marcuzzo, Essays in Keynesian Persuasion Cambridge Scholars Publishing, 2019
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
Online ISSN : 1884-7358 Print ISSN : 1880-3164 ISSN-L : 1880-3164
English Translation Series: Japanese Historians of Economic Thought〈11〉 Eiichi Sugimoto, The Explication of Modern Economics Translated by Robert Chapeskie and Kayoko Misaki
In this paper, the author examines the contents of lectures given by A. C. Haddon, E. Westermarck, and Sydney Webb that Schumpeter attended at the London School of Eco-nomics (LSE) in 1907. This paper uses as references the syllabus of the LSE at that time and written works by the lecturers. Most research on the sources of Schumpeterʼs ideas on economic development and socioeconomics has been cond
Hikaru Yamashita, Evolving Patterns of Peacekeeping: International Cooperation at Work
Victor D. Cha, Power Play: The Origins of the American Alliance System in Asia
上杉 勇司・藤重 博美・吉崎 知典・本多 倫彬 編『世界に向けたオールジャパン――平和構築・人道支援・災害救援の新しいかたち』
武田 悠 著『「経済大国」日本の対米協調――安保・経済・原子力をめぐる試行錯誤、1975~1981年』
渡邉 昭夫、秋山 昌廣 編著『日本をめぐる安全保障 これから10年のパワー・シフト――その戦略環境を探る』
James Steinberg and Michael E. O'Hanlon, Strategic Reassurance and Resolve: U.S.-China Relations in the Twenty-First Century
Angela Stent, The Limits of Partnership: U.S.-Russian Relations in the Twentieth-First Century
Evelyn Goh, The Struggle for Order: Hegemony, Hierarchy, and Transition in Post-Cold War East Asia
トシ・ヨシハラ、ジェームズ・R・ホームズ 著(山形 浩生 訳)『太平洋の赤い星――中国の台頭と海洋覇権への野望』
Jean-Marc F. Blanchard and Norrin M. Ripsman, Economic Statecraft and Foreign Policy: Sanctions, Incentives, and Target State Calculations
Andrew O'Neil, Asia, the US and Extended Nuclear Deterrence: Atomic Umbrellas in the Twenty-First Century
Jeffrey A. Bader, Obama and China's Rise: An Insider's Account of America's Asia Strategy
Victor Cha, The Impossible State: North Korea, Past and Future
Shane J. Maddock, Nuclear Apartheid: The Quest for American Atomic Supremacy from World War II to the Present
Ivo H. Daalder and I. M. Destler, In the Shadow of the Oval Office: Profiles of the National Security Advisers and the President They Served - From JFK to George W. Bush
Robert D. Kaplan, Monsoon: The Indian Ocean and the Future of American Power
James Mann, The Rebellion of Ronald Reagan: A History of the End of the Cold War
Douglas Guilfoyle, Shipping Interdiction and the Law of the Sea
Robert Jervis, Why Intelligence Fails: Lessons from the Iranian Revolution and the Iraq War
オリバー・ラムズボサム、トム・ウッドハウス、ヒュー・マイアル著(宮本貴世訳)『現代世界の紛争解決学――予防・介入・平和構築の理論と実践』
Barry Buzan and Lene Hansen, The Evolution of International Security Studies
Williamson Murray and Jim Lacey, eds., The Making of Peace: Rulers, States, and the Aftermath of War
同時多発テロに関する独立調査委員会 著(松本利秋・ステファン丹沢・永田喜文 訳)『9/11委員会レポートダイジェスト―同時多発テロに関する独立調査委員会報告書、その衝撃の事実』
Jeffrey T. Richelson, Spying on the Bomb: American Nuclear Intelligence from Nazi Germany to Iran and North Korea
スティーヴン・M・ウォルト著(奥山真司訳)『米国世界戦略の核心―世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』
Richard J. SAMUELS, Securing Japan: Tokyo's Grand Strategy and the Future of East Asia
Edward C. LUCK, UN Security Council: Practice and Promise
Garland H. WILLIAMS, Engineering Peace: The Military Role in Postconflict Reconstruction
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く