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2021年12月22日のブックマーク (5件)

  • 10年前に首を吊ったことがある

    失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。 それは気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。 当時の自分は、社会人一年目で、新卒の人間も自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず々としていた。 こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体は別に死ぬほどのことではなかった。 仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。 なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。 なかったのだが、色々なストレスが自覚もないまま積み上がっていたらしい。 とある連休の折り、地方住まいの両親が会いに来てくれた。 事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話してい

    10年前に首を吊ったことがある
    nandenandechan
    nandenandechan 2021/12/22
    死にたいと思ったことはない。このまま消えていいと思ったことはある。生理前に不安定な気持になり、無性に悲しくなり泣いたり、無闇にイライラする時は「生理前だからしょうがない」と我にかえるようにしている。
  • 横浜市営地下鉄 女性が金づちのようなもので殴る 2人軽傷 | 毎日新聞

    nandenandechan
    nandenandechan 2021/12/22
    情報が少しずつ変わって様子。第一報がセンセーショナルで誤報も多いが果たして。
  • 松田聖子&神田正輝にマスコミが放った「質問」 「聞くもんじゃないですよ」アナウンサーが不快感(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

    急死した俳優・神田沙也加さんの両親である神田正輝さんと松田聖子さんが2021年12月21日、札幌市内の斎場で報道陣の取材に応じた。 【写真】新実彰平アナウンサー ■「わざわざこうやって顔を出してくださった、それで十分だと思います」 2人は冒頭、取材陣に一礼し、神田さんは「近親者のみでお別れ、お骨にすることができました。皆さんご協力ありがとうございました」と沈痛な面持ちで語った。「2人とも話すようなことではないので、しばらくそっとしておいていただけたらありがたいです」ともお願いした。 松田さんは、声を震わせながら「当に皆さん、お寒い中申し訳ございませんでした。ありがとうございました」と頭を下げた。 2人が会見スペースから去ろうとする際、報道関係者とみられる人物から「今のお気持ちは?」との質問が飛んだ。 会見を中継した「報道ランナー」(関西テレビ)のメインキャスター・新実彰平アナウンサーは、

    松田聖子&神田正輝にマスコミが放った「質問」 「聞くもんじゃないですよ」アナウンサーが不快感(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
    nandenandechan
    nandenandechan 2021/12/22
    プライベートな事だから結婚の報告のようにFAXで済ませようよ。マスコミに追われたくないから、顔出したのかも知れないけどさ。
  • テレビにお笑いは必要なのかゾーニングすべきではないのか

    自分はお笑いを愛しているからこそゾーニングすべきだと思う。 小説漫画やアニメに倫理観を求めて内容を変えさせようとする人はヤバい。漫才に対しても、もっと広くお笑いに対してもそれは言えると思ってる。 でも、たとえば18禁のイラストをどーーーん!と街中に掲示するのは良くない。 それはそのイラストが悪なんじゃなくて、街中の色んな人が不可抗力で見てしまうような状況で掲示するのが良くない。それと同じで、やっぱり見た目いじりとかルッキズムやイジメの助長に繋がりかねない表現をテレビで流すのは良くないと思う。もものネタだって、バラエティの見た目イジリだっていろんな技術が詰まっている。もものネタはルッキズムを完璧にバカにしてるから成立してる。見る人が見たら分かる。だけど、わからない人も見るんだから。 例えば自分がたまたまテレビをつけたら、あるいは町の定屋のテレビ見てたらガッツリAVが流れ始めた…みたいな状

    テレビにお笑いは必要なのかゾーニングすべきではないのか
    nandenandechan
    nandenandechan 2021/12/22
    人気コメ(削除済)「昔のお笑いは、今と違って権力の風刺や抵抗が主なテーマだった」え?昔はイジメに近い事で笑いをとってた。とんねるずやダウンタウンは見てて辛かった。ぼる塾は水着、大食いNGだ。変わってきてる
  • 35歳から見た働くという景色。生き方を考える歳について - WETな備忘録

    「そういうのは20代に置いてくるものだろう」と、そいつは言った。 そいつは、高校のときからの親友で、とは言っても高校のときはロクに会話もしなかったが、高校を出てからなんとなく長く付き合っている。そいつは、出版社に勤めたりして、プライベートではアマチュアだがCDを出すぐらい音楽をやっていて、僕もときどきライブを見に行ったりする。僕のくだらない、いつまでたっても幼い話に、いつでも独自の視点から付き合ってくれる、大切にしたい友人の一人である。 お互い35歳になり、久しぶりに会って酒飲みながら話をするともなると、奮発してお寿司なんてっちゃったりするのだが、放課後のガストで4時間も5時間もおかわり自由のカップスープと甘酸っぱい恋話で粘っていた俺たちが、気づけば遠くへ来たもんだと思う。あの頃の俺たちは、鍋の中のワカメをどれだけ多く掬うかに、情熱と空腹をかけていた。 労働と給料 自分を如何に高値で売る

    35歳から見た働くという景色。生き方を考える歳について - WETな備忘録
    nandenandechan
    nandenandechan 2021/12/22
    私が20代後半に考えてた事だ。仕事の習得にかかる時間によって人それぞれなのだろう。何となく先が見えてくる。想像が付いて立ち止まって考える時期なのだと思う。仕事の虚しさと人生の長さ、持ち得る家族を考えた。