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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (11)

  • 田山花袋の次女 - jun-jun1965の日記

    近松秋江は昭和二年三月の『不同調』「文壇総ざらへ」に、田山花袋について、息子の先蔵が父親の若いころのことを実行したわけだねと書いているが、これは長男・先蔵が、大学の教授の吉江孤雁の娘に恋慕して、吉江宅を訪ねて面会を強要し、警察に捕縛された事件が新聞に報道されている。 しかしほかに、娘のほうの醜聞もあった。これは花袋の弟子の坂石創「文壇モデル小説 その日の田山花袋」(『人物評論』1933年9月)に実名で書いてあった。長女は早くに嫁入っていたが、次女の千代子は、1908年3月生まれで、1924年に、花袋の弟子のフランス文学者・関口鎮雄と駆け落ちして連れ戻され、会計学者・早大商学部教授になる長谷川安兵衛に嫁入りさせられていたが、1927年の4月28日ころにまた関口と駆け落ちした。関口は日旅行協会勤務で「旅」という雑誌の編集をしていた。話を聞いた坂が、前田晁(木城)と一緒に杉並の馬橋の関口宅

    田山花袋の次女 - jun-jun1965の日記
    narwhal
    narwhal 2021/06/05
    "次女の千代子は…関口鎮雄と駆け落ちして連れ戻され…長谷川安兵衛に嫁入りさせられていたが1927年の4月28日ころにまた関口と駆け落ちした" "そこへ花袋が怒り狂って乗り込んできて「貴様は、朝鮮人にも劣つた奴だ!」"
  • なぜ美少年趣味につきあわなければいけないのか - jun-jun1965の日記

    佐藤亜紀の「天使」という、藝術選奨新人賞を受賞した長編小説は、第一次大戦を背景に、超能力を持つ少年を描いた作品だが、半ばまで読んでも面白くないので、文春文庫版の豊崎由美の解説を読んでみた。するとこれは、美少年が貴族的美青年へ成長していくのを舌なめずりしながら読むという美少年趣味小説であるということが分かり、まあそれなら私が読んでも面白くないのは当然だなと思った。 だが不思議なのは、豊崎がそのように解説しながら、なぜ世間の文藝評論家はこの才能を理解しないのかと獅子吼していることで、今もやっているようだが、なんで美少年小説を文藝評論家が評価するいわれがあろうか。 なるほど佐藤は『小説のストラテジー』を読めばヨーロッパ文化に造詣が深いのは分かるし、文章も巧みに書けている。もっとも私は他の作家でも、こういう技巧的な文章は評価しないのだが。 私が大学に入ったのは1982年で、豊崎も佐藤もだいたい同

    なぜ美少年趣味につきあわなければいけないのか - jun-jun1965の日記
  • 関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記

    李建志君は、私の後輩である。中央大学を出て東大比較に来た。在日である。ちょうど私が阪大へ赴任する時に修士課程を終えたのだが、私と、つくば国際大学に就職する加藤百合さんの歓送会が平川先生宅であって、その時李君が、「日文化なんてのはみんな朝鮮から来たんですよ」とべらべらしゃべっていて、みな「?」と思いつつ、黙っていたということがあった。 その後、京都ノートルダム女子大学へ赴任したが、いつもジーパンを履いていて、何だか駅前のバンドで演奏でもしているような風体で、もてないもてないと言っていた。 2005年3月、東大の大澤吉博教授が急死した葬儀の時で、帰りに延広先生と三人で事をして、李君が落語に詳しいことを知った。私はそのころ、川柳川柳が好きだったのだが、「ガーコン」といえば川柳で、しかし李君は、古今亭右朝もやる、と言った。へえと思って、しかし右朝が先にやったと聞き違えて、その頃『文學界』に連

    関西学院大学の闇 - jun-jun1965の日記
    narwhal
    narwhal 2018/06/30
    李建志。金明秀。
  • ■ - jun-jun1965の日記

    『現代文学論争』の最後のほうで、私は笙野頼子をめぐる論争をまとめたのだが、刊行されて半月ほどして、笙野が筑摩書房の担当編集者宛に電話で文句を言ってきた、と聞いた。そのうち、事実誤認が百カ所あるとか、佐藤亜紀や小谷真理も文句を言ってきていると聞いた。佐藤もそんなことをツイッターで書いて私を病人扱いしていた(12月1日)。しかるになかなかその後の連絡がなく、年末の忙しい時になって、百カ所のリストというのを担当編集者宛に送りつけ、しかし担当編集者が、とてもこれは見せられないと言って削った結果21カ所となった。私が見たのはこれ。そのうち、間違えたのは既にここに書いたのと、読売新聞が文藝季評になっていたというあたり。あとは、「在学中から作家を目指し」というのが間違いで、公務員試験に落ちて司法試験の準備をしていた、とかいうもの。そんなこと、講談社文芸文庫の年譜にも『文藝』の特集の年譜にも書いてないんだ

    ■ - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    『文藝春秋』11月号の「小悪魔女優アンケート」で私が「秋桜子が全裸なので」と書いているが、これは「主演なので」の間違い。このアンケートは送られてきた用紙に手書きしてファックスしたもので、以後ゲラとか確認とかないのである。

    ■ - jun-jun1965の日記
    narwhal
    narwhal 2010/10/10
    これはひどい。
  • 魔日 - jun-jun1965の日記

    (小谷野敦) いや昨日は実に魔日であった。 朝起きて朝も終わり、映画を観ようとしていたら、携帯からの電話が鳴った。出ると女で、か細い声で、 「あの…村上春樹の話をしたいんですけど」 「どちら様ですか」 「匿名じゃいけませんか」 「そりゃダメですよ」 「××です…。私のプライバシーにかかわることもあるので」 「村上春樹と何か関係があったんですか?」 「いえ、私じゃなくて知り合いなんですけど…」 という感じで始まったのだがまことにとりとめがなく、以下意味のあるところだけまとめると、 「あの、『1Q84』のことなんですけど、あんなにあちこちに暗号みたいに張り巡らされているのに、何でみんな気づかないんだろうって…山形浩生さんとか、内田樹さんとかにもメールしたんですけど、相手にしてもらえなくて、キチガイ扱いされて…。 「春樹の春って英訳するとスプリングですよね。その春について作中でいろいろ出てくる

    魔日 - jun-jun1965の日記
    narwhal
    narwhal 2010/10/04
    「天吾って名前も、英訳すると、私は中国人って意味になるんです…吾は、われ、ですよね。天は…celestial っていうのがあって、大きな辞書で見ると、中国のって意味があるんです」
  • 「能は死ぬほど退屈だ」 - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) - http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100730-00000134-san-soci 杉秀太郎ってのはつくづく謎の人で、何ほどの業績があるのかよく分からないのに藝術院会員だし、このインタビューも、漱石と植物を誰もやってないってそれは塚谷裕一が怒るぞ。あと「筆で立つと決めて」ってあんたずっと大学と研究所の教授だったでしょうに。それを「筆で立つ」というのかいな。

    「能は死ぬほど退屈だ」 - jun-jun1965の日記
  • 私は東浩紀に負けた - jun-jun1965の日記

    はい、東さん、三島由紀夫賞受賞だそうで、おめでとうございます。あれは面白い小説でした。 「任期付き」といっても人気があるようなので更新されるのでしょう。30代で早大教授。なに、東大でなくてもいいではありませんか。 何も一回りも年下の人相手に勝ったの負けたのやらなくてもいいようなものですが、私なんぞ小説を書いても芥川賞も三島賞も候補にすらならないし、もう教授になる見込みなんかないんだから、もうこれは負けた、でしょう。 いくらデリダやポストモダンが学問的詐欺でも、東が留学もしたことがなくても、人気のある者が勝ちなのであります。まあ東さんは東大学術博士(しかも私と同じ超域文化科学)だから文句ありませんが、もう今や、漫画やアニメ評論をやっていれば、大学院なんか行ってなくても大学教授になれるご時世です。何? 大学にこだわるお前は権威主義だ? 冗談言っちゃいけません。給料がもらえるほうがいいに決まって

    私は東浩紀に負けた - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    営・大政翼賛会的マスコミが「喫い逃げ続出」などと報道しているが、路上喫煙の課金なんて憲法違反なんだから、払う必要はない。 悔しかったら俺をつかまえてみろ。名刺を渡すから、取立ての裁判でも起こしてみるがいい。まあもっともこのニュースは、憲法がちゃんと守られているということを示すものだ。だって「罰金」じゃないから、取り立てられないのだから。 - 最近、人から来るメールに「世間はWBCで」などと書いてあるのだが、このWBCというのが分からん。どうやら野球の話らしいのだが、私もも野球嫌いなので、調べる気にもならず「何だろうねえ」と言っている。四方田犬彦も野球嫌いらしく、昔「野球が嫌いな人間だっているんだ」と書いていて、これは蓮實先生への挑戦状だな、と思ったものだ。 「私小説」について、こういう文章もあった。 http://shop.kodansha.jp/bc/bunko/pocket/20

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 国会図書館事件 - jun-jun1965の日記

    いや今度は図書館員と争ったのではない。カードを検索装置のところに置き忘れたのである。もっとも、置き忘れたと最初から分かったわけではなく、戻って探しに行ったら、私が使っていた椅子にはもう人がいたので、ああここではない、と思って受付で、届出はないですかと訊いたら、なく、あちら(新館入り口)で訊いてみてください、と言われた。 そちらへ向う途中、藤田敏八のような顔をしたおっさんが、私の左手1.5mほどのところを並んで歩きながら「カード亡くしたら閉館まで出られませんよ。他人が使ったかもしれないとか言って。閉館は九時…」とぼそぼそと言った。まさかと思いつつ受付へ行ったら、やはりないので、困って戻り、ふと、先ほど私が坐っていたところに指してあるカードを見て、ありゃ、と思い、近寄ってよく見ると、まさに私のカードである。男が坐ってせっせと検索している。 私はカードをとりあげ、「ちょっと、これ私のカードでしょ

    国会図書館事件 - jun-jun1965の日記
    narwhal
    narwhal 2009/02/19
    本題とは関係ないが4つめの段落の1つめの文がよかった。主語を省略すれば古文みたい。
  • 浅田真央が好き - jun-jun1965の日記

    実は今まで隠してきたのだが、浅田真央が好きである。自分でも、こんな二十歳未満の、そんな美形じゃない女のどこがいいのか、と抑圧して、新聞などに写真が出ていると、切り取っておきたいのを抑えてきたのだが、今日はテレビで観た。まるで自分の娘が踊っている(?)ようにどきどきした。 解説が八木沼純子だったが、私は彼女も好きだった。これは美人だった。当時の八木沼の愛称は「ジュンジュン」だった。その後、初めてつきあった女性を「ジュンジュン」と呼んだこともあるが、起原は八木沼である。だからjun-junなのである。1965は谷崎先生の没年である。いやもちろん、谷崎年譜から始まったからジュンジュンではあるのだがね。 - 文藝誌の匿名時評、相変わらずダメだなあ。「侃侃諤諤」は島田雅彦でもからかっているのか知らんが、面白くないし、「相馬悠々」も微温的だし。『週刊現代』の「ナナ氏」まで微温的になってきた。どうなって

    浅田真央が好き - jun-jun1965の日記
    narwhal
    narwhal 2009/02/08
    "当時の八木沼の愛称は「ジュンジュン」だった。その後、初めてつきあった女性を「ジュンジュン」と呼んだこともあるが、起原は八木沼である。だからjun-junなのである。1965は谷崎先生の没年である"
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