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増田と介護に関するnasuhikoのブックマーク (5)

  • 子供は作らない方がいい

    増田と多分ほぼ同じ歳だが、自分は子供作ったことで自分も当に消耗してしまった側なんで、その経験談を連ねて書いてみる。 正直、人によって千差万別なのでどっちが100%正しいとかはない。みんなには自由に選んでほしい。持ち家議論と一緒で永遠に解決しないテーマだとおもう。 1.一番若く元気な時に趣味に打ち込む時間がなかった・自分は20代後半で子供を持ったが、仕事が忙しくなる20代前半~子供生まれる~嵐のような30代と40代~子供が巣立って行く頃には50手前だった ・この間、趣味といえる趣味にちゃんと打ち込める時間はほぼ皆無だった。休日に趣味仲間と遊びに行く、なんて機会は皆無。せいぜいパパ友と子供を連れて~~くらいだった ・もちろん、子供と過ごすのは楽しい。楽しいが、子供抜きの自分は完全にいなくなった。趣味2chとかそういうレベル。 →で、50代60代になってから趣味に打ち込めるかっていった

    子供は作らない方がいい
  • 両親が妹に家を買った

    って報告を、さきほど貰った。 新築で実家の近くに妹家族が住むための家を買ってもらったようだ。 某府某所の相場で考えたら5千万くらいか。 その程度を自分でどうにかできず甘え切ってしまう義弟にも呆れるが親の甘さにも呆れはする。 子供三人がそれぞれ相続するはずだった遺産の配分が面倒なことになりそうで心配はあるんだけど、 コロナ騒ぎで帰省は出来ないので、この話は次回の帰省まで延期だ。 相手の顔も見ないで金の話をするのは、家族仲を壊す元にしかならないと考える。 と言うか、自分自身は金に困ってる訳でもないし遺産を当てにしてる訳でもないので、老いた両親の面倒を見る覚悟で近所に住む妹には感謝しかない。 詳細は聞いてないが、新築をあてがってもらったってことは、そういう事なんだろう。 そもそも40代になるまで、ずっと結婚したくても、できないまま年を経て来た俺は親に孫の顔すらも見せてやれない親不孝者だ。 この先

    両親が妹に家を買った
  • Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。 体育教師だったが、退職..

    Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。体育教師だったが、退職後に認知症が進んで意思疎通がまったく図れなくなった。もともと柔道で国体にも行った人で、教え子にも恐れられるほど厳しい人だった。生徒指導では床に霜の降りた冷たい柔道場に、暖房も入れずに何時間も正座させて足を凍傷にさせたり、炎天下でグラウンドを何周もさせて、熱中症で救急搬送させるような人であった。それも教育のためと信じていた。 認知症が進んで、人を人とも思わない暴言を昼夜問わずに放つようになった。散歩に出せば大声で下品なことを叫び、ズボンをおろして歩くので、警察に再三注意された。しかたなく、自宅で世話をすることになった。 日に3度の事から入浴、家中に垂れ流すシモの世話、外出して店で万引きした際のお詫びと弁償徘徊した時の捜索や町内会へのお詫び奥さんが献身的にお世話。過労がたたって老々介護のさなかに奥さんが亡くなった。悲劇が深

    Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。 体育教師だったが、退職..
  • 父が死んで良かった

    実家が燃えてなくなった。 母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。 僕の昔住んでいた田舎の実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。 その後、父と母と、一緒に住んでいた次男は一時的に市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎが放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。 父父はぶっ壊れていた。

    父が死んで良かった
  • 身内の認知症はこうやって始まるのだと、痛感。

    【登場人物】 ・母方祖母(後発難聴、他人とは筆談での会話になるが、自身は口頭で応答することができる) ・母方祖母の弟(祖母は5人姉弟、祖母は2番目、彼は5番目、だったと思う。祖母の保証人の一人である) ・母方祖父(4年前に他界) ・母(一人娘、3年前に他界。亡くなるまでは祖母の保証人) ・私(一人息子、20代後半。祖母の弟と共に、現在祖母の保証人) ・父 ・ケアマネージャー 母方祖母は現在、長年住んでいたところを離れて私が住んでいる東京の介護施設(老人ホーム)に、母方祖父より少し遅れて引っ越して住んでいる。 5,6年前(?)くらい、先に母方祖父が施設へ引っ越してきたのは、長年住んでいたところである日道端で頭を打って以来重度の認知症を患ってしまい、まともに話せる状態でなかったからである。 祖父の介護施設への引っ越しは、私と母と2人で飛行機を使って手伝った。 この介護施設は要介護の棟と、身の回

    身内の認知症はこうやって始まるのだと、痛感。
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