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ナショナリズムに関するnavecinのブックマーク (9)

  • 「可視化される他者」とナショナリズム - 梶ピエールのブログ

    例えば、大澤真幸氏は、ナショナリズムの「起源への関心」について次のように述べている(『ナショナリズムの由来』377ページ)。 ナショナリストは、ネーションの起源を、ネーションの領域からいくぶんかずれた外側に―いわば隣接的な外部に―見出す傾向がある。ナショナリズムは「起源」についての強い関心を伴う、ということについては既に述べておいた。その「起源」は、しばしば、ネーションの領土の外側に、つまり外国に位置づけられるのである。「日人」の起源が「南島」にあるとか、ユーラシア大陸の「北方騎馬民族」にある、といったような理説が、その例である。こうした傾向は、時に、国境紛争を誘発する原因となる。起源となる聖地が外国に奪われているかのような感覚を生むからである。 現在チベットが中国(人)のナショナリズムをかきたてているかのように思えるのは、大澤の言うように「隣接的な外部」であり、それゆえに歴史的に諸外国

    「可視化される他者」とナショナリズム - 梶ピエールのブログ
  • 成り立たないかどうか、ためしてみようじゃありませんか - Apeman’s diary

    池田信夫 blog 「なぜインターネットはナショナリズムを強化するのか」のコメント欄。 フェミニズム的ステロタイプ (池田信夫) 2007-04-09 15:01:56 ここで書いた「カルスタ=ポスコロ=フェミニズム的言説」の典型が、当ブログの記事(4/7)についての某ブログの記事にちょうどあったので、引用しておきます: <(氏名から判断する限り)男性である池田氏がここで自分を含む日人を「」になぞられていることは、なかなか興味深い。要するに女性性と受動性を「自然」に結びつけてしまう発想の現われなのだろうけれど、こういうところに無自覚であることと彼らの慰安婦問題に関する主張が欧米社会で受け入れられないこととは、もちろん無関係ではない。> 見事なステロタイプですね。私の記事で、主語を夫にしたらエピソードとして成り立たないことは無視して(あるいは理解できないで)、女性を比喩にしているところだ

    成り立たないかどうか、ためしてみようじゃありませんか - Apeman’s diary
  • 日本が特定アジアと分かり合えない最大の理由は宗教観である。|C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)

    歴史を振り返って考えると、『絶対に交われない相手』 『理解不能な天敵』 が存在する。 それは間違いなく中国と、長くその属国であった朝鮮半島である。 韓国なぞがよく日文化を 『韓国文化のコピーだ』 などと妄言を吐くが、これに対して日人は強烈な嫌悪感…というより 「何を言ってるか分からない」 という状態に陥る。 今では日国内にも 『美味しい韓国料理中華料理』 などが普通に広まっているが、それでも料理は許容できても民族性だけは絶対に認められないという人が多いだろう。 オレ様も韓国の 『日韓国のコピー』 『中国が親で韓国(朝鮮)が兄で日は弟』 という認識に対して、アジア諸国の一通りの通史を読みかじった程度のレベルではあるがこう反論する。 1.日は聖徳太子の時代に、すでに独立国家として中国と対等に渡り合おうとしていた。 2.足利義満という 『負のサプライズ的人物』 や、アメリ

    日本が特定アジアと分かり合えない最大の理由は宗教観である。|C.I.L(Charismatic Itabashi Lover)
    navecin
    navecin 2007/03/07
    ベタな上に突っ込みどころ満載なので逆に釣りに思える
  • 藤原正彦『国家の品格』

    藤原正彦『国家の品格』 昨年(2006年)、ベストセラーになったこの新書を今頃読んでいるのは相当恥ずかしいです。恥ずかしい思いをして通勤電車などで読みました。新書カバーとかかけて、ですね。 内容を大ざっぱにまとめると、次のようなものになります。 「論理」を中心にした近代的合理精神には限界がある。新自由主義も共産主義も民主主義も自由も平等もそれらが生み出したもので、今日の世界のいたるところで破たんを生じている。 その原因は「論理」を軸にしているから。論理はある条件下では問題を正しく導くが、それを忘れて万能薬のように扱うと大間違いに至る。 大事なのは「論理」ではなく、「情」や「形」であり、それを大事にしている文化はまさに日文化である。これらの情緒を育む形が武士道精神だ。いまの日はこれが廃れてしまった。 日はこれらの文化を大事にし「品格ある国家」を再建し、世界の危機を救う聖なる使命を果たす

  • パスワード認証

    インサイター insight : the ability to understand and realize what people or situations are really like

    パスワード認証
  • 11/14 愛国心があればコンビニでべた座りしなくなるか - きょうも歩く

    自動車免許の更新に行く。交通安全教育の内容として30分と限られた時間内ではきわめて適切な内容だったと思う。しかしこれで事故が減っているとは思えない。居眠りしていた人もいたし、何言ってんだよという態度で聴いていたDQNサラリーマンもいた。それより罰則強化で確実に事故が減っているというし、交通安全教育の無力さを感じる。でもやった方がいいけども。 帰りに今のマンションの販売はどのようになったか、気になった近所の新しいマンションのモデルルームを見に行く。まぁ、普通に住む分にはとてもいいマンションだと思う。 今の家に住むことを決めて8年になるが、内装込みの青田売りとか、、管理無視の売り方の抜的な姿勢は変わっていないと思った。一方で、生活のクオリティーを気にした設備などは相当良くなっていると思った。また強引に和室を用意することもなくなっている。 値段が少しびっくり。もともと交通の便利な場所ではあるし

    11/14 愛国心があればコンビニでべた座りしなくなるか - きょうも歩く
  • 愛国心の問題を無理矢理無害化する授業 - 今日行く審議会

    http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20061114/1163515439で、クローズアップ現代「“愛国心”って何ですか」の中で、ある授業の様子が映し出されていたというのを知った。その回はまだ見ていないので、見た後で何か付け加えるかもしれない。現段階で言えることを少し書いておきたい。 私は、そういう授業、もっとはっきり言えば、「中身の無い薄っぺらな授業」はすべきではないと考えている。最近こういう授業や授業の記録などに出会うとげんなりとしてしまう。 なぜ、中身の無い薄っぺらな授業と評したか。その理由は、「愛国心」という問題を、「日の四季は美しい」というような問題にすり替えて、それ以上子どもが「愛国心」について考えることを阻害しているからだ。「愛国心」について子どもが考えようとするとき、こういう授業をやると「愛国心」というのは「日の四季は美しい」と思うこと、「そう

    愛国心の問題を無理矢理無害化する授業 - 今日行く審議会
  • 9/29 教育基本法を改正して学力が上がらなかったら安倍新首相は責任を取るのか - きょうも歩く

    安倍新首相の施政方針演説が行われた。教育の建て直しと称する教育法の改正、脳みそ筋肉の、いや訂正筋肉質の政府、二毛作人生が方針として示された。 教育の荒廃を救うのは教育法の改正だ(もっと言うと日教組教員の撲滅だ)、というのが安倍氏をはじめ復古調(菅直人のいうところの保守亜流)政治家のホンネだろう。 多くの人にとって、今日公教育が信頼されるものとなっていない。教育の質が悪いこと、子どもたちの学力がひどいことになっていることが共有された認識になっている。で、それにつけ込む政治家が言うのが、戦後教育の抜的見直し、というフレーズになる。それが国民に翻訳されると、教育法で「民主的」な(私はそうでもないと思うが)教育が子どもや教員に甘すぎたからこんなことになったから、厳しくすれば子どもたちの学力も上がる、という話になっている。 ところが現実はどうだろうか。教育法の精神をホンネではせせら

    9/29 教育基本法を改正して学力が上がらなかったら安倍新首相は責任を取るのか - きょうも歩く
  • MIYADAI.com Blog - 間もなくマル激本第四弾『天皇制と日本のナショナリズム』が出ます。まえがきです。

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 間もなくマル激第四弾『天皇と日のナショナリズム』が出ます。まえがきです。 « 東京カワイイ戦争に参戦? | 日、僕が企画に関わった『ETVワイド』(「団塊の世代」特集)がオンエアです! » ■安倍晋三内閣の誕生直後に前書きをしたためている。2006年9月26日。安倍首相個人の資質について取り沙汰されているが、それよりも問題にするべきは、この「ナショナリズム」を賞揚する首相の内閣支持率が、発足当初ではあるものの、七割前後に及ぶことだ。 ■前小泉内閣の支持率も一貫して五割前後だったが、結論から言えば、「この種のナショナリズム」が大々的に通用することの背後に、戦後史に関わる「健忘症」を見出さざるを得ない。そしてこの「健忘症」は何よりも「象徴天皇制」を巡って際立っていると感じる。 ■最初に断っておけば、私(宮台真司)は旧東側や戦前日

    navecin
    navecin 2006/09/30
    「戦後的なもの」を否定してみせる「右」は、「戦後的なもの」──豊かさであり自由であり──にタダノリする。賢しらにナショナリズムを否定してみせる「左」は、国にタダノリする。同程度に愚昧である。
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