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2007年7月12日のブックマーク (3件)

  • 「母の葬式で泣かない」こと (Dead Letter Blog)

    母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。(A・カミュ 『異邦人』) 例の尼崎の脱線事故当日に、JR西日の非番の社員が宴会やボウリングに出かけたことを批判する論調があったのだけれども、その報道を受けて真っ先に僕はこの『異邦人』の主人公ムルソーを非難した検事を思い出してしまった。 ムルソーが死刑に処せられたのは殺人を犯したが故にではない。母の葬式で涙を流さず、コーヒーを飲み、タバコを吸い、そしてその翌日に恋人と海へデートに出かけたからだった。 「母親の死の翌日、最も恥ずべき情事にふけった、その同じ男が、つまらぬ理由から、何ともいいようのない桃色事件のけりをつけようとして、殺人を行ったというわけです」 「事故の当日、最も恥ずべき宴会に興じた、そういう社員

  • Amazon.co.jp: サハラに死す: 上温湯隆の一生 (講談社文庫 な 30-1): 長尾三郎: 本

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  • 「被害者の人権」は普遍的か? (Dead Letter Blog)

    仮に子を惨殺された夫が、葬式で涙の一つも見せず、その翌日に女と遊びに行ってしまうような男だったとしよう。さらにもう一つ、彼の殺されたもしばしば育児をほったらかしにしながら男と浮気をし、家庭内不和が表面化していたと仮定を置いてみよう。つまり彼らの家庭は世間的に見て眉をひそめられるようなものだったのである。 さてその被害者遺族=夫がいかにも美味そうにタバコの煙をくゆらせながら記者会見でこのように主張するのである。 「犯人を決して許すことが出来ない。彼は許されないことをした。命をもって償わなければならない。」 光市母子殺人事件の被害者遺族である村氏はもちろん上記のような人間であるどころか、それとは正反対にあるような人である(ように少なくとも僕には「見える」)。彼は生真面目なサラリーマンであり、そして大恋愛の末結ばれたと待望の一人娘を一途に愛す良き家庭人でもあった。彼の家庭は現代の社会に