2011年1月21日のブックマーク (5件)

  • 江田法相、死刑廃止「制度としていいのか。考える時期」廃止検討に言及 - MSN産経ニュース

    江田五月法相は21日の閣議後の記者会見で、死刑制度について「世界中の状況から見ると、制度としてあることはいいのかどうかも、考えていく時期に来ているのかなという気はしている」と述べ、制度の存廃を検討する必要があるとの考えを示した。 しかし、検討に何らかの結論が出るまで、執行を停止するかどうかは「よく考えてみる」と、明言を避けた。 死刑自体については「取り返しがつかないというのは、そうなんです。命を奪うわけだから」と話した。江田法相は14日の就任会見で「死刑は欠陥を抱えた刑だ」と述べている。 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調べでは、死刑が存続しているのは58カ国・地域で、廃止・長期停止は139。

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    ncc1701 2011/01/21
    靖国参拝と一緒で、法相就任のたびに死刑執行命令が焦点になること自体おかしい。死刑存廃論議は立法府の仕事だろ。
  • asahi.com(朝日新聞社):ただ捨てられる命 犬・猫、殺処分を公開 松山の施設 - 社会

    殺処分される直前の犬=12月14日、松山市東川町、中田写す「犬たちをおくる日」(今西乃子著、浜田一男写真)。1300円(税抜き)  飼い主に捨てられるなどして、年間30万匹近い犬やが「殺処分」されるなか、愛媛県動物愛護センター(松山市)の職員の姿を描いた児童書「犬たちをおくる日」(金の星社)が反響を呼んでいる。同センターは命の大切さに気づいてもらおうと、殺処分の様子を原則公開している全国でも珍しい施設。ペットの最期に向き合う職員らの思いを聞いた。  センターは2002年12月に開設。1年間で、県内で収容された犬約2千匹、約3500匹が殺処分される。  06年4月からは啓発活動として、希望者には面談などをしたうえで、殺処分を含めて施設のほとんどの様子を公開している。岩崎靖業務課長は「犬たちの思いを、覚悟のある人には直接感じてもらいたいのです」と話す。  「犬たちをおくる日」は、センターの

    ncc1701
    ncc1701 2011/01/21
    全施設で視聴を義務付けるべき。「これが、あんたが今日捨てる犬の末路だ」ってちゃんと教えてやらなきゃ。
  • 1995年についての考察

    宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench 朝七時に目をさまし、いままで日の授業の準備をしていました。うーん、もっと語るべきことがあるんじゃないのか、先週、サブカルチャー論に来た方(学生ではない方)から頂いた『村崎百郎の』もじっくり読めなかったし、「90年代サブカル」については語ることがもっとあるはずだ。 宮沢章夫(笑ってもピンチ) @aki_u_ench しかしながら、90年代に入ってサブカルチャーの世界というより演劇にばかり関わっていた記憶がある。その時代をたしかに過ごしたのだから知らないわけがないのに、遠くのものとして、その時代の「ある側面」を見ていたのだな。

    1995年についての考察
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    ncc1701 2011/01/21
  • 『ぼとむ@お酒・ワイン垢 on Twitter: "性暴力表現がもし社会にありふれて(現状が既にそうだ、という主張もあるでしょうが)、その結果、実際の性暴力行為への抵抗感が社会から失われたとしても、それは対抗言論が育たなかったという「社会の選択」の結果であって、公権力はそこに介入してはならない、とはっきり言わないといけないんだな"』へのコメント

    世の中 ぼとむ@お酒・ワイン垢 on Twitter: "性暴力表現がもし社会にありふれて(現状が既にそうだ、という主張もあるでしょうが)、その結果、実際の性暴力行為への抵抗感が社会から失われたとしても、それは対抗言論が育たなかったという「社会の選択」の結果であって、公権力はそこに介入してはならない、とはっきり言わないといけないんだな"

    『ぼとむ@お酒・ワイン垢 on Twitter: "性暴力表現がもし社会にありふれて(現状が既にそうだ、という主張もあるでしょうが)、その結果、実際の性暴力行為への抵抗感が社会から失われたとしても、それは対抗言論が育たなかったという「社会の選択」の結果であって、公権力はそこに介入してはならない、とはっきり言わないといけないんだな"』へのコメント
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    ncc1701 2011/01/21
  • 才能の潰れ方

    これはちょっと自慢ですが、僕はある分野でかつて神童と謳われてた事がありまして。今は凡人ですが。へへ。 で、僕はその過去の栄光のおかげで、特別才能のある子供達の英才教育現場に従事してきたのだけれども、そこで天才と呼ばれる彼らを見続けて、彼らが(そして思い返せば僕も)必ずと言って良いほど通過する心理的な難所に気がついたので書いておくことにします。ほんとに単純なことだけど。 彼らは成長の過程でまず、自分の中の万能感を認め、飼い慣らさなければならない。それまでの小さなコミュニティでは自分の優位性を再認識し、その存在を確立する手助けをしていた万能感が、渡航や進学で大きなステージに出たとたんに鈍重な重荷になる。万能感の根拠が相対的なものでしかなかったことに気がつくわけですね。 ある種の天才児達はここを乗り越えることが出来ない。万能感を適切な形に処理できないまま現在の自分とのギャップに苦しんで潰れてしま

    才能の潰れ方
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    ncc1701 2011/01/21