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ブックマーク / www.refugee.or.jp (7)

  • 新宿で生きる子どもたちの現実。多様なルーツの親子と向き合う「みんなのおうち」小林普子さんの人生|ニッポン複雑紀行

    東京都新宿区は外国籍住民の割合が全体の1割を超えており、東京23区の中でも最も高いことで知られる。 特に新宿駅の北側に位置する大久保周辺は集住地域で、区内で最多の外国籍住民が暮らす大久保2丁目ではその割合が3割超にも及ぶ。日全体(2%強)と比べると10倍以上の割合だ。 大久保はコリアンタウンとして有名だが、コリアン以外のお店や日語学校なども集積している。また、レストランやショップなど、大人が「働く場所」としての側面に目が行きがちだが、子どもを含めた「暮らしの場」としての側面も、そのすぐそばにある。 そんな大久保地域周辺で、多様なルーツを持つ子どもたちを20年近く支え続けてきた一人の女性がいる。NPO法人「みんなのおうち」代表の小林普子(こばやしひろこ)さん。 現在は、日語と教科の両方を対象とする学習支援教室「こどもクラブ新宿」(小4〜中3対象)と、多目的の居場所「みんなのおうち」(主

    新宿で生きる子どもたちの現実。多様なルーツの親子と向き合う「みんなのおうち」小林普子さんの人生|ニッポン複雑紀行
    nicoyou
    nicoyou 2022/12/20
    “日本社会として外国ルーツの親や子どもを支える体制が整っていないのは恥ずかしいことです”こども食堂とかもそうだけど、この国は善意のボランティアに甘えすぎなんだよな
  • 東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く|ニッポン複雑紀行

    東北地方の農村地域や沿岸部には、いわゆる「結婚難」や「嫁不足」を背景として、行政や事業者の仲介で日人男性と結婚した外国人女性たちが数多く住んでいる。1980年代ごろに始まった動きで、中国韓国、フィリピン出身の女性が大半を占める。 ときに日語がままならない状態で結婚を決断し、都市部ではなく外国人の少ない地域にたった一人で飛び込んだ女性たち。彼女たちはどんな理由で日で暮らすことを選び、その後どんな人生を送ってきたのだろう。 結婚生活はどうだったか。夫の両親や親族との関係はどうだっただろう。仕事のこと、子どものこと、お金のこと、地域のこと。東北各地に移住した女性たちはどんな経験をし、どんな時間を過ごしてきたのだろうか。 近年、結婚移住で新たに東北に来る女性の数は減少傾向にあり、日で今も暮らす女性たちは徐々に高齢化している。各地に散らばったその存在は見えづらく、社会的な関心も必ずしも大き

    東北の男性と結婚した外国人女性たちの経験。「不可視化」の理由と託された言葉の数々。#移住女性の声を聴く|ニッポン複雑紀行
    nicoyou
    nicoyou 2022/11/10
    しんどいな………
  • ただ世界でたった一人の「家族」と一緒にいたかった。台湾と日本、結婚できない「二人の男性」が辿り着いた場所|ニッポン複雑紀行

    ただ世界でたった一人の「家族」と一緒にいたかった。台湾と日結婚できない「二人の男性」が辿り着いた場所 桜もピークを過ぎ、少しずつ散りはじめてきた4月中旬。私は千葉県内のとある駅の改札でその人と落ち合った。Gさんだ。 マスクをしたGさんは「花粉がひどくて」と言った。1969年に台湾の台北市で生まれ、今年で50歳になる。Gさんはゲイで、HIV陽性者でもある。 幼少期に自身がゲイであることを自覚した彼は、そのコンプレックスから何度も自殺未遂を繰り返し、家族とも疎遠になった。 1992年、23歳のときに逃げるように台湾を離れた彼が留学生としてやってきたのが日だった。 1993年に再び観光ビザで日にやってきた際、現在のパートナーである日人のYさんと出会い、1994年にもう一度観光ビザで日へ。それ以来、今までずっと日で暮らしている。 日出身のYさん(左)と台湾出身のGさん(右) 90年

    ただ世界でたった一人の「家族」と一緒にいたかった。台湾と日本、結婚できない「二人の男性」が辿り着いた場所|ニッポン複雑紀行
    nicoyou
    nicoyou 2019/06/07
  • 酒の席での説教から「日本人だねえ」という謎の褒めまで。外国人社員の目に映る「日本の職場」の不条理な現実|ニッポン複雑紀行

    酒の席での説教から「日人だねえ」という謎の褒めまで。外国人社員の目に映る「日の職場」の不条理な現実 都内某所。うす曇りの空の下、大きな公園の入口で待っていると、遠くからジャケット姿の男性が猛スピードで走ってくるのが目に止まる。彼は私の前まで到達すると、なんとか呼吸を整えながらこう言った。 「遅くなってすみません…!」 待ち合わせは10時ちょうどで、実は私自身が2分ほど遅刻していた。そしてシャハランさんはそれからさらに3分、つまり5分遅れただけだった。そもそも事前に電話で遅刻の連絡も入っていた。 「営業では遅刻なんて絶対しないんですけど…車がとてつもなく混んでいて…!」 自分はどちらかと言うとルーズな方なので、とてもきっちりとした性格の方なのだなというのが、彼に対して抱いた最初の印象だった――。 石野シャハランさん、38歳。1980年にイランの首都テヘランで生まれ、22歳になった2002

    酒の席での説教から「日本人だねえ」という謎の褒めまで。外国人社員の目に映る「日本の職場」の不条理な現実|ニッポン複雑紀行
    nicoyou
    nicoyou 2019/03/28
    “一番謎なのは「日本人だねえ」とか「日本人でしょ」と言われることですね。褒めているのか皮肉で言っているのか全然わからない。「日本人だねえ」って不思議な言葉ですよね”ほんと恥ずかしいな……
  • 「日本人」とは何か?「ハーフ」たちの目に映る日本社会と人種差別の実際|ニッポン複雑紀行

    「ハーフ」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。テレビで見かけるいわゆる「ハーフタレント」たちのイメージ、あるいは学校や職場で知り合った人のイメージが思い浮かぶ人も多いかもしれません。当然ですが、一口に「ハーフ」と言っても様々な人たちがいます。ルーツや国籍、性別、年齢、生まれた場所まで当に多様な人たちが「ハーフ」という言葉で括られています。 この記事では「ハーフ」や「混血」といったテーマで研究を深めてきた数少ない研究者である若手社会学者の下地ローレンス吉孝さんに、彼がこれまでの6年間で集めてきた50人以上の聴き取りの中から、ガーナ、ボリビア、インド、アメリカに縁のある4人の言葉を選んで紹介していただきました。「ハーフ」という言葉・括りの中で葛藤してきたかれらが、これまで日の「日常」の中でどんな体験を通過してきたのか、ぜひ知っていただけたらと思います。(編集部) 「ハーフ」のイ

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  • 宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話 大塚にある細長いモスク JR大塚駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けたところにその小さなモスクはある。「マスジド大塚」だ。「マスジド」とはアラビア語でモスクを意味する言葉。モスクはムスリム(イスラーム教徒)のための礼拝所である。このマスジド大塚が創立されたのは2000年のことだ。 私が初めてこの場所を訪れたのは4年前のこと。持ち金が尽き、泊まる場所がなくなったナイジェリア出身の難民申請者がモスクでお世話になっていたときのことだった。その日は外国から来た難民だけでなく、日人のホームレスの方たちもモスクで寝泊まりしていた。 マスジド大塚。小さなドームとミナレット(尖塔)が目印 モスクというとトルコの「ブルーモスク」のような豪華絢爛なイメージもあるが、マスジド大塚は質素なつくりをしている。横

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  • 駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行

    新大久保は「韓流だけじゃない」 韓流の街というイメージが強い新大久保。しかし、駅から一歩出ればもっと「複雑」であることに気づく。行き交う人たちの出身国は2〜3ヶ国では済まなさそうだ。 街頭の看板も日語、韓国語、英語に加えて、ネパール語やベンガル語らしきものが並んでいる。色やデザインも独特だ。 驚いたのは、駅構内の多言語アナウンス。なんと24ヶ国語で、「事故防止のために、階段や通路は右側を歩いてください。階段は止まらずに進んでください」と流れている。駅構内の様子を実際に音声付きの動画で撮影してきたので一度聞いてみてほしい。 【動画】新大久保駅のアナウンス(クリックして再生) この多言語アナウンスは2015年に始まったという。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを導入した当時の駅長、阿部久志さんに、取り組みのきっかけや狙いについて話を聞いてみた。 阿部久志さん。JR新大久保駅の前駅長(2012-2

    駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行
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