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歴史とUKに関するnikumiso10のブックマーク (2)

  • エルザ氏による、イギリスの道路の父、盲目のジョン・メトカーフについて

    エリザ @elizabeth_munh 白杖をついた男が街路を進む。やがて彼に馬車が追いつき、中から声が掛けられた。 「ハロゲイトに行く気かい? 丁度私も行くところなんだ。よければ乗って行くかい?」 紳士の申し出に男は少し考えた後、首を振った。 「歩いて行った方が早いですよ」 紳士は面らった。何せ男の目は閉じられていて、盲目なのは明らかだったのだから。 彼の名はジョン・メトカーフ。通称を『ブラインド・ジャック』。 後にイギリス道路の父の一人と呼ばれる男だった。 エリザ @elizabeth_munh メトカーフはイングランド北部、ヨークシャーの温泉地、ナレスボロの貧しい馬飼いの息子で、納屋で生まれた。 4歳の頃に学校に入ったものの、6歳の頃に天然痘が辺りで猛威をふるい、何とか生き残ったものの、代わりに視力は永遠に失われてしまった。 「可哀想に、こんな幼く……」 エリザ @elizabet

    エルザ氏による、イギリスの道路の父、盲目のジョン・メトカーフについて
  • 植民地支配の歴史、アフリカでエリザベス女王の遺産に影

    ナイジェリア・ラゴス(CNN) エリザベス女王2世が亡くなってすぐ、インターネットは人々の回想や反応であふれかえった。だが誰もが悲しみに暮れていたわけではない。アフリカの若者の中には、女王の長い在位期間中に、英国植民地史でも凄惨(せいさん)な時期を耐え忍んだ祖父母など高齢者の写真や物語をシェアしている者もいる。 「追悼する気にはなれない」。あるユーザーはこうツイートして、祖母の「通行証」の画像を投稿した。英国が東アフリカのケニアを統治していた時代、人々の自由な移動を禁じた植民地時代の書類だ。 植民地時代に「女たちが殴られ、夫と引き離されて1人で子どもを世話しなければならなかったという話」を祖母からよく聞かされたという投稿もあった。「彼女たちを決して忘れてはならない。彼女たちは私たちのヒーローだ」とも書かれていた。 こうした追悼拒否の姿勢から浮き彫りになるのは、女王のレガシー(遺産)の複雑さ

    植民地支配の歴史、アフリカでエリザベス女王の遺産に影
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