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2009年2月10日のブックマーク (7件)

  • 若き日のサール、ウィトゲンシュタインを語る その1

    アメリカ哲学界の大御所サール(J. R. Searle)が、天才ウィトゲンシュタイン(L. Wittgenstein)を語り尽くした動画。聴き手は哲学コメンテーターのブライアン・マギー(Bryan Magee)。youtubeより転載。その2→sm4696557

    若き日のサール、ウィトゲンシュタインを語る その1
  • YouTube - 「ガラスの十代」 光GE●JI

    当時はすごい人気でしたね。

  • 俺男なんだけどさぁ、もう駄目。

    なんで俺ちんこついてんの。なんで男なの。いらねぇよ、こんなもん。 俺はMtFじゃない。女性化願望があるわけじゃない。女性には悪いけど生理とかの覚悟無い。無い無い尽くしだけど、なんで俺、男なの?意味がない。意味わかんない。もはや人体の不思議レベル。俺が男だっていう事実が許せない。 俺だって好かれたいよ。愛されたいよ。自分の心に嘘つけないから言う。愛されたい。でも無理。あなたにとっては女じゃないと無理なのは知ってる。でも俺が女になったって意味が無い。多分どうにもならないし、そんなん思うことすら意味が無い。だってなれねーもん。俺どうあがいたって男だもん。上から下まで、精神から体まで、運命から命まで、全部男だからな。だから、どうにもならない。わかってるよ。わかってる。知ってる。そう強がってる。そう言い張るし、そう思い込んでる。思い込める力はあるんだってば。いっとくけど俺、マジでつよいよ。つよいんだ

    俺男なんだけどさぁ、もう駄目。
    nisemono_san
    nisemono_san 2009/02/10
    本文とは関係ないところで、「公園で泣かせろよ」とは思った。
  • 非モテ童貞の自虐話、メンヘラ女を落とそうと思った

    非モテ、つうか彼女いない歴=年齢の27歳素人童貞。 もう数年メールしてるメル友の女性がいて、好かれたり嫌われたりを繰り返してた。 具体的に言えば、俺が好き好き言ってみるも流されたり断られたりした。 何度も俺の配慮ない言葉にキレて連絡が途絶えるも、数ヶ月経つと「久しぶり」みたいなメールが来て関係再開を数回。 メールとか電話でしか知らないのに結婚しようか?とか一緒に住もうか?と言われて俺がビビって断ったり。 でも、会おうか?と申し出るも何度も断られ。 で、この間会った。 彼女の部屋に泊まった。 男と女の関係にはならずに、友達でいましょうと言われた。 そしたら、俺ずいぶんおかしくなった。 自分の人生ってものを考えちゃった。 誰にも認められることなく、受け入れられることなく、この先ずっとなんじゃないかと。 これでも、道を踏み外すことなくよくもないまでも悪くない人生を送ってきた自信はある。 職には苦

    非モテ童貞の自虐話、メンヘラ女を落とそうと思った
    nisemono_san
    nisemono_san 2009/02/10
    タイトルだけでお腹一杯になれるエントリ選手権候補作品
  • 青空文庫 アクセスランキング

    2009.2.5 作成 2023.01.05 最終更新 メインサイトにおける、作品ファイルへのアクセスランキングを、ファイル種別ごとに、500位まで示します。 同じIPアドレスから、同じファイルへのアクセスは、24時間ごとに1回と数えています。

  • ユリシーズとは何ぞや?

    ユリシーズとは何ぞや? 「ユリシーズ」とは、アイルランド生まれの作家ジェイムズ・ジョイスが、1922年に発表した長編小説です。全18挿話からなり、700ページを超える、文字通りの「長編小説」となっています。「ユリシーズ」というタイトルからも分かる通り、ホメロスの「オデュッセイア」を下敷きにしていて、18挿話がそれぞれ、ホメロスの「オデュッセイア」18章と(厳密ではないものの)対応関係にあります。登場人物も対応関係にあり、主人公の三人、スティーブン・デッダラス、リアポルド・ブルーム、モリー・ブルームが、それぞれ、テレマコス、オデュッセウス、ペネロペイアとなっています。 では肝心の「ユリシーズ」のストーリーを紹介しましょう。 朝、リアポルド・ブルームが家を出て、夜おそく家に帰る。 掻い摘んで話すとこれだけです。「省略し過ぎだ!」と思うかもしれませんが、これだけです。これといった事件は起

  • あつじ屋日記 「被害者」になること≠「被害者」であり続けること

    昔から思うことで 人生で何かの「被害者」になった経験のない人というのは、ほとんど存在しないと思うのですが(形而上的に高次の視点で見れば「被害者」も「加害者」もないと言えるのですが、それはここでは置きます) 人が「被害者」になるということと、その後ずっと「被害者」であり続けるということは、別問題です。 世の中には、えてしてこの「被害者で在り続けること」を選んで、そこで立ち止まってる人がいて 自分は被害者である、ゆえに加害者あるいはその他の誰かが自分の面倒を見るべきであり、自分は何もする義務は無いという信念に凝り固まっている ぶっちゃけ、大変はた迷惑な人がおいでです。 家族や身近な人の中にそういう人物がいると、そばにいる人間は逃げ場がなく、際限ないストレスに悩まされることになります。 心理学で「共依存」という言葉がありますが、子どものひとり立ちを望まない親と、親離れを望まない子どもが、互いに依