小児性愛者(ペドファイル)の中には、自分は決して子供を虐待しないと言い切る人たちがいる。この人たちにはどのような支援体制があるのか。虐待が起きないようにするために、社会はこの人たちとどう向き合えばいいのだろうか(文中敬称略)。
「赤いTシャツを着た男を公園で何度か見かけました。事件前日の17日13~14時頃と、当日18日の朝8時頃です。一昨日はデニムの短パン、昨日は長ズボンを履いて、公園のベンチに脚を曲げて寝ていました。平日で人が少なく、目立っていた。普段公園で休憩しているのはおじいちゃんが多いし、このあたりであんな人は見たことがないので気持ち悪かった」 事故現場に献花、手を合わせるする人々 ©吉田暁史 捜査関係者によると「青葉容疑者は、所持していた免許証からさいたま市在住の無職41歳だと判明。これまで埼玉県や茨城県で、職も家も転々としてきた」という。 「埼玉県内の中学校を卒業後、同県内の高校の夜間部に通いながら、県の非常勤職員として勤務していました。その後は人材派遣会社に登録をしたり、茨城県内の郵便局に勤務したりしていた記録が残っている」(同前) 郵便局での勤務を始めたのは2009年。その3年後、青葉容疑者はあ
個人的な視点で平成史を書いていてその後中断しているが、平成初年の陰惨な事件を振り返ったとき、それが平成という時代の幕開けを象徴していたかのような錯覚を覚えたものだった。そして、令和という時代が始まったときも、そこは人の世である、なにか時代を象徴するような陰惨な事件が起こるのかもしれない、という、不安のような取り越し苦労のような直感があった。そんな思いが、ずっと鈍く重く続いていた。そして、昨日の京都アニメーション放火事件を知り、ああ、これか、とうなだれる思いがあった。亡くなられた方に哀悼したい。 真相はわかっていない。だが、知りうる範囲だけでも不気味な事件に思えた。まず、これはテロ事件であると捉えてよいように思うが、何がテロかという問題は難しく、今回の事件は政治的な意図をもつ旧来型のテロとはいえないだろう。むしろこの事件のテロ的な意味合いが「令和」を象徴するものになりそうだ。 33人が亡くな
息子がまだ小さかった頃、幼稚園でお泊まり会というのがあった。みんなで先生と一緒に、一晩、幼稚園でお泊まりをする。それだけの行事だ。だが、親元を離れたことがない幼児たちにとっては、一大試練だった。 息子もその日は朝から緊張して、ああだこうだといろんなことを母親に要求していた。でも何とか夕方幼稚園に送り出した。翌朝、夫婦で迎えに行ったら、機嫌よく幼稚園の門から出てきたから、どうやら何とか楽しく過ごせたらしい。 その日の午後には、遠くに引っ越した仲の良い友達・ツーちゃんが、遊びに来てくれた。ひとしきり一緒に遊んであげて、友達を送ってから、わたしは息子に言った。 「ツーちゃんが遊びに来てくれて、よかったね。昨夜お泊まり会で頑張ったからだよ。がんばるとね、きっといいことがあるんだ。」 『頑張れば、必ず良いことがある』--これは子供が小さいうちに、親が伝えるべき大事な教訓だ。だから、わたしもそうした。
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