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ブックマーク / may13th.exblog.jp (7)

  • 救う会の救われない救い | 性・宗教・メディア・倫理

    フィクションです。 * AB夫の娘C(3歳)は先天性の重い心臓疾患を持っている。 治療手段は移植以外になく、余命1年だといわれている。 移植は日ではおこなうことができず、渡航移植にはAB夫の預貯金と処分できる財産を合計した金額より一億円必要。 そこで、Cを救う会を組織し、友人や親戚などの力も借りて募金活動を行うことにした。 繁華街で活動しているところに、関係はないが関心があるD、E、F、G、が通りかかり、Aと会話する。 D:「こんにちは」 A:「こんにちは」 D:「寄付を考えいますが、その前に、お話を聞かせてもらえませんか」 A:「ええ、どうぞ」 D:「さっそくですが、寄付に頼って海外で移植することに問題はないとお考えですか」 A:「どのような問題が考えられますか」 D:「まず、純粋に理論的な問題ではなく、現実的な問題について考えて見ますと、平等の問題があると思います。」 A:「はい

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    nisemono_san
    nisemono_san 2006/12/31
    てつがくてきふぃくしょん
  • 悲しいお知らせ。 | 性・宗教・メディア・倫理

    いじめには理由がある。 “協力・助け合いの重要性を実感してもらうため体育の時間に「30人31脚」を行うことなどを提唱している” 朝日新聞:教育再生会議「心の成長」策提唱 http://www.asahi.com/edu/news/TKY200611290420.html 30人の生徒が足首を紐で結び合わせて走る競技を取り入れる。 そのクラスでいじめの種子、たとえば「臭う」「汗っかきでキモイ」などから「なんとなくウザイ」「ノリがわるい」などの認識を特定の一生徒が複数の生徒達から持たれる、があったとする。 そこで、30人が足首を結び合わせて走ったとき、何が起きるだろう。 * “共同体型の学校では、ネズミや鳩を檻の中でむりやりベタベタさせると、通常では考えられないような攻撃性が生じるという、あの過密飼育実験をわざわざ税金をどぶに捨てながらやっているようなものです。” 『学校が自由になる日』(雲母

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    nisemono_san
    nisemono_san 2006/12/02
    歴史に学ばない人たち
  • 教育を、もっと教育を! | 性・宗教・メディア・倫理

    “今こそ徹底的な教育を施して、一から叩き直さなければ。 誰をって?決まっているじゃない。大人を、だ。” “特に「心の教育」みたいなものを強化したいなら、明らかに大人のほうが順番として先だろう。” H-Yamaguchi.net (http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/12019621) 基的には賛成です。 “教育とは、社会を映す鏡であり、またその反映にすぎない。教育は社会を模倣し、それを縮図的に再現しているのであって、社会を創造するものではない。国民自身が健全な状態にあるとき、はじめて教育も健全なものとなるが、それはまた国民と共に腐敗するものであって、自力で変化することはできないのである。もし道徳的環境が腐敗していれば、教師自身もそのなかに生きているのであるから、かれらにもそれが浸透しないわけにはいかない。”とE・ディルケムも述べたのと同じこと

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  • 好きなだけ検便容器を壊せばいい/藤原正彦と特攻の精神 | 性・宗教・メディア・倫理

    はじめに) 反近代。 論理より情緒。 民主主義より武士道。 家族→地域→郷土→国家への“愛” 世界からの尊敬への欲求、世界を導く日(の私)。 その全てがあった。 その時代の実相と結末を忘れ、「父」「母」の喪失を受容できない固着した想いという私情の産物を“国家”の名で包装した書籍が受け入れられる。(参照:新田次郎によろしく/『国家の品格』への道) その時代の結末が民衆に示したはずの教訓を忘れて、もうすぐ、“国と郷土を愛する”義務教育が始まろうとしている。 ******** 以下の冗長な私の文章にウンザリという方、つまらなそうだと感じた方へ。 書いている人が申すのも何ですが、読まなくて結構です。 『ねじ曲げられた桜』大貫恵美子著(岩波書店)定価4200円を読んでください。(⇒ライフログへ追加しておきました) 書店にお勤めの方は、『国家の品格』の平積みはトイレの個室に入れて置いて、『ねじ曲げ

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  • 恋愛の混乱と恋の普遍性 | 性・宗教・メディア・倫理

    恋愛っていうのは周囲に暗黒がある。その“暗黒”の性質っていうものがどんなもんかっていうのは今話しちゃったようなもんですけど、恋愛っていうものは必ずそういうもんなんですね。もうちょっと突っ込んだことを言ってしまえば、人間が恋愛をする、恋に落ちるということは、そこではじめて、自分を取り囲む、“暗黒”というものがある、そういうものがストーっと自分を取り巻いて来ていたんだっていうことを知ることなんですね。” 『恋愛論』(講談社文庫)橋治著 “恋人以外の人にのろいをおくらぬとは、恋人を愛するが故に他人を損なうようにならないことだ。恋の中にはこの我儘がある。これが最も恋を汚すのだ。” 『出家とその弟子』(新潮文庫)倉田百三著 大正5年(1916年)と昭和61年(1986年)。 70年の時を挟んだ、この二つの作品には、二つの共通点があります。 一つは、言葉遣いの混乱(未整理)。 もう一つは、恋の普遍

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  • ソープへ行け! | 性・宗教・メディア・倫理

    前回新田次郎によろしくで、藤原正彦さんの著作群から、その思考を私なりに抽出してみました。 結果、簡単に言えば、欧米に対する劣等感と父親への激しい敬慕が藤原さんの近年の思考を形作っているのではないか、と言うのが私見です。 さて、この根深い問題へ対処するための提言をカリスマから頂きたいと思います。 「ソープへ行け!」 北方謙三 “女の子はいつまでもかわいく、やさしく、また話し相手にもなってくれそうだ。それに、いつまでも一緒に風呂に入ってくれるかもしれない。”(『休憩時間』151p) “私は麗しい娘たちに自分がほめられた如くうれしくなった。「いや、三人の息子は大変です。毎日、風呂で四もオチンチンを洗わねばならない、僕の悲劇を考えてください。」歩道の三しまいは、どっと声を上げて笑った。意気揚々と家に戻り報告したら、女房がまなじりを上げて下品をとがめた。”(『ケンブリッジ』179~180p) ソー

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  • 藤原正彦の喪失と成熟への渇望 | 性・宗教・メディア・倫理

    新田次郎によろしく/『国家の品格』への道・ソープへ行け!に引き続いて。 教育法の改正(or悪)に纏わって語られる、愛国心、国家を求める言説。 一貫性もなく、事実としてもせいぜい明治までしか遡れない「伝統」への奇妙に浮ついた憧憬。 何が、それらを必要とさせるのか。 藤原正彦さんと江藤淳を通じての考察。 (1)喪失/父 敗戦は「父」の喪失だった。父の死ではなく、父が生き残ったことによる喪失。 幼すぎた藤原さんには、喪失される以前の記憶はなく、喪失という状態が所与のものとして経験された。 記憶が明確になるのは、帰国後の4歳ころ(威厳維持60p)。 父は係長で、課長以上の住める官舎に特別に入居していたため、周囲は上司の家族。 “「あなたがいつまでたっても課長になれないから、子供たちまでバカにされる」”(62p)とになじられる。 “母の毒のこもった批評に対し、父が余り反論しないのが私には不思議

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