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ブックマーク / blog.tatsuru.com (8)

  • Harbor light について - 内田樹の研究室

    ゼミの卒業生の結婚式でスピーチをするのは、大学の教師にとっては「仕事の一部」のようなものである。 だから、日程さえ合えば、日中どこでもうかがって、一席弁じることにしている。 どうしてゼミの教師を結婚式に呼ぶのか、ということをあまりこれまで真剣に考えたことがなかったが、今日スピーチしながら、やはりこれは「観測定点」としての機能ということが主なのであろうと思った。 卒業生たちはのどかな4年間を過ごしたあと、多くは卒業してからはなかなかにめまぐるしい人生の変転を経験する。 住むところが変わり、いくつかの職種を経験し、出会いと別れがあって、そしてある日「めでたく華燭の典を迎えられた」わけである。 はたと立ち止まって来し方行く末について熟慮してみたいという気分にもなろうというものである。 『五万節』だって、「学校出てから十余年」と歌っている。 「学校出てから」というのは、実人生の「起点標識」なので

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    nisshi_jp 2011/11/01
  • 暑いよお (内田樹の研究室)

    猛暑日が続くが、大学はまだ一週間授業がある。ほかの大学の中には8月中旬まで授業をするところがある。 なぜ、このような劣悪な気象状況の下で授業をしなければいけないのかというと、文科省が「半期15週必ず授業をやること」と厳命してきたからである。 従わなかった場合には助成金削減などのペナルティをちらつかせているので、どこも仕方なく国民の休日を開校日にしたり、入学式の週から授業を始めたり、夏休みを短くしたりして対応している。 なぜ、授業時間が増えたかというと、理由は簡単で、「日人の学力が低下したから」である。 それに対して政治家と財界から文科省にうるさく「いったい教育行政はどうなっているのか」と譴責がなされる。 文科省としても、何かをしないと恰好がつかないので、とりあえず「授業時間を増やせ」というきわめて頭の悪いソリューションを(「頭悪いなあ」とたぶん人たちも思いながら)大学に通達したのである

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    nisshi_jp 2010/07/21
    読み合わせてみると…うーん。。→http://blog.tatsuru.com/2010/04/14_1233.php
  • 就活に喝 - 内田樹の研究室

    ゼミに行くと欠席が9名。 ほとんどの四年生は最終学年はゼミしか授業がないはずであるので、ゼミに来ないということは、フルタイムで就活に走り回っている、ということである。 気の毒である。 だが、浮き足立ってことをなして成功するということはあまりない。 大事に臨んでは、まずゆっくり腰を据えて、お茶漬けなどべるというのが日古来の風儀である。 ゼミを休むほどに浮き足立ってはろくな結果にならない。 それに、私に「ろくな結果にならない」というようなことを言わせてはいけない。 私の言葉はたいへん遂行性が強いからである。 私が「そんなことをすると、ろくな結果にならない」とうっかり口走ってしまうと、それはきわめて高い確率で現実化するのである。 だから、君たちがわが身の安全をほんとうに案ずるなら、私を怒らせてはいけない。 ご存じのように、私は学生に対して威圧的になったり、がみがみやかましく叱ったりすることが

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    nisshi_jp 2010/04/15
  • 卒業生へのことば - 内田樹の研究室

    卒業式、謝恩会が終わる。 これでこの大学の卒業イベントにかかわるのも、あと残すところ一回だけである。 そう思うと、20 回も出ている「いつもながらのイベント」も何かしら「かけがえのないもの」に思えてくる。 その意味では、一生に一度だけしかこれを経験しない卒業生たちの感懐に近いものがある。 謝恩会の「締めの挨拶」を学生から頼まれたので、ひとことご挨拶をする。 「教育のアウトカムは卒業時点で考量されるものではなく、卒業生ひとりひとりが卒業後に過ごす時間のなかで形成してゆくものである」と申し上げる。 自分がそこで何を学んだかは、卒業してから長い時間が経たないとわからない。 ひとによっては数十年経ってはじめて受けた教育の意味がわかるということが起きる。 それは、卒業時点で眼に見える知識や技術や資格や免状を持つことよりも、ずっと教育的には意義のあることだと思う。 私はそれを「卒後教育」と呼んでいる。

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    nisshi_jp 2010/03/23
  • ああ、疲れた - 内田樹の研究室

    ああ、疲れた。 センター入試が終わって、家に戻って、焼きそばを作ってべて、ビールで流し込んだら、猛烈に眠くなって、10時半にベッドに潜り込んで寝てしまった。 さすがに疲れます。 センター入試のミスは翌日には新聞報道され、ひろく天下の知るところとなる。 そして、「ミスの種子」にはそれこそもう天文学的な数のパターンがあるのである。 昨日は「汚損答案」の処理について、ひとしきり議論がなされた。 汚損答案というのは、問題を解答しているうちに、なんらかの理由でマークシートが汚れて、読み取りに支障が出そうな場合、解答用紙を交換することである。 試験終了10分前までなら用紙を交換して、転記してもらう。試験終了後は受験生はもう用紙には触れないので、「汚損答案」というものは発生しないはずなのだが・・・ 「たとえば、そのとき鼻血がブッと出て、答案にこぼれた場合」とか「興奮のあまり、答案用紙にゲロを吐いてしま

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    nisshi_jp 2010/03/03
  • 誰か教えて - 内田樹の研究室

    ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の上映が予定されていた映画館五館が、嫌がらせや営業妨害を懸念して、上映を取りやめた。 同じような事件は年初にもあった。 日教組の教研集会会場に予定されていたグランドプリンスホテル新高輪が同じ理由で使用を断ったのである。 右翼の街宣車が集まって、顧客や周辺住民に迷惑がかかるからという理由だった。 そのとき、グランドプリンスホテル新高輪関係者に訊きたかったことがあるので、忘れないうちに書いておく。 グランドプリンスホテル新高輪は日教組をこの場合「顧客」には算入しなかったと解釈してよろしいのか、ということである。 予定していた集会が中止になることによって日教組が蒙る損害は「顧客の迷惑」にはカウントされない、と。 つまり、利用者のうち誰が「顧客」であり、誰が「顧客」でないかは、グランドプリンスホテル新高輪が利害得失を勘定して決定する。ということでよろし

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    nisshi_jp 2008/04/03
  • 詩人のコピーライトについて - 内田樹の研究室

    先日のブログ日記で鹿島茂さんの近著の解説を書くことになったという話の中で、大木実という詩人の「おさなご」という詩の全編を載せた。 そしたら、このようなテクスト利用については著作権者から権利侵害のクレームが来る可能性がありますからご注意くださいというご指摘を弁護士の方からいただいた。 これはびっくり。 私は文学研究者であるから、私が文学作品について書く場合、それらは文学的テクストについての「論」であり、そこに引かれたテクストは学術的な「引用」とみなされる(はずである)。 「引用」は著作権の侵害にはならないというのが著作権法の規定である。 しかし、考えてみたら、それが通るのは私が「学者」として社会的に認知されているからである(認知してくれない人もいるが)。もし他の人が私と同じ文章を書いた場合には、それは「学術的引用」とは認められず、著作権侵害に当たるとされる可能性もあるのであろうか。 あるのか

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    nisshi_jp 2007/11/12
  • テレビの仕事 - 内田樹の研究室

    福田康夫と麻生太郎が生出演する「報道ステーション」を見る。 私はもともとテレビをまるで見ない人間なのであるが、「選挙速報」を甲野先生たちとわいわいツッコミを入れながら見たときに癖がついて以来、政治番組だけは一人でも見ている。 古舘伊知郎のインタビューを聴きながら、なんだか違和感を覚える。 彼は何か有用な情報を聞き出したいのか、それとも「質問してもきちんと答えない」様子を生放送で全国に放送したいのか、そこのところが私にはよくわからなかった。 相手が答えにくいような質問をして、その絶句するさまや、答えをはぐらかすさまから、その人の人物識見度量などを判定するということはたしかに可能である。 劫を経たジャーナリストの中には「それだけ」しかテクニックがない人(T原S一朗とか)もいる。 セレブたちが思いがけない質問に対応に窮するさまをみて視聴者が溜飲を下げるとか、爽快感を覚えるということもたしかにある

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    nisshi_jp 2007/09/16
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