虚像の海に溺れるのは、冬の海に溺れるのとは全く違うのに、助からないのは同じである。その海はトンネルの向こう側に広がっていた。 川端康成の『雪国』は、こちらでは妻子のある男が、トンネルの向こう側で温泉芸者との愛に悩んだりする話だが、むろん彼には、何一つ傷つくことは起こらない。柄谷行人は、トンネルの向こうは別世界で、主人公はそこで誰にも出会っていないからだと言っている。 『雪国』とは、「他者」にけっして出会わないようにするために作り出された「他の世界」である。 あらゆる感情は同じなのに、ただ傷つくか傷つかないかという点で決定的に対照的な二つの世界を、トンネルがつなぎながら隔てていた。ここまで書くとついネット世界がトンネルの向こう側だと言いたくなるが、それは違う。川端康成の創作、自らの作り上げた虚像の中で、虚像とだけ出会い、美しくかなしい物語を経験するというスタイルは、現在でも連綿と引き継がれて