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哲学に関するnizimetaのブックマーク (290)

  • ヘーゲル『法の哲学』を超コンパクトに要約する

    前置き きちんと順番通りに読むのが大事です。 書でヘーゲルは最初に自由に関する抽象的な原理論を行い、それに基づいて具体的な制度について論じています。全体の流れとしては以下のような感じです。 緒論 自由の原理論 抽象的な法権利 「人格」の相互承認が自由の基礎 自由は「所有」という形を取る 「道徳」Moralität 意志が普遍的な正しさ(自由)を求める段階 しかしこれは偽善とイロニー(主観性の絶対化)に行き着く 「倫理」Sittlichkeit 自由が制度として実質化する段階 具体的な制度として、家族、市民社会、国家がある なので、いきなり「家族 → 市民社会 → 国家」の図式から入っても、その意義を理解することはできません。順序的に。具体的なのでどうしてもそこから読んでしまいたくなりますが、それだけだと片手落ちです。というか半分落ち、いや3分の2落ちです。 では見ていきます。コンパクトと

  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

  • 草葉の読書記 |ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー『因果推論の科学』

    仮想的な現実を思い浮かべ、それを目の前に存在する現実と比較できなければ、その機械はチューリングテストに合格しない。そうした機械では、人間を人間たらしめている最も基的な問い、つまり「なぜ?」の問いに答えられないのだ。私はそれを異常事態とみなした。 そのような自然で直観的な問いが、当時最も進んでいた推論システムの手に負えないとは、まったくの予想外だったからである。 この異常事態に悩まされているのは人工知能(AI)の研究者だけではないと知ったのは、あとになってからのことだ。この世で最も「なぜ?」という問いを大切にしなくてはならない人々――つまり科学者たちだ――は、その問いを発すること自体を否定する統計学的な文化の下、大変な苦労を強いられていた。もちろん、科学者たちは非公式には「なぜ?」という問いを発してきた。 しかし、それを数学的な解析の対象にしたいと思えば、どうしても相関関係の問いへと変換し

  • 草葉の読書記 |イアン・ハッキング『記憶を書きかえる』

    濃密な読書だった。最後の方になって著者の主張が分かった。そこまでは苦しい読書だった。 amazon読書記掲載。 ---------------------------------------------- これは記憶についての哲学のだ。何よりも、著者ハッキングはカナダの有名な科学哲学者である。確かに書は、精神分析がいかに受け入れられてきたか、受け入れられているかについて詳細な記述に溢れている。しかし書の目的は精神分析の紹介でも、その受容史でもない。また、精神分析の批判や論難、悪口を主としたものでもない。著者の目的は最後の方になってようやく姿を現す。その目的を理解しないなら、書を誤読する可能性は高い。 ではハッキングの目的とは何か。それは二点ある。 一つは、精神分析の登場により、記憶が人格の性を構成するものとなったことを示すことである。それ以前は、魂(soul)が人格の性だった

  • 草葉の読書記 |イアン・ハッキング『数学はなぜ哲学の問題になるのか』

    哲学者たちは、数学について少しでも考えたことのある他の人々と同じように、「数学」を当たり前のものとして受け取る傾向がある。われわれは、ある問題、予想、事実、証明のアイディア、一片の推論、定義といったもの、あるいはある専門分野そのものをまったく無造作に数学的なものとして認識するが、それがなぜなのかを反省することはめったにない。[...]だが、現実の数学者たちが取り組んできたこれほど多くの異なる話題が即座に「数学」として認識されるのはなぜなのかという素朴な問いを、われわれは遠ざけてきたのではないか。(p.52) 分量的にも内容的にもヘビーな一冊。ハッキングがそのキャリアを概括するように数学の哲学について書いている。アプローチは著者独特のもの。普通の分析哲学的な議論を期待して読むと、とりとめもない議論をやっているように見える。著者が論じるのは、ある論点が成立している、あるいは成立してきた状況であ

  • 草葉の読書記 |照井一成『コンピュータは数学者になれるのか?』

    数学基礎論についての実に素晴らしい一冊。このようなが読めることはとても幸運だ。数学基礎論や計算機科学は極めて面白い問題がたくさんあるのだが、入り口のハードルが高いこともあってなかなか平易なはない。第一線の研究者がこのレベルの分かりやすいを出すのは素晴らしい。 タイトルからはいま流行りの人工知能の話に見えるが、そうではない。人工知能は実際的にどのように知能を作っていくかという話。このは知能と呼べるものは理論的にどのようなものか、そしてそれが理論的にどこまで実現可能かという話だ。知能に対する理論的限界の話といえば、ゲーデルの不完全性定理やP=NPの話がある。これらを解説したは多い。だが、著者が正しく言うよう、これらの定理の否定的で悲観的な解説が多い。実際には肯定的な研究が数多くあるのだ(p.8)。 書は数学基礎論や計算機科学における、理論的限界を巡る肯定的な研究を数多く扱っていく。

  • 草葉の読書記 |田中一之編『ゲーデルと20世紀の論理学 (2)完全性定理とモデル理論』

    シリーズの第二巻だが、これは良質な教科書だ。書は三部に分かれている。一階述語論理の完全性定理を扱った第一部。モデル論の初歩を扱った第二部。そして、主に内包的文脈に関する言語哲学を扱った第三部からなる。 第三部はゲーデルの背景となる論理学史が少し触れられているが、主眼はそこではない。内包的文脈の論理的扱いを巡った学説紹介。ゲーデルの完全性定理とはあまり関係ない。筆致もこの著者のいつもの調子。以前のような極端な無味乾燥は和らいでいるが。 第一部、第二部はかなりよくできた教科書だ。どちらもすっきり書かれているし、初学者向けに証明も詳しく書いてある。練習問題が(第一部は特に)無いのが教科書的ではない。特に第二部は驚異的。モデル論についてはそもそも日語のもほとんどないのだが、この第二部はクリアだ。とても面白かった。短いとはいえ、ultraproduct, back-forth argument

  • レーヴェンハイム・スコーレムの定理!! - 数学基礎論の勉強ノート

    公理系Tが無限モデルを持てば、可算モデルも不可算モデルも持ちますよ!それどころかどんな大きな濃度のモデルも持ちますよ!っていう定理です。ちょっとテンションが上がってきますねー(∩´∀`)∩ まずは定理の引用から。(新井敏康「数学基礎論」より) 定理5.1.7(上方(Upward)Löwenheim-Skolem 定理) 1.言語Lでの公理系Tがどんなにも大きい有限モデルをもてばあるいは無限モデルをもてば (つまり), どんな無限基数についても Tのモデルで濃度κのものが存在する. 2.無限モデルについてその初等拡大で 与えられた無限濃度 となるものが存在する. (p.183) 定理5.1.13(下方(Downward)Löwenheim-Skolem の定理) 1.L-無限モデルと集合について, 初等部分モデルで かつ となるものが作れる. (p.185) 上方のほうのスコーレム・レーヴェ

    レーヴェンハイム・スコーレムの定理!! - 数学基礎論の勉強ノート
  • 『無限論の教室』、哲学とそれ以外

    しんじけ @shinjike @tenapi 自我の問題は中学生には重すぎるテーマかもしれません。たとえば、野矢茂樹の『無限論の教室』などは、中学生でも十分理解できることばで、数学の哲学入門を論じた傑作だと思っています。『数学ガール』に近い感じですね。海外にはないけど日にあるのはこういうすぐれた入門書かも。 2010-12-12 19:24:01 @tenapi @shinjike 中学生相手に「心は当にあるのか」なんて言っても聞く耳ないでしょうねえ... たしかに「無限ってなに?」ならいいかもしれない。でも「先生、くろもじがありません」って、いまの中学生はわかるのかな。 2010-12-12 19:28:49

    『無限論の教室』、哲学とそれ以外
  • 五野井郁夫先生の『世界』論文「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」の出典なんかおかしい気がする | 江口某の不如意研究室

    毎日新聞での「キャンセルカルチャー」擁護記事で五野井郁夫先生という方が話題になっていたので、その記事の元ネタらしき『世界』2023年6月号の五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」という論文をめくってみました。『世界』とかのいわゆる論壇・総合雑誌に載ってる文章こそ「論文」だっていう感じがありますよね。重大な社会的問題を論じるのだ!って感じ。 さてこの文章いろいろ問題があると思いました。いちいち書けないのですが、奴隷商エドワード・コルストンやレオポルド二世の像なんかが「21世紀の公共空間には不要」で「芸術的価値や資料的価値をことさらに強調したいのであれば、人目につかない倉庫で保管すればよいだけの話」であり、「大っぴらに他者を傷つけたいとの願望は自身の脳内に収めて」おけ、といった文章には驚きましたが、それより次の文章ですね。 思想信条の自由とは、J・S・ミルが『自由論』

    nizimeta
    nizimeta 2023/06/08
    “ミルは「思想信条」の自由は最大限に保護されるべきだと『自由論』第2章で主張していると解釈するのがほとんどコンセンサスのはずです。「言論」の自由も最大限保障されるべきだと言っている”
  • https://research-er.jp/articles/view/115362

  • ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』

    2022年2月5日 ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』 津崎良典(訳),晶文社,2021年 評者:田村 歩 Tokyo Academic Review of Books, vol.40 (2022); https://doi.org/10.52509/tarb0040 *凡例1 紹介する文献からの引用については、書名を記さずに頁数のみを明記する。 ここで紹介する文献は、デカルト研究の泰斗であるドゥニ・カンブシュネル=パリ第一大学名誉教授による著書Descartes n’a pas dit : un repertoire des fausses idées sur l’auteur du Discours de la méthode, avec les éléments utiles et une esquisse d’apologie (Paris : Les Bel

    ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』
  • ジョセフ・ヒース「『批判的』研究の問題」(2018年1月26日)

    [Joseph Heath, “The problem with “critical” studies,” In Due Course, January 26, 2018] 学部生だった頃,こんな風に思っていた――《「客観的」「価値自由」なやり方で社会現象を研究する実証主義が社会科学で蔓延しているのは世界の災厄だ.そんなものは幻想だ,というか有害な幻想だ.だって,客観性をよそおいつつ,その裏には隠れた目標があるんだから.つまり,支配しようという利害関心をもってるんだ.人々を主体ではなく研究の対象として扱うなんて政治的に中立じゃない,だってそうやってうみだされる知識ってのは,どういうわけかうまいぐあいに,まさに人々を操作し管理するために必要とされるたぐいの知識になってるもの.つまり,「客観的な」社会科学はちっとも価値自由なんかじゃない,むしろ抑圧の道具になってるじゃないか.》 これに替わる選

    ジョセフ・ヒース「『批判的』研究の問題」(2018年1月26日)
  • 自然的性質とそれ以外の区別の重要性――デイヴィド・ルイス「普遍者の理論のための新しい仕事」(柏端達也・青山拓央・谷川卓編訳『現代形而上学論文集』、勁草書房、2006年所収)|山口尚

    nizimeta
    nizimeta 2020/08/20
    “どの理論を採ろうとも、自然的性質とそれ以外を区別できる必要がある。なぜなら、さもなくば、性質の形而上学を踏まえて解決されるべき諸々の問題が解決できなくなる”
  • カントが何をやっているのかまったく分からず困っているひとのために|山口尚

    カントが何をやっているのかまったく分からない、と言われることがあります。私自身もそれほど詳しいわけではありません。とはいえ、あまりに頻繁に「カントはまったく分からない」と言われるので、〈カントの勉強を始めるさいに便利でありうる手引き〉を作成しました。 以下の〈手引き〉は、一般に「カント哲学」として知られている事柄を私の言葉で整理整頓したものです。それゆえひとによっては分かり切った内容しか書かれていないと感じるでしょう。また、カントの立場を「正確に」説明しようとすれば分からないテクストを再生産することになりますので、意図的に叙述をぼやかした箇所もあります。今回の〈手引き〉が、カント哲学のさしあたりの全体像を形成し、それによってカントを学び始めるきっかけとなれば幸いです。 >>>>> カント(1724-1804)とはどのような哲学者でしょうか。カントより前の時代にはデカルトやライプニッツなどが

    カントが何をやっているのかまったく分からず困っているひとのために|山口尚
  • 慶應義塾大学出版会 | ルードルフ・オットー 宗教学の原点 | 澤井義次

  • ルードルフ・オットー 宗教学の原点

    ウェブストアに1冊在庫がございます。(2024年09月16日 08時48分現在) 通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。 出荷予定日とご注意事項 ※上記を必ずご確認ください 【ご注意事項】 ※必ずお読みください ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。 ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。 ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。 ◆お届け日のご指定は承っておりません。 ◆「帯」はお付けできない場合がございます。 ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。 ◆特に表記のない限り特典はありません。 ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。 ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。 ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。

    ルードルフ・オットー 宗教学の原点
  • Lvov-Warsaw School (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

    First published Thu May 29, 2003; substantive revision Thu Nov 30, 2023 The Lvov-Warsaw School (LWS) was the most important movement in the history of Polish philosophy. It was established by Kazimierz Twardowski at the end of the 19th century in Lvov (i.e., the Ukrainian city of Lviv, which at that time was part of the Austro-Hungarian Empire). The LWS flourished in the years 1918–1939. Kazimierz

  • 研究者詳細 - 荒畑 靖宏

    私の現在の研究の柱は、二つです。(1) G・フレーゲの論理哲学、前期ウィトゲンシュタイン哲学、ハイデガーの解釈学的現象学を、いわゆる「形而上学的内部主義」と哲学的言語の可能性の問題をめぐって比較・架橋すること、(2)アリストテレス、カント(『判断力批判』)、ハイデガー、ガダマー、ウィトゲンシュタイン、ライル、アンスコム、マクダウェル、M・トンプソンらを、知識論・言語哲学・行為論における「フロネーシスの伝統」とも呼ぶべき哲学的系譜として描きだすこと。

  • 啓蒙について:カント 「『啓蒙とは何か?』という問いへの答え」 - オシテオサレテ

    イマヌエル・カント(1724-1804)の「『啓蒙とは何か?』という問いへの答え」(1784)は以下のように始まります。 啓蒙とは人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他人の指導なしには自分の悟性を用いる能力がないことである。 この未成年状態の原因が悟性の欠如にではなく、他人の指導がなくとも自分の悟性を用いる決意と勇気の欠如にあるなら、未成年状態の責任は人にある。 したがって啓蒙の標語は「あえて賢くあれ!」「自分自身の悟性を用いる勇気を持て!」である。 (中略) なぜ彼ら〔多くの人間〕は生涯をとおして未成年状態でいたいと思い、またなぜ他人が彼らの後見人を気取りやすいのか。 怠惰と臆病こそがその原因である。未成年状態でいるのはそれほど気楽なことだ。 (福田喜一郎訳、『カント全集 14』、岩波書店、2000年、25頁。強調原文。) 啓蒙という概念について述べられた

    啓蒙について:カント 「『啓蒙とは何か?』という問いへの答え」 - オシテオサレテ