「はしごの下にいるんだよ。それ以外におれたちが誰なのかをはっきりさせる言葉があるのか。おれたちははしごの下にいて、食うや食わず、それだけさ。おれたちのための言葉なんてない。はしごの下には工員がいて……やがて上に上がっていく。でも、おれたちは?失業者じゃない、工員じゃない、何でもない、存在しないんだよ!社会の乞食だ。それがすべてさ。何者でもないんだ!」(工場勤務歴20年以上の41歳RMI受給者の語り) セルジュ・ポーガム『貧困の基本形態』終章の冒頭に掲げられたエピグラフ 10/22に現代フランスを代表する社会学者であり、貧困の社会学で有名なセルジュ・ポーガム教授の講演に行きました。講演のタイトルは「貧困の基本形態 日本的特殊性の有無について」となっており、今年日本語訳された『貧困の基本形態』のタイトルをそのまま掲げつつ、さらに日本の貧困についても語ることが期待されました。 日仏会館フランス事
時論的な文脈に引き付けて言うならば、おおむね80年代一杯までは氏原―小池的な日本労働市場・雇用慣行理解は広く共有され、政治的な意味での左右のスタンスを問わず事実認識として受容されていた。「福祉国家」に引き続く東京大学社会科学研究所(当時は山本潔も勤務していた)の共同研究「現代日本社会」は、小池和男をもまたメンバーの一人として迎えて行われたが、そこでの基軸概念は「会社主義」「企業社会」であったと言ってよい。この言葉・概念自体はさほどオリジナルなものではなく、松本厚治『企業主義の興隆』や熊沢誠の「日本的「労働社会」としての企業社会」といった先行議論によってインスパイアされたものであるが、このプロジェクトの実質的な主導者であった馬場宏二と渡辺治によって、その経済学的な基盤を小池理論に基づけることを通じて、現代日本社会を理解するためのキーコンセプトとして前面に押し出された。政治的にいえば馬場と渡辺
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く