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2012年7月2日のブックマーク (2件)

  • 自分の発明で死亡した発明家の一覧 - Wikipedia

    イスマーイール・ブン・ハンマード・ジャウハリー(1003-1010年頃死亡) アラビア語の辞書を編纂したことで知られるファーラーブ出身の学者[2]。ヤークートなどに、11世紀初頭にニーシャープールにあるモスクの屋根から板と縄で作った翼で飛行を試み、墜落して死亡したという話が記載されている[2]:113-114。 オットー・リリエンタール(1848年-1896年) 自らの発明したハンググライダーが墜落し、翌日死亡[3]。 フランツ・ライヒェルト(1879年-1912年) 仕立て屋だった彼は、自らが発明した外套パラシュートをエッフェル塔の第1デッキにて実験し死亡。これが彼の行った最初のパラシュート実験だった。当局には前もって、最初にマネキン人形で実験すると届け出ていた[4]。 ヘンリー・スモリンスキー(英語版)(1973年死亡) AVEミザール(英語版)を映画「007 黄金銃を持つ男」に採用す

    自分の発明で死亡した発明家の一覧 - Wikipedia
  • バブル/デフレ期の日本経済と経済政策

    ―シリーズ(内閣府経済社会総合研究所企画・監修全7巻)の公表について― 内閣府経済社会総合研究所主任研究官 岡田 靖 はじめに 戦後混乱期から高度経済成長期を経て、悪戦苦闘の末に二度の石油危機を乗り越えた80年代初め、日経済は他の先進国と比較すると明らかに優れたパフォーマンスを発揮していた。多くの困難があることは明らかであったが、同時に地道な努力によってそれを乗り越えられるという希望も決して絵空事ではなかったのである。だが、今日から振り返れば、この時代にすでにバブル経済の種は蒔かれていたのかもしれない。それは同時に、バブル崩壊とそれに続くデフレと長期停滞の時代を胚胎していたことになる。いわゆる「リーマンショック」を契機にして勃発した世界経済危機を先取りするかのように引き起こされた日経済の危機を理解しようとすれば、視野は危機の最初の明白な兆候であった90年初の株価暴落からさらに10年を遡