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ブックマーク / toyotaka-sakai.hatenablog.com (2)

  • 憲法学者の多数決と陪審定理(メモ) - 坂井豊貴の雑記置場

    コンドルセ陪審定理は、多数決の「正しい使い方」を教えてくれる。コンドルセは、ルソーの影響を強く受けてそれを着想。人民集会で「ある法案が一般意志に適うか否か」を多数決で判定。それがうまく出来るため(=陪審定理の前提条件が成立し、多数決がうまく機能するため)には ① 〔一般性〕そもそも、その法案の対象が、一般利益についてのものであること ② 〔独立性〕人々は十分な情報を持つ。討議はオッケーだが、他人の意見に流されてはいけない。各自は最終的には自分の頭でうんうん考えてイエス・ノーを判断すること ③ 〔コイントスよりは賢い〕1人の人間の理性的な判断は、コイントスよりは確度が高い が必要。①は問題の設定として必須。②は完全にではなくとも相当程度成り立つ必要がある。③は平均的にコイントスより賢ければよい。*1 こういう「多数決の正しい使い方」を規範として参照し、現実の多数決の使われ方のどこがまずいか指

    憲法学者の多数決と陪審定理(メモ) - 坂井豊貴の雑記置場
  • そろそろ多数決の危険性を直視しよう - 坂井豊貴の雑記置場

    自分のことは自分で決めたい。この意志を「自分たち」に適用したとき、それは自分たちのことは自分たちで決めたいという、デモクラシーを求める心理の基盤となる。だが自分だけで決めることと、自分たちで決めることには、大きな違いがある。一と多の違いだ。 多数の異なる意見から、一つの決定を導かねばならない。満場一致は理想的だが、それを実現するのは容易でない。延々と話し合いをしても決着は付かない、全員が納得する結論にはなかなか至らない。ではどうするか。 だから多数決をするのだ、と簡単に話を切り上げてはいけない。多を一に結び付ける方式、集約ルールは、多数決だけではないからだ。むしろ多数決はさまざまな集約ルールのなかでは、かなり出来が悪い。 有名な例を挙げよう。2000年のアメリカ大統領選挙では、共和党のブッシュと民主党のゴアが、二大政党の擁立する主要候補だった。事前の世論調査ではゴアが有利だったが、途中で「

    そろそろ多数決の危険性を直視しよう - 坂井豊貴の雑記置場
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