2014年11月25日のブックマーク (1件)

  • 私たちのまぼろしの正しさ - 傘をひらいて、空を

    私は目の前の友だちを見る。彼女が疲れていることを私は知っている。無料で文字や音声のやりとりができる世界にあって相変わらず対面で人と会うのは、その身体の状態をわかちあうことができるからだ。目で見えるものにかぎっても大量のチャンネルがある。表情、肌や髪の質感、姿勢、しぐさ、身なり、それらのふだんとの差分、などが、他者に関するいろいろのことを、私に伝える。なにより、ただ物理的にそばに存在すること。隣の椅子に座ってコーヒーをのむこと。それは言語に載らない情報を通す回路であるかのように感じられる。 彼女は言う。あのねえ引っ越したの。子どもが大きくなって手狭になって、でも私もうあんまり家で仕事しないから、どうにかなるといえばなる状態だったんだけど、なんだか、閉塞した感じがして、子どもはまだそういうのよくわかんないと思うけど、夫も私も、何があったのではないのに、行き詰まったように感じて、私が、時間をやり

    私たちのまぼろしの正しさ - 傘をひらいて、空を
    njamota
    njamota 2014/11/25
    将来のことは知り得ないのだし、選択されなかった行動がその後に与えたであろう影響もまた知り得ない。だから、いつだって何が正しかったかなんてわからないんだという当然のことを、なぜ我々は受入れられないのか。