NPO法人東北開墾 代表理事 高橋博之 1974年、岩手県花巻市生まれ。29歳で故郷に戻り、岩手県議会議員を2期務める。東日本大震災後、知事選に出馬するも落選。その後、事業家に転身。2013年、NPO...
NPO法人東北開墾 代表理事 高橋博之 1974年、岩手県花巻市生まれ。29歳で故郷に戻り、岩手県議会議員を2期務める。東日本大震災後、知事選に出馬するも落選。その後、事業家に転身。2013年、NPO...
年度末の作業など。 昨日に打って変わって、この季節らしい寒さだった。 3月11日になった。震災から2年である。振り返るとあっという間でもあるが、昨年感じた困惑は、この一年でもそれほど整理が付かない。 メディアでは今日はその特集が多いだろうと思うし、黙祷などそこに寄せる人の気持ちもわからないでもない。私も追悼という思いはある。ただ、微妙な違和感の部分もあって、なんとも言葉にしづらい。「違和感」という「違和」の感覚とすら違う。 いろいろに思う。ひとつなんとなく思うのは、震災というより、津波ということなんだろうと思う。また、原発の問題は、それはそれで問題であるし、震災と津波によって引き起こされたのもだが、津波の、莫大な死者の問題とは、自分の心のなかでは切り離して考えたい。 「違和感」というのでもないのだが、と、語るとそれが違和感のような形を取り出す、心のありかたにも、ある種の困惑を覚える。 追悼
結構頑張ってエントリー書いて、パブリッシュしたはずが消えてしまった…。 諦めず、気負わず、忘れない、というエントリーを大震災に寄せて書きましたが、回線不良で消えました。願わくは、皆様の心の中で読み上げていただけますれば、これに勝る幸甚はございません。 — やまもといちろうさん (@kirik) 2013年3月11日 めげずに言いたかったことだけ書く。 ■忘れないようにしたい あの時、いろんな人がいろんな場所で災害を経験した、そのことを忘れないようにしたいです。 当たり前のことなんだけどさ。 ■気負わないようにしたい 二年経っても傷跡は癒えない、というのは簡単です。 でも過ぎてしまったことを考えすぎてもしょうがないじゃないですか。 できることをやろうという気持ちでいいと思います。 失ったものを取り返すという気持ちだけでなく、より新しいものを生み、育む気持ちで。 ■諦めないようにしたい 実を結
「何かを書かなくてはいけない」という想いばかりがあり、 実際に何かを書こうとすると何も書くことがないという現実があります。 それはきっとこの1年間の間に僕が積んだことが何もないという意味なんだろうな。 でも「何もないなら書くなよ」という自分の声に対して、 「何かできているようには思えない、ただ少なくとも忘れていない」 ということだけは書いておきたいと思ってこれを書いています。 僕に出来るのはなるべく東北の物産を買うとか、わずかな寄付をするとか、 そうしたことをしていこうよと呼びかけることとか、その程度でしかないですが、 僕自身が目立って前線で先頭で支援することは出来なくても、 「そうすることが出来る人」を支援することは出来るんじゃないか… そんなことを思って1年過ごしてきました。出来てるとは思わない。でも出来ることはしたい。 次の1年もそう思って生きていくと思います。 僕たちは、忘れない。
東日本大震災ブームが過ぎたので その3 闇月さんという方がニコニコ動画で不定期に連載してくれているF島県Iわき市からの震災レポート。「ブームが過ぎた」という言い方に神経質になっている人も結構いるみたいなのだけど、被災地以外での日常生活を客観的に見た上で、被災された方がこの単語を使用している心情を考えると、そうなのかもしれない、と思ってしまいます。 大上段に構えた、もしくは腫れ物に触るような、もしくは一発当ててやろうか的なニュアンスでなく、被災地の惨状を過剰に訴えて支援を迫るようなものでも無く、淡々と書かれていることでとても血の通ったレポートに読めます。本当はもっと大変なんでしょうけどね。それでも庶民は前向きにい生きているよね、と言う部分まで含めて。 震災半年後の2011年9月11日から1年以上にわたってレポートされているので、興味があったら見てみて下さい。
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