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2013年1月23日のブックマーク (3件)

  • 葛西神社と業平山南蔵院(しばられ地蔵) - 夫婦写真散歩のススメ

    「葛飾」の歴史をさかのぼると、正倉院文書にもその地名が書き記されているように奈良時代、律令制国家建設のなかで令制国として広大な領地を有する大国と定められた下総国にその起源はあります。 そして下総国の国府、中心地は葛飾郡でした。 以前市川真間の手児奈伝説を紹介したときに詳述しましたが、葛飾郡は南は江東区(亀戸、大島、北砂、南砂、東砂)から北は茨城県古河市にいたる広い領域にわたります。 中世では現在の江戸川をはさんで東側を葛東、西側を葛西と呼ぶ慣習も生まれます。 現在の行政区分でいうと東京都葛飾区と江戸川区の全域、墨田区、江東区の一部がそれにあたり、葛飾郡一帯が「葛西」に一致する事になりました。 源頼朝=鎌倉殿の御家人となり、奥州藤原氏との戦いで武功を挙げた葛西三郎清重の居館、葛西城も江戸川の西側にあったと推測されています。 また江戸時代に始まった利根川の東遷事業によって明治時代後期まで長い時

    葛西神社と業平山南蔵院(しばられ地蔵) - 夫婦写真散歩のススメ
    noir555
    noir555 2013/01/23
    6世紀から幕末まで大国として栄えた下総国葛飾郡の総鎮守葛西神社から現在の葛飾区金町周辺を散歩します。縛られ地蔵のある南蔵院は大岡越前の名裁きの舞台としても時代劇ファンには楽しめる散歩になるでしょう。
  • 豊山神楽院長谷寺(奈良県桜井市) - 夫婦写真散歩のススメ

    豊山神楽院長谷寺文学散歩 奈良県桜井市初瀬、ここは古事記、日書紀を筆頭に夥しい数の文学作品にその名を刻む土地であります。 初瀬を流れる川は古くは神意を仰ぎ、「神河」と呼ばれていました。 また日最古の歌集である万葉集巻の一、冒頭の長歌、5世紀頃、雄略天皇、青年時代の御詠歌ともされる伝承歌謡に「泊瀬朝倉宮」という表記があります。 雄略天皇(418年?〜479年)が「泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)」を置いたとされるこの地に関して、さまざまな議論が存在しますが、まずは「萬葉集」最初の歌を一度虚心坦懐、ゆっくり味わってみてください。 萬葉集巻の一、冒頭の長歌:雄略天皇 原文 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母 訓読 籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち

    豊山神楽院長谷寺(奈良県桜井市) - 夫婦写真散歩のススメ
    noir555
    noir555 2013/01/23
    奈良県桜井市初瀬。ここは古事記、日本書紀を筆頭に今日に至るまで夥しい数の文学作品にその名を刻む土地であります。錦秋の長谷寺で日本文学の精髄を味わった文学散歩を七年ぶりに加筆、改稿しお届けします。
  • 華厳宗大本山東大寺 - 夫婦写真散歩のススメ

    華厳宗大東大寺を歩く、撮る。 司馬遼太郎著「街道をゆく 奈良散歩」の一節に「東大寺境内は風景が多様で、どの一角にも他に類がない」とあります。 ワイド版街道をゆく24 作者:司馬遼太郎朝日新聞出版Amazon十二万坪を超える広大な敷地を歩きまわると、その言葉がすぅーと沁み入るように実感でき、海外文化を積極的に取り入れてきた歴史の息遣いさえ聞こえてくるような気がします。 さまざまな災禍を乗り越えた歴史、時代の流れを読み解きながら、建造物を眺めれば、溢れんばかりの創意工夫やそれを具現化した人々の献身と熱気を感じることが出来る。そんな思いと期待を胸に秘め、気負わずのんびり歩きます。 性急に時間的効率重視であちこち回って、印象が散漫になることを避け、圧倒的なスケール、さらに自然との調和に宿る先人たちが残した文化、美をたっぷり味わいながら、じっくり歴史文化の息遣いと向き合う旅を目指しました。 穏

    華厳宗大本山東大寺 - 夫婦写真散歩のススメ
    noir555
    noir555 2013/01/23
    奈良時代、聖武天皇の治世下で進められた国家的大事業のシンボル、東大寺大仏殿造立。平城京の東にある大寺(官立寺院)=「東之大寺」、それが東大寺の名前の由来です。