2006年4月4日のブックマーク (2件)

  • 選曲ミス - 美トイレ推奨します

    婦人科の帰りに、激励ソングは良くないと思った。 桜舞い散る国道(違うかも)を自転車で、例のごとく涙ぐみながら走る。 子供を抱いている人や、お腹の大きい人に対して「うらやましい」ではなく、 すでに「ねたましい」を感じている。 人をねたましく思い、勝手に暴走し、犯罪に走る人の気持ちがわからんでもない。 そして、犯罪に走りたくないがゆえに、自分を抹消してしまう人の気持ちも見える。 決して自分を抹消することはないのは、やっぱり子供達の入試という現実と、合格という確かな結果が2月にきちんと「予定通り」待っているからだろうと思う。 今回はレディキャンとかではなく、完全にタイミング逃しである。 オットに対してのムカツキ加減とか、世の中の不条理に対するムカツキとか、そういうのを1つ1つ自分で検証して「意味があるのかもしれん」「結果はどっちにしろアウトだったかもしれん」と心の中で必死でなだめる。 その作業を

    選曲ミス - 美トイレ推奨します
    nonoyume
    nonoyume 2006/04/04
    私は「変わらない事実」に慣れてしまった。
  • 旅の同行 - S嬢のPC日記

    人の話を聴く。その話の根底に迷いがあればあるほど、それは「旅」に似ていくと思う。話すことで浮かび上がる景色、聴きながらその見えていく景色を共に眺める。 共に眺める景色の中には、扉が存在していく。その扉に気づくのが人であることもあるし、聴きながら扉の存在がかすかに見えるときもある。かすかに見えたときにそのことを伝える、扉を開くのは人であって同行者ではない。扉を開くための資料情報提供は同行者にはできるが、扉を開くのは人でなければならない。それは「旅」の主体だから。 やがて一つの旅は終わる。一つの旅で見えていったことは、新たな旅を助けていく。見えていった景色は記憶として残っていく。 また別の人の「旅」に関わる機会が出てくる。「旅の同行」の経験を重ねていくと、見えていくものがある。ああこれはあの「旅」のときに見えていった景色と、もしかしたら似ているのかもしれない。 ただし、全ては「初めていく

    旅の同行 - S嬢のPC日記
    nonoyume
    nonoyume 2006/04/04
    今まで私の旅に同行してくれた人の存在を思う。私も誰かの旅に同行することがあるのだろうか。そこには、どんな景色が広がっているのだろうか。