パリ五輪へ挑む2人、タオルを振って応援を! 桜井つぐみ選手と清岡幸大郎選手 高知県レスリング協会が製作
【ローマ=南島信也】イタリア中部地震で、多くの建物が崩壊し、犠牲者が相次いだことから、耐震基準など地震対策をめぐり、「ジャポーネ(日本)に学べ」との声が日ごとに強まっている。 「日本に学べ」(8日付ラスタンパ紙)、「日本は弾力性のある鉄筋で打ち勝った」(同日付レプブリカ紙)――。主要紙に加え、テレビでも95年の阪神大震災以降、地震対策が進む日本を礼賛する報道が続いている。 国立地球物理学地震学研究所(本部・ローマ)のエンゾ・ボスキ所長は「日本で同規模の地震が起きても、病院や学校が壊れることはなく、犠牲者も少なかっただろう」と話す。 歴史的建造物の多いイタリアでは、鉄筋やコンクリート材で建物を補強する耐震建築を義務づけた地震対策法が74年に制定された。その後、80年のナポリ地震や02年の中南部地震などを経て同法は改正を重ね、基準を厳しくしていった。 しかし負担増となる建設業への配慮か
【サンタンジェロ(イタリア中部)藤原章生】「耐震基準を住民に徹底させることなどできない」。6日未明のイタリア中部地震で、中心広場がほぼ全壊したアブルッツォ州サンタンジェロ村のビオンディ村長(35)は疲れ切った表情で語った。人口500人の村は一瞬の家屋倒壊で17人の死者を出した。 州都ラクイラの南東16キロにある村を7日午後訪ねた。崩落したのは17世紀建造の教会や住宅で、80年代以降に建てた家はひびが入るか半壊で済んだ。ただ広場でも16世紀の議事堂は無傷のままだ。「最近の修復で柱などを補強したためだ」と村長は言う。 他の古い家屋を修復する考えはなかったのか。イタリアでは鉄筋やコンクリート材などで建物を強化する耐震基準が74年に導入され、08年まで数年おきに改正されてきた。 「でも我々は基準に従わない。皆好き勝手に家を造り、将来を憂うタイプでもないから、徹底させるのは難しい。日本とは違うから」
崩れ落ちた家々を見詰めながら、人々が肩を寄せ合い泣いていた。イタリア中部地震の震源に近く、建物の大半が全半壊したオンナ村。村民約300人のうち約40人が死亡、生き残った住民も壊れた家から避難し村は消えた。「亡くなった人は全員知っている。みんな知人や幼なじみだから」。住民はこう話すと声を詰まらせ手で顔を覆った。 嫁ぎ先の隣町ラクイラで被災し、家を失ったというファビアナ・ルドビッチさん(50)は地震直後に村を訪ねると、生まれ育った実家も大破していた。 「実家の隣では10歳の娘ら3人が、がれきの下敷きになって死んだ。小さな村だから、死んだ40人の名前を全員挙げることができる」。自身の母親は無事だったが精神的に参っているため村にいることができず、郊外に避難させた。 村には時折、避難先から様子を見に戻る村民も。そのうちの1人の30歳くらいの男性に声を掛けたが「何も言いたくない」とだけ話し、がれきを前
6日マグニチュード5.8の地震に襲われたイタリア中部アブルツォ(Abruzzo)州の州都ラクイラ(L'Aquila)中心部で、慰め合う住民たち(2009年4月6日撮影)。(c)AFP/Filippo MONTEFORTE 【4月6日 AFP】(一部更新、写真追加)イタリア中部アブルツォ(Abruzzo)州で6日午前3時30分(日本時間同10時30分)、強い地震が発生し、当局によると少なくとも92人が死亡した。 イタリア当局によると、震源は首都ローマ(Rome)の北約100キロにあるアブルツォ州の州都ラクイラ(L'Aquila)の地下約5キロの地点。イタリア国立地球物理学火山学研究所によると、地震の規模を示すマグニチュードは6.2。揺れは30秒続き、ローマでも体感された。ルネサンス、バロック時代の建物が建つ中世の城郭都市ラクイラは、がれきと化した。 同日、シルビオ・ベルルスコーニ(Silvi
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く