(前回から読む) 政治の舵取りを誤った寺内内閣を大阪朝日新聞は激しく糾弾した。そのとばっちりを食った鈴木商店は、米価高騰への民衆の怒りを浴び、「米騒動」で焼き打ちされた。米の値段を釣り上げた買占めの元凶は鈴木商店ではなかったにもかかわらず……。 この焼き打ちによって、金子が心血を注いだ「日米船鉄交換交渉」の契約書類や目論見書(第12回「鉄飢饉を救った『日米船鉄交換契約』」)はすべて焼失し、その実行が遅れた。追い討ちをかけるように第一次大戦の休戦協定が結ばれ、海運界は一転、不況に陥った。鈴木の大商いを支えた船が余ってしまったのだ。 大戦が始まった1914年、世界の船腹総量は約4900万総トンで、イギリス本国とその植民地が2103万トンと四割以上を占めて第一位。続いてドイツが546万トン、米国が532万トン、以下、ノルウェー、フランスときて、第六位の日本は170万トンにすぎなかった。 それが、
報 告 者: 安 秉直 (ソウル大学校経済学部) 討 論 者:(発言順) 尾高煌之助 (一橋大学経済研究所) 溝口敏之 (広島経済大学) 松田芳郎 (一橋大学経済研究所) 斎藤 修 (一橋大学経済研究所) 堀 和生 (京都大学経済学部) 黄 仁相 (一橋大学経済研究所) 阿部正浩 (一橋大学経済研究所) Ⅰ 報 告 はじめに――大工業中心の韓国・中小企業中心の台湾 尾高 今日は、われわれのプロジェクトの一環として、朝鮮と台湾の植民地期の経済についての比較研究をしておられる安先生をお招きして研究会を開くことにしました。それでは、安先生のご報告からお願いします。 安 一昨年、京都大学の中村哲先生から、植民地期の台湾と朝鮮の比較研究をやらないか、という話をいただきました。そこで、何から始めようかということで、アメリカと日本と韓国の文献を検討してみましたところ、非常に関心を引かれたことがありまし
ニューライト団体“教科書フォーラム”が22日に発行した『韓国近現代史』代案教科書が問題となっている。日帝の植民地支配に対し「経済成長により世界史的に近代文明が輸入された」とし、5・16クーデターに対しては「一世代にわたる近代化革命の出発点となった」と肯定的に評価した。我々はこのような歴史認識に深刻な誤りがあると思う。韓民族を銃刀で抑圧した植民統治を近代文明の出発と見るとか、民主主義と人権を否定した独裁政治は隠されて近代化の功労のみを引き立たせるようにしてはいけないと信じているからだ。均衡意識を失うからである。代案教科書の歴史認識は近代化の達成を他の価値より優位に残す視覚を通しているという点で偏狭だ。 学校教育の目標は憲法の基本理念である自由・民主・人権という普遍的価値を教え、成熟した市民を育てることにある。代案教科書の視覚はこのような目標とは距離がある。執筆陣の中に韓国史は別として、史学専
戦前、日本帝国の「勢力圏」の拡大に伴い、日本国および日本人によってアジア太平洋地域に多くの海外神社が建てられました。本データベースは海外神社及びその跡地に関する、当時の写真・現況写真・図面・地図など非文字資料を中心に収録・整理したものです。 - 2023年6月の修正について - 2021年3月に改訂版を公開しましたが、データベースにバグが発生し、どうしても改善することができませんでした。そのため致し方なく2020年度版で追加したデータを削除し、以前の形(2016年度版)に戻さざるを得なくなりました。 5カ国語の検索に対応 神社名の5カ国語の検索に対応しました。従来の日本語表記に加え、英語表記、ハングル表記、簡体字表記、繁体字表記で検索できます。この画面右上の検索欄で使用できます。 5 Language Search Engine : 2016 Revised Edition It is n
朴 春琴(パク チュングム、ぼく しゅんきん、朝鮮語: 박춘금、1891年4月17日[1] - 1973年3月31日[2])は、朝鮮人の政治家。戦前日本の帝国議会で初の朝鮮人代議士となった。 慶尚南道密陽市出身。本貫は密陽朴氏[3]。密陽漢文書塾・日語学校で学び1906年に訪日。土木作業員から手配師となって、清水組や佐藤工業・飛島組・熊谷組などの仕事を請け負った。その一方で在日朝鮮人の相互扶助・地位向上に力を入れるようになり、1920年に李起東(イ・ギドン、이기동)らと朝鮮人労働者相互扶助団体である相救会を結成した。相救会の活動には土木工業会や前朝鮮総督府警務局長だった丸山鶴吉から支持を受け、翌1921年には相救会を親日融和団体である相愛会に改組、自身は副会長に就任した。 衆議院議員当選を祝う朴春琴 当時の衆議院議員選挙法(普通選挙法)では内地人含め朝鮮・台湾在住者には選挙権・被選挙権がな
ベルファストで27日、マクギネス北アイルランド自治政府副首相(左)と会見し、握手するエリザベス女王=AP 英国のエリザベス女王は27日、かつて英国からの分離闘争をカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)の司令官として率いたマクギネス北アイルランド自治政府副首相と初めて会見し、握手した。 北アイルランドは、3200人以上の犠牲者を出した末、1998年に和平合意が成立。平和の定着を象徴する動きと受け止められている。マクギネス副首相は会見後、アイルランド語と英語で「良い道中を」と女王に別れを告げた。 女王は昨春、英国の君主として100年ぶりにアイルランドを公式訪問して独立闘争の犠牲者らを追悼。女王との面会を拒んできたIRAの政治組織シンフェイン党が関係改善を決めた。女王は79年、親族のマウントバッテン卿をIRAのテロで失っている。(ロンドン=伊東和貴) 関連記事英女王とIRA元司令官、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く