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防空法に関するnowa_sのブックマーク (2)

  • 国に背いた村議長「自分の身が大切、逃げること」の真意とは 前橋空襲直前「アメリカ来たら抵抗するな」 :東京新聞 TOKYO Web

    1945年8月5日深夜から6日未明にかけ、前橋市街地の大半が焼失した「前橋空襲」の直前、群馬県元総社村(現・前橋市)の村議会議長だった人物が、空襲時は身を守ることを優先し、戦後の復興に備えるよう諭す言葉を残していた。遺族が発言を記録した文書を市に寄贈し、年度中に開館する「前橋空襲と復興資料館(仮称)」に収蔵される。(小松田健一)

    国に背いた村議長「自分の身が大切、逃げること」の真意とは 前橋空襲直前「アメリカ来たら抵抗するな」 :東京新聞 TOKYO Web
  • 10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz

    頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。 10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。 この大惨事を受けて、さすがの日政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや

    10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz
    nowa_s
    nowa_s 2018/03/10
    当時の首相は「国民ことごとく戦列に」と要望/戦えというならせめて知識と武器を渡せ。焼夷弾が落ちても逃げるな、筵や水で炎を消せと愚かなことを義務付けといて、死んだら民間人だからと軍属としての補償もしない
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