満員電車にも負けず,高い家賃にも負けず, 殺伐とした人間関係にも負けぬ無神経な心を持ち 欲張りで,体制には逆らわず,いつも不満ばかりを言っている あらゆることを自分を中心に考え,自分のことは棚に上げ 他人の失敗は激しく罵り,思い切り見栄を張り 無理をしてマンションに住み車を持ち 東に雑誌が紹介した店あれば味も分からず飛んでいき 西で行列していれば訳も分からず一緒に並び 南で死にそうな人がいても見ても見ぬふりをし 北に喧嘩や訴訟があれば,野次馬になりはやしたて ちょっと働いて思い切り遊び,カードで買い物をし払えなくなり みんなにオシャレと言われ,近所づきあいはせず 義理と人情を踏みにじり,マスコミに踊らされてる そういう東京人に 私はなりたい
ある日突然難病を発症し、先進国であるはずの日本で「難民化」した自らの姿をリアルに描きながら、医療や福祉制度の深刻な現状を社会的な問題として浮き上がらせた『困ってるひと』(ポプラ社)。著者は福島県出身の作家、大野更紗。同書は、大学院生としてミャンマー(ビルマ)の難民支援活動の研究を志していたなかで、病を発病して支援される側の立場に立ったことで、新たに見えてきた世界を独特のタッチで綴った。 大野は4月25日から、福島県の地元紙・福島民友新聞で「東京からの手紙」(毎月1回最終水曜日に掲載)をスタート、自身のブログでもその内容を紹介している。そんな彼女が5月21日、これまでメディアに語ってこなかったことを話してくれた。福島県出身者として、作家として、事故を起こした原発をどう見ているのだろうか。そしてなぜあえて今、話すのか。(聞き手/構成 藍原寛子) 「原発事故が起きることは、わたしにとっては『とっ
2012/7/239:0 「70後」が中国に「公共」をつくりだす―民間のチェンジ・メーカーたち 西本紫乃 2012年7月1日より、広東省では全国に先駆けて民間のNGOの政府への登記の規制が緩和された。民間人の集会や結社に敏感な中国では、広東省の試みは画期的な出来事だ。2008年の四川大地震を契機に機運が高まった中国のボランティア熱は、ここ数年間でおおきく発展しており、全国各地で貧困地区支援や社会的弱者支援、環境保護などさまざまな看板を掲げる大小無数の公益団体が活動をはじめるようになってきている。 なかでも、広東省は慈善活動が活発な香港に近く、海外の華僑とのネットワークが太いという地域的特性があり、中国国内でもNGO活動がもっとも活発な地域である。広東省が民間NGOの活動を認める方向に舵を切ったことは、中国の民間パワーの台頭を象徴する動きといっていいだろう。 これまで中国では、NGO組織が
2015年01月(1) 2014年11月(1) 2014年10月(4) 2014年08月(3) 2014年03月(1) 2014年01月(2) 2013年12月(1) 2013年05月(1) 2013年04月(2) 2013年03月(5) 2013年02月(4) 2012年12月(1) 2012年11月(2) 2012年10月(4) 2012年09月(3) 2012年08月(4) 2012年07月(5) 2011年07月(2) 2011年06月(4) 2011年05月(4) 女はおしゃべりな方がいい。 時々、口の重い自分をもどかしく思うことがある。そして、他愛のないことを楽しそうに、小鳥がさえずるように話す女の人を、とても羨ましく眺めてしまう。河野裕子のエッセイには、彼女が帰宅した夫にくっついて家の中を歩き、その日の出来事をあれこれと話す様子がつづられていて、なんてかわいい人だったんだろう
"デモについて 國分功一郎 私は学者の端くれであって社会運動家ではないし、研究しているのも哲学であって社会運動史ではないので、デモについて深く広がりのある話をすることはできない。ただ、全くの偶然から、デモが盛んな某国について少々知識を得ることがあったので、そこから考えたことをここに記しておきたいと思う。 デモが盛んな某国とはフランスである。私は2000年から2005年までフランスのパリに留学していた。先に「全くの偶然から」と書いたが、その偶然とは私が住んでいた場所のことである。私はパリの東側にあるナシオン(Nation)という駅のすぐ近くに住んでいた。この駅がデモと何の関係があるかと言うと、この駅の広場がパリで行われるほぼ全てのデモの終着点だったのである。 日曜日、パリだけではないがヨーロッパの街は静かである。やることがない。開いているのは教会と映画館ぐらいである。私もだいたい部屋にこもっ
新感覚哲学バラエティー 哲子の部屋 哲学×サブカル=ハイブリッド哲学エデュテイメント 気鋭のイケメン哲学者が語る新感覚教養バラエティー 「ハーバード白熱教室」や「超訳ニーチェの言葉」など、にわかに哲学に沸く日本。先行き不透明な中、現代ニホン人の志向を背景に、“面白マジメ”に哲学を学べる番組、それが「哲子の部屋」です。どんなに社会やテクノロジーが発達しても、世の中は解けない謎だらけ。「自分って何?」「世界って何?」「会社って何?」……。そんな難題を現代人が哲学するうえで格好の教材が、実は“サブカル”。分厚い専門書や小難しい解説ではなく、身近にある漫画や絵本、映画などのサブカルチャーを哲学教材とし、予測不可能な雑談トークから哲学的思考を学んでいくという、かつてない試みです。誰にでも入りやすい題材をきっかけに、気が付けば深く考えさせられ、世の中や人生の見方がガラリと変わる30分。 哲学体験を共
私はtwitterもFacebookもやっていない。 別段やりたいとも思わなければやる必要性を感じたこともないから。 まして今は二人の幼子の子育て中だ。 目の前の生活が大切であり目の前の生活で精一杯でありそこにいない誰かとのつながりなどどうでもよい。 用があればその相手には直接メールなり電話なりすればよい。 用もないのに生活の断片を垂れ流し知らせる必要もない。 メルアドも電話番号も知らないような相手なら尚更コミュニケートする必要性を感じない。 しかし、それは私の考え方であり、他人がどうしようとそれもまたどうでもよい。 世の中の多くの人がtwitterやFacebookに興じているところをみると、 私のような人間の方が少数派なのであろう。 そう思っていた。 だがどうにも堪えがたくなってきたので吐き出させていただく。 そんなにtwitterやFacebookは大切なものなのか。 そんなに常に見
東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故を踏まえ、政府が8月までにエネルギー政策の大きな方向性を決めようとしている。エネルギー・環境会議(議長・古川元久国家戦略相)は、2030年までに原発依存度をどこまで低下させ、太陽光や風力などの再生可能エネルギーをどこまで普及させるか、などの条件によって場合分けした「3つのシナリオ」を提示し、国民的な議論を呼びかけている。 3つのシナリオとは、原発による発電に依存する割合を2010年の26%から、(1)ゼロ、(2)15%、(3)20~25%にそれぞれ低下させる、というものだ。(1)は2030年に限らず、できるだけ早く原発をゼロにする。(2)は40年経過した原発を廃炉にすると、通過点である2030年には原発依存度が15%まで低下する。(3)は意図的に一定程度の原発を維持するため、原発の新設や更新も必要になる。その結果として、再生可能エネルギーをど
米国海兵隊普天間基地に配備されている老朽化したヘリコプターを新型の輸送機「オスプレイ」に交代させる段階になって、配備先の沖縄をはじめとして日本各地訓練飛行ルート予定地自治体で“オスプレイ恐怖症”が頭をもたげている。 オスプレイ恐怖症は日本のマスコミや一部の専門家などが、開発段階での悪評をほじくり返して、その後の進展状況を伝えることなしに大げさに取り上げたことによって生じた現象と言える。 さらに、そのようなネガティブキャンペーンに輪をかけて、日本政府・防衛省が「オスプレイの安全性を確認するまでは日本国内では飛行させない」といった方針を表明したことが、「オスプレイという奇妙な軍用機は恐ろしく危険性が高いようだ」といったイメージを蔓延させるのを助長してしまっている。 しかし、オスプレイの安全性はすでに日本以外の国際社会では受け入れられている。オスプレイ沖縄配備をめぐる真の問題点は、オスプレイの「
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く