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ブックマーク / www.d3b.jp (44)

  • シリーズ 文化芸術を考える③――「日本発の文化で世界とつながる」

    <シリーズ 文化芸術を考える③> 情報化社会の背景には、今や世界に広がりつつある日特有の文化があった。そこから社会の変化を読み解いていく。 情報技術の上に存在する多様な文化 ここ15年ほどの間で携帯電話やインターネットが普及し、情報技術が全面化しました。その中で〝情報技術が社会を変える〟ということが数多く語られてきました。 まず、この考えには前提とされる社会像があります。それはアメリカを中心とした欧米近代における〝個人を強くする〟というストーリーです。 それまで国家による戦争に寄与させられてきたコンピューターが、個人が自由に使える「パーソナル・コンピューター」として位置づけられ、インターネットの登場により、国家やマスメディアだけが情報を発信・操作するのではなく、個人が主体的に情報を得たり発信したりすることができるようになりました。これがジャーナリズムの文脈では、個人による「小さな草の根的

    シリーズ 文化芸術を考える③――「日本発の文化で世界とつながる」
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    nstrkd 2013/12/05
  • 分断された社会をどう生きるか

    ウェブやスマートフォンの発達に伴い、現実空間に無数の「孔(あな)」が開いてしまったという鈴木謙介さん。人間が「分断」されてしまった社会でどう生きるべきか、話を聞いた。 物理的空間に開いた「孔」 私たちが生きている空間は、単なる物理空間ではなく、いろいろな意味を帯びています。教室であれば「授業をする場所」という意味があります。 それが携帯電話やスマートフォンの普及に伴い、「場所」がもつ意味は単一ではなくなってきました。たとえば自宅で家族と一緒にいるときに仕事の電話がかかってくれば、プライベート(私的)な家庭という場はオフィシャル(公的)なものに変わります。 1つの場所に、1つの意味を固定することができない。外からさまざまな情報が入ってくるため、1つの物理的空間にたくさんの「孔」が開いてしまう──こうした状況を私は「多孔化(たこうか)」と呼んでいます。 これは今に始まったことではありません。た

    分断された社会をどう生きるか
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    nstrkd 2013/11/08
  • 個人化が進む今だからこそ、中間集団の持つ可能性に期待

    国家と個人の中間に存在する中間集団。その可能性と重要性が、個人化が進むなかで注目されている。 中間集団が注目された歴史的背景 「中間集団」の存在は「希望ある社会」の創造を目指す私たちにとって、非常に大きな役割を果たすと私は考えています。 中間集団とは、もともとヨーロッパの中世社会で生まれた言葉で、自治都市、ギルド、地区の教会など「国家と個人の中間にある団体」を指します。今の日で言えば、たとえば、労働組合や商工会議所、農協、漁協などの職業団体、各種NPO、地域のコミュニティー、宗教団体がこれにあたります。 中世ヨーロッパでは、教会を中心とした人間的なつながりの中で宗教的な教えを身につけるカトリックから、教会ではなく個人で聖書を読み学ぶプロテスタントが主流になりましたが、この宗教改革に影響を与えた思想がカルヴィニズムです。この思想は西洋的な個人主義や近代的自我、さらには資主義を生み出したと

    個人化が進む今だからこそ、中間集団の持つ可能性に期待
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    nstrkd 2013/10/02
  • 人口減少社会という希望

    すでに始まった人口減少社会をどう捉えていけばよいのか。日の未来に向けての新たな視点を語る。 当の豊かさへの転機 日の人口は江戸時代後半、3000万人強でフラットな推移をしていました。それが明治以降、急激に人口が増加し、急勾配のまま伸び続けていきました。そして2004年に1億2784万人に達し、そのピークを迎えます。 それが2005年からは一転して人口が減少し、急な下り坂になります。今の出生率のままでいくと2050年には1億人を切り、ジェットコースターが落ちていくかのような下降線をたどっていきます。今はまるでジェットコースターが落ちる寸前の状態です。 日の総人口の長期的トレンド (出所)総務省「国勢調査報告」、同「人口推計年報」、同「平成12年及び17年国勢調査結果による補間補正人口」、国立社会保障・人口問題研究所「日の将来推計人口(平成18年12月推計)」、国土庁「日列島におけ

    人口減少社会という希望
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    nstrkd 2013/10/02