タグ

ブックマーク / abecasio.s23.xrea.com (12)

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 浅野いにお論(原口 丈太郎)

    【解題】 浅野いにおについては、04年度後期の立教の講義でも、今度の05年度前期の早稲田の講義でも扱った。若いし、短篇連作の各話に微妙な接合点をもつせる構成・話法が緻密だし、マンガ的な通常のデフォルメから果敢に離反を企てているし、人物の科白に「リアル」があるし・・・ ただ、原口くんのいうとおり、絶望と希望とを綯い交ぜにして提出してくる主題ににたぶん、時代の気分にかなったものがあるのだろう。のべたらな絶望も希望も、現在にあってはウソになる。それらのブレンド、その具合だけに、「リアル」に辿りつく何かが刻印される。その意味で浅野は非常に微妙な才能だし、それをこのむ読者も非常に微妙な感性だ--そういうことになるだろう。みんな冷めているけど、まだすべてを「捨ててはいない」のだ。 原口くんの感性が最も微妙な点は、浅野の人物たちの服装センスや睫毛を描写するくだりにあるとおもう。原口くんの視線は、浅野の画

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 曲解スピッツ(舛田麻奈)

    【解題】 か、可愛い。この舛田麻奈さんのレポートは可愛い。オヤジ殺しだ。 構造はこうなってる。「みんなはスピッツって無難だっつーけど、あたしはみんなスピッツに騙されてるとおもう。スピッツってヤバさなんだよ。ってヤバさにこだわるあたしが妄想女なのか?」。その自問自答が、その不安混じりの処女臭が、オヤジ泣かせなのだった。でも果敢に彼女は自分の直観を、展開的に立証してゆくことになる。 で、舛田テーゼ1:「スピッツは徐々に変わっている」。2:「スピッツは男臭い」。3:「スピッツは死も唄う――それが生に反転する」。4:「スピッツはスケベ」。5:「スピッツは泥臭い」。6:「以上もろもろをスピッツは表面から隠している」。「気をつけなさい」ってことだ。 実は俺は、以前、「Jポッパー比較論」(現在は『椎名林檎vsJポップ』所収)の雑誌初出時にスピッツをやりこめたことがある。とくに無変化を言い募った。あるいは

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 浅井健一試論(山口竜侍)

  • 阿部嘉昭ファンサイト: ナンバーガール論(斉藤 裕加)

    【解題】 ZAZEN BOYSへの異議の解題を書いたあとに、斉藤裕加さんのこんなストレートなナンバーガール論を読むと、心が洗われる。用語適確、把握適確、歌句抜粋適確、文体適確。ナンバガは男のように書くべし――そういうことだ。 で、パンキッシュな歌詞の要諦とは、日語文脈ではゴツゴツ感だと俺はおもうが、向井坊主の法話性は確実に狂った演説の「狂言綺語」に成り代わるゴツゴツ感をもっていた。斉藤文体はそこに迫っている。彼女の質はパンクなのかな? それと。やっぱりこの斉藤さんのレポートを読むと、「ナンバガはよかったなあ」と懐かしさに眼が潤んでしまう。あ、禁句だ! このレポートは、『少女機械考』刊行以後の俺に、以前書いた自身のナンバガ論(『椎名林檎vsJポップ』所収「Jポッパー比較論」内)を書き足せと迫る、悪戯っぽい強制力を伴っている。斉藤さん、この二つを読んでいるのか? 斉藤さんは向井詞の勘所がわ

  • 阿部嘉昭ファンサイト: ブランキー・ジェット・シティ (安達 美和)

    【解題】 かつて椎名林檎がブランキーのモースト・フェイバリット盤は? と訊かれ、『国境線上の蟻』と応えたことがあった。ベンジー命の彼女にしては、「エーッ? なんでベスト盤?」という不満や疑義が飛んだが、この安達さんのレポートをみて、わかった。再収録された曲が、その曲順によって別の表情を湛えている構成力を、たぶん林檎は評価したのだ。 安達美和さんは1曲目と最終曲に生-死の静けさを見、そのあいだに挟まれた曲に、ブランキーならではの不穏な雑世界を感じている。しかも、曲同士の偶然の隣接性によって、それぞれの歌の主体に同一化の擬制が起こることを鋭く指摘している。 もう一点、彼女の真っ直ぐな感覚が発見したものは、ブランキー=浅井健一の歌詞の視覚性だった。僕自身はたとえば「絶望という名の地下鉄」についてもっと未来SF的、パンキッシュな解釈をとるが(『精解サブカルチャー講義』参照)、視覚性を動員した安達さ

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 「mixi」における自己の現代的表現(佐藤 瞳)

  • 阿部嘉昭ファンサイト: ドアーズの雑感(大中真慶)

    【解題】 提出期限より送れて届いた早稲田二文06年前期のロックレポートをここにアップする。 大中真慶君の扱った素材は、ドアーズ。しかも2枚目までだ。そうなるのには当然、理由があって、僕の判断ではドアーズは以後、ジム・モリソンの死まで、そのバンド音楽力を低減させ、またバンド・シンボル、ジムの呪術的存在感もまた不透明な脂質に包まれてゆく。「声」がそうして力を失った点が大きい。ドアーズ型の音楽が長続きしない理由を、ジム個人とバンド力学の双方から吟味するのも一興だろう。 大中君のレポートの第一の手柄は、バンドメンバー個々に「要素」を分解し、ドアーズ的バンド音を分析的に振り返った点。僕がなるほど、とおもったのは、音の隙間こそがドライヴし、そこにジムの発声が載って、その軋みがロック感覚になる--というような大中君の指摘だった。ここで反復の睡魔性の分析が加わって、それがロック音楽構造的な反復性とどうリン

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 高野文子『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』(田村 裕子)

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 浅野いにお作品におけるリアルさ、欠落、円環性について(植松 朋美)

    【解題】 僕が植松朋美さんの『虹ヶ原ホログラフ』論に感動したのは、作品がエピソードとする「胡蝶の夢」から老荘思想を精確に持ち出し、かつ、浅野いにおの作品中から人生肯定的な言葉をちゃんと抜き出している点だった。いま書いたのと順序は逆になるが説明しよう。 若いラディカルなコミックファンの一部に、浅野マンガの道学臭を難詰する者がいるのを僕は知っている。彼らは、浅野が「知ったような絶望」を布置しながら、そのなかで希望を微妙なニュアンスで説くのが一種のパターンになっているというのだった。そして絶望/希望がこのようにして中間色で混ざるから、作品は一見現代的なリアルを獲得するようにおもえるが、それにもパターン的作為がつきまとっている――彼らはそのようにも主張するだろう。 このとき、植松さんが引き出した老荘思想の義が大きくものをいうことになる。いわく、「無為自然」。いわく、「万物斉同」。植松さんは老荘思

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 保坂和志について(平賀 裕貴)

  • 阿部嘉昭ファンサイト: 東京事変『大人』について

    【解題】 現在、某版元に「縮むJポップ」という仮題のを企画に出している。出るかどうか、わからない。異様な頁数だからだ。内容の中心は、05年度後期、早稲田二文でおこなったアーティスト別「Jポップ解析」講義の草稿。そののため書き下ろしたのが、東京事変『大人』評だった。椎名林檎についてはアルバム別にずっと分析を続けてきたので、とりあえずはサイト閲覧者にもお目にかけておくことにする。 なお、『大人』の分析は、06年前期の立教の「入門演習」でもおこなった。サイトアップが遅れたのは、その講義の生徒たちに、レポート提出前に以下のテキストを秘しておこうとおもったため。 このアルバムの分析は、これまでの林檎のアルバムでいちばん難しかったかもしれない。 大人になって弱って縮んだ私を見て 椎名林檎が「縮み」はじめている。彼女が亀田誠治との共謀によってバンド=東京事変をつくってからとくにこの傾向が顕著になって

    nstrkd
    nstrkd 2013/05/23
  • 阿部嘉昭ファンサイト: ゆらゆら帝国について(下重 一正)

    【解題】 下重一正君のゆら帝論は、間然とするところがない。付け加える点が何もないくらいだ。お見事。どう「お見事」かをまず説明しよう。 早稲田二文での今回の「Jポップ」レポートの多くで、僕が失望したのは、音楽雑誌型の書き方の無批判な転用だった。情報分量が多くても、「出会いの体験→ プロフィール(ディスコグラフィ)→うち、一枚のアルバムへの注目→音楽家の談話引用→自身の感想」と判で押したようにやられては意気阻喪するばかりだった。「自分の言葉が少ない」のだ。そうした学生たちが好む音楽の多くが、拡張・鼓舞・慰安・アスレチックなどをキーワードにできるアッパー音楽(どんなジャンルでも)だったりする。音楽に感性を飼いならされているなあ。 その点、下重君の言葉は、以下にみられるように、どの局面をとっても徹底的に自前だ。注意ぶかく耳が動員されたのち、それが自分の思考になるまでの「熟成」を経由している。そ

    nstrkd
    nstrkd 2013/05/03
  • 1