大阪駅前の歴史(3) 吉本家篇 梅田の大地主、吉本家は元々曽根崎洲の豪農でした。明治5年頃、梅田に鉄道の駅(梅田停車場)が作られることになり、広大な土地を一反歩(300坪)55円で売ることになります。しかし、そのかわりに駅の西側一帯の土地を手に入れたのです。それを手掛けたのが九代目吉本五郎右衛門という方で、不動産の利殖を知っておられた方のようです。 文章の途中ですがクリック。→ [ 人気ブロランキング ] ランキングページには面白いブログがいっぱいありますよ。 いつもクリックありがとうございます。 (+10ポイントがめちゃ嬉しいです。) 九代目吉本五郎右衛門は、絶家していた清右衛門家の再興をはかります。そしてそのあとを継いだのが息子の吉本彦太郎という方です。それが「東吉本家」のはじまりで、同時に本家を「西吉本家」としました。 「大日本ドケチ教」の教組として有名な吉本晴彦氏は、「東吉本家」に