品川から京都まで、新幹線で2時間強。しかし江戸時代、人々は江戸日本橋から京都まで、約500kmの東海道をおよそ2週間かけて旅しました。日本橋、京都、そしてその間に設けられた53の宿駅を描いた浮世絵のシリーズ「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」。この全55図の大作を描いたのは、浮世絵風景画の巨匠、歌川広重です。広重は、東海道を描いたシリーズを、生涯に20種類以上制作していますが、天保4年(1833年)に保永堂から出版された「東海道五十三次」は、日本美術史上に名を残す永遠のベストセラーとなりました。 TVCMなどでおなじみのシリーズ第1図目「日本橋」、夜の雪景色を描いた「蒲原」、夕立の山中を描いた「庄野」など、シリーズ中には、浮世絵の名作が目白押しです。広重は、それぞれの宿駅ごとに季節感のある題材を選び、全55図を郷土色豊かに描き出しました。日本の風土に根ざした抒情性こそ、広重の
図a.五十三次画帖での「一立齋広重画目録」。最初に「東海道五十三次風景つゝきゑ(続画)」とある。目録の左は「右追々出板仕候間不相替御求御高覧/奉希候/保永堂/〇に竹/江戸れいかんしま志保町本宅/同所南しん堀一丁目/みなと橋西かど売場/地本双紙錦画問屋竹内孫八板」。 『東海道五十三次』(とうかいどうごじゅうさんつぎ。東海道五拾三次とも)は、東海道の宿駅を中心とした景観や習俗を描いた、浮世絵木版画である。名所絵が主となる場合が多いが、人物が主体で景観が従となるなど、さまざまである。形態としては揃物[注釈 1]、張交、双六、千社札、団扇絵、絵封筒、絵本などがある[2]。なお、画題に「東海道」「五十三次」を含むものをまとめて「東海道(もの)」や「五十三次(もの)」と呼ぶこともある[3]。 代表的な作品としては天保5年(1834年)頃に保永堂から版行された歌川広重の「東海道五拾三次之内」があげられる
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く