いやこれ皆ちゃんと読んだか? 明らかに橋下が指摘してることのほうが正しいやろ ここにおるやつほぼ全員がまたスレタイだけ読んではんのうしとるんちゃうんか?
最近、少しずつ諸方で「帰属処理」と「切断操作」という概念の名前を聞くようになりました。社会学の概念ということで宮台真司の名前とともに語られたりしています。 直近のこの言葉の流布は、opemuさん@opebloの「僕達も共犯ではなかったのか」(リンク)という話題となった記事が元ではないかと思いますが、この記事以前からも宮台氏絡みで聞くことはできた言葉だと認識しております。 僕が、この話を聞いて思い出すのは、宮台真司さんが言っていた帰属処理と切断操作の話だ。何か訳のわからない事件が起こり不安になった時に、「こいつ」「こいつら」が悪いんだと是が非でも何かのせいにするのが帰属処理で、この「こいつら」は普通の生活を送っている僕達とは違うんだと、自分とは無関係な地平に押し込めて安心するのが切断操作。 … 結局は、宮台さんの言葉を借りれば、「どこの国でもメディアが帰属処理と切断操作を提供するのは変わらな
社会学の概念。共同体に特有な問題処理の作法。 下記の引用は、宮台真司『これが答えだ』朝日文庫、92-3頁より。 ISBN:4022613777 「かつての未開な共同体では、疫病が起こったり不具が生まれたりすると、生け贄を捧げるなどの儀式をして、問題を「聖なる領域」に囲い込み、皆で安心するという操作がありました。僕たちの複雑な社会にも、実は似たような機能を持った操作があります。 例えば、訳がわからない事件が起こったときに、誰が悪いのか皆で考え、コイツが悪いんだって突き止めれば、カタルシス(感情浄化)が得られます。一般に、複雑な社会では、原因がわからないことが最も大きな不安要因になるので、是が非でも何かのせいにする。そういう操作を「帰属処理」と言います。 ところが、しばしば原因の帰属先として「異常なもの」が選ばれます。コイツは精神障害だとか、被差別民族出身だとか。「異形なるもの」を作り出し、そ
宮台真司の『野獣系で行こう!!』(朝日文庫)で宮台真司と小室直樹の対談を読んでびっくり。なんといまだに「田中角栄のロッキード裁判は反対尋問が認められなかった異常な裁判だ」という話しをしているのである。対談自体は10年ほど前のものだが文庫になったのは2001年であり、いまだに売られているのだからその後も公式に撤回してはいないわけである。 すでに忘れておられる方も少なくないとは思うが、「反対尋問」云々は当時いろいろあったロッキード裁判批判のなかでもダントツでレベルの低い代物である。どれくらい低いかと言えば、この説を熱心に唱えていたのが渡部昇一であった、と書けばわかる人には(笑)わかるだろう。これは贈賄側であるロッキード社のコーチャン、クラッターへの嘱託尋問調書が証拠採用された件を指していっているのだが、2人は裁判に証人として出廷してはいない。それゆえ、そもそも反対尋問が問題になることなどあり得
『論座』3月号に同じタイトルで、インタビュー起こしを元にした原稿を書きましたが、とんでもないミスをしてしまったのです。200字×30枚と依頼されていたのを、400字×30枚だと勘違いして、倍の分量書いてしまったのです。しかも原稿を編集部に送ったのが、校了直前。編集さんがぼろぼろの状態でバサバサ削って、半分の分量にしてくれました。ということで、ここに元の倍の分量ある原稿をアップします。 ■日本のことばをめぐる状況は、もはやどこが悪いここが悪いという病巣局在論的なレベルをとうに超えています。永田町のことばが信じられないとか、あるいは特定の個人や組織のことばが信じられないとか、あるいはお上は信じられないが民衆は信じられるとかいった次元ではなく、全部がだめ。すべてのことばが信じられない状態になっているのです。 ■ことここに至っては、ことばを支えるフレーム自体を、まるごと取り替える以外に道はないとい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く