罪と罰、さらに悪 普通に考えれば、罪とされるものがまずあって、それを犯すから罰せらるということになるでしょう。しかし、そうでしょうか? 私は、罰する意志とその行為が、罪を作り出すのだと思います。罪それ自体に罪たる根拠はない、ということです。 では「罰する」とは何か。それは、ある共同体において、メンバーの合意と一定の手続きによって、特定の思想、行為を排除(たとえば拘束、追放、抹殺によって)することです。この排除の対象にされたものを、「罪」と呼ぶわけです。排除がただの暴虐ではなく、共同体内で「罰」と認識されるには、合意と手続きが不可欠です(それがいわゆる「神」の行為であろうとも)。 罪は多くの場合、悪と重なりますが、必ずしも悪と同じではありません。罰する共同体にとって、罪はすべからく悪でしょうが、悪がすべからく罪にならないことは、少し考えれば誰でもわかる道理でしょう。「必要悪」という言葉もある