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programmerに関するoganのブックマーク (5)

  • 上流でも下流でもない場所:プログラマで、生きている:エンジニアライフ

    当初のタイトルは『続・プログラマなんかで終わりたい』でした。 あのコラムの中で「いろいろとありまして、派遣社員のままだとこれから先は厳しいと思った」と、おもいっきし圧縮してしまった部分について書いてみました。 ネガティブな話はあんまり書きたくないなあ、という気持ちがあって、どうしたもんかと思っていたんですが、いくつになってもプログラマやってるとこんな事態も発生し得る、という脅し(?)をかけておくのもいいかもしれないと思いまして(苦笑)。 以前の記事でも書いたんですが、わたしは派遣で12年ほど働いていました。その期間の大半を、わたしはわりと幸せに過ごしていました。 はっきりいって、正社員だった頃よりも、ずっとのびのびと働けてたんですよ。 何を話し合ってるんだかよくわからない社内会議に出なくていいし、電話をとらなくていいし、ずっとコードを書いてさえいればお金をもらえるし、とりたてて生活に困るこ

    上流でも下流でもない場所:プログラマで、生きている:エンジニアライフ
    ogan
    ogan 2009/09/15
    プログラマがプログラマのままで偉くなったり給料が上がったりする道が、日本にはまだあまりないんだよねえ。
  • フツウのプログラマがフツウに評価される社会を夢見る - kagamihogeの日記

    俺は大学でコンピュータサイエンスを 4 年間学んだ。とはいっても大学自体の学歴・成績は平凡もいいとこ。真の意味でのプログラマのレベルは凡骨もいいところな自覚はある。まぁその大学は自分と似たよーなレベルの人間を毎年輩出してるわけです。 でまぁ、就職活動に真剣に取り組み始めにゃならん時期になんとなしに 2ch (つーかしたらばか)の出身大学の出身学科のスレ見たら驚いた。そこでの議論の趣旨は「コンピュータサイエンスを 4 年学んだ人間はソフトウェア業界以外の進路は何があるか?」だった。 「今更 IT ドカタやる以外ないだろ常考」「公務員ならなんとかなるかも?」「情報科目の教員免許はどうだろうか」「コンピュータに精通した事務員とか会計士とかアリじゃね」「起業とか? 俺たちのスキルじゃ余りにもリスク高すぎるか……」etc,etc ずっとスレを追っていたわけではないが、前向きにソフトウェア業界行きたい

    フツウのプログラマがフツウに評価される社会を夢見る - kagamihogeの日記
    ogan
    ogan 2008/06/03
    ※欄「製造業勤務」「SIerに入るのが間違い。」が正しいと思う。SIなんかしなくとも、この世はコードで満ち溢れているのだ。
  • 「渡された仕様書を実装するサラリーマンプログラマ」の悲哀

    @ITの「業務用途でRubyを使う上での課題 」を読んでなんだか悲しくなった。 チーム開発でRubyを使ったときに今後起こりえる問題として、サン・マイクロシステムズ システム技術統括部 チーフテクノロジストの下道高志氏は、こう指摘する。「他人の書いたPHPコードのメンテナンスはできない。Rubyはどうかといえば、現状はいい。しかし今後“職業プログラマ”ではなく、渡された仕様書を実装する“サラリーマンプログラマ”が増えてくると、コードのスパゲッティ化は避けられないだろう」。 【業務用途でRubyを使う上での課題 − @ITより引用】 これは言語の問題ではなく、日のソフトウェア産業全体が抱える問題。以前にも「ソフトウェアの仕様書は料理レシピに似ている」というエントリーで書いたが、来のソフトウェア作りとは、絵を描いたり、音楽を作ったり、建物をデザインするのと同じ「創作活動」である。ドラッ

    ogan
    ogan 2007/10/11
    うちも全員攻撃,全員守備だけどなあ。渡された仕様書を実装するだけのサラリーマンプログラマってどこにいるの?つーかそんな完璧な仕様書だれが書くの?
  • プログラマ1年生に、先輩がアドバイス:アルファルファモザイク

    「ゼリーのみ規制…モチはいいのか?」→野田聖子氏「モチは喉に詰まるものというのが常識」…消費者庁構想に暗い影

  • ナーシャ・ジベリ - Wikipedia

    ナーシャ・ジベリ(Nasir Gebelli、ナーセル・ジェベッリー、ペルシア語: ناصر جبلی Nāṣer Jebellī、1957年 - )は、コンピューターゲームのプログラマ。イラン出身。『とびだせ大作戦』、『ハイウェイスター』、『ファイナルファンタジーシリーズ(I - III)』、『聖剣伝説2』などをプログラムする。 イランの王族であったが、イラン革命により渡米してコンピュータ科学を学ぶ。1980年に友人Apple II用のゲームを製作するシリウス・ソフトウェア(英語版)を立ち上げるが、1981年に退社。その後ジベリ・ソフトウェア(英語版)を設立するが、アタリショックの影響もあり、倒産した。 その後は世界中を放浪していたが、Brøderbundのオーナーをしていた友人ダグ・カールストン(英語版)を訪ねた際にゲーム開発に誘われる。この時に偶然居合わせたのが、スクウェア(現スク

    ナーシャ・ジベリ - Wikipedia
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