ホンダ子会社でサーキットなどを運営する「モビリティランド」(三重県鈴鹿市)は7日、モータースポーツをテーマにした遊園地「多摩テック」(東京都日野市)を9月末で閉鎖すると発表した。入場者の減少が続き、約2年前から営業を続けるかどうか検討していた。世界的な景気後退で、ホンダの業績が悪化していることも閉鎖の一因とみられる。多摩テックの入場者はピークだった2002年度には100万人を超えていたが、07年度は62万人に落ち込んでいた。 関連記事松坂もひと安心? バリテックがRソッ…松坂“正妻”を欠く? バリテックの再…記事本文の続き 多摩テックは自動車やオートバイの普及や、操る楽しさを広めようと1961年に開業。ただ、こうした活動の主軸は同じモビリティランドが運営する「鈴鹿サーキット」(鈴鹿市)、「ツインリンクもてぎ」(栃木県茂木町)に移り、モビリティランドは「多摩テックは開業当初の目的を達成した」
オリックス・清原和博内野手(41)が1日の引退試合となったソフトバンク戦で23年間の現役生活にピリオドを打った。 PL学園ではKKコンビで甲子園を沸かせ、ドラフトでは巨人に裏切られ涙、その巨人に日本シリーズで対決したとき、試合中にもかかわらずグラウンドで涙を流した。その後、FAで憧れの巨人に移籍したが、晩年はケガと故障に悩まされ続けた。「無冠の帝王」「球界の番長」といわれ、圧倒的な存在感を見せた清原和博の野球人生を写真で振り返った。 清原和博(きよはら・かずひろ) 1967(昭和42)年8月18日、大阪府生まれ、41歳。PL学園高では甲子園に1年夏から5季連続で出場し、2度優勝。86年、当時最多の6球団競合の末、ドラフト1位で西武入団。1年目に高卒新人として歴代最多の31本塁打を記録し、新人王。96年オフに巨人へFA移籍。2004年に通算2000安打を達成したが、05年に戦力外となりオ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く