疾患や障害を理由に断種の適否を決めた優生保護審査会の公文書は、強制不妊手術の実態が分かる貴重な記録だが、保存期限が切れて全国で廃棄が進む。滋賀県の開示文書からは、手術を拒む女性の家族を「無知と盲愛」と侮蔑(ぶべつ)し、本人の意思に反して生殖能力を奪おうとした旧優生保護法や行政の暗部が垣間見える。 1971年2月2日。小児科内科の医師が県優生保護審査会に、草津保健所管内で暮らす20代未婚女性への優生手術の審査を申請した。健康診断書によると病名は「先天性精神薄弱」、申請理由は「遺伝因子を除去するため」。法的には必要ないが、「調査勧奨」に応じたとする親の承諾書も添えられていた。 県は審査会を開くことなく持ち回りの審査で、「優生手術を適当と認める」(同21日付)と決定した。審査委員は県厚生部長、大津地検次席検事、県医師会長、病院理事長、病院長、県産婦人科医会長、県社会福祉協議会長の7人が務め、全員
旧優生保護法のもとで不妊手術を強制され基本的人権を踏みにじられたとして、知的障害のある60代の女性が国に損害賠償を求める初めての裁判を起こしました。 女性はその後、手術が原因で病気になり、卵巣も摘出せざるを得なくなったほか、子どもが産めないことを理由に縁談も破談になったということで「子どもを産み育てるかどうかを決める権利を奪い取られ、基本的人権を踏みにじられた」と訴えています。 そのうえで、所管していた厚生労働省は被害回復のための適切な措置を取っておらず、国会は被害者を救済する法律を作る義務を怠ったと主張して、国に1100万円の損害賠償を求めています。 昭和23年から平成8年まで施行されていた旧優生保護法では、遺伝性の障害などを理由に本人の同意のないまま不妊手術を行うことが認められ、厚生労働省によりますと、およそ1万6000人が手術を受けました。 訴えを起こした女性の義理の姉は記者会見で「
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