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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (38)

  • 制御困難な“マジックアイテム”としてのインターネット - シロクマの屑籠

    去年も今年も、たくさんの人がネットで燃えていますね。素人っぽいアカウントだけでなく、経験に富んだメディア人が騒動を起こすこともあり、インターネットの難しさを垣間見るような気がします。 最近は、そうしたメディアのベテラン勢がtwitterアカウントを閉鎖することもあると聞きました。わかるような気がします、インターネットに書き込んだ短文が、予期せぬ反応や誤解を招いて一人歩きすることもありますからね。twitterテレビと同等以上のリスクを孕み、にも関わらず(時間や精神力の)費用対効果の面でメリットが見えにくいなら、やめてしまうのは合理的な選択だと思います。 他方、無名の人にとって、インターネットの伝播力がもたらしてくれる知名度は今日でも魅力的です。瞬間的な心理的欲求の充足はもとより、若干なりとも衆目を集め続けられれば、種々の利得*1を得ることができます。そうした種々の利得が大きなモチベーショ

    制御困難な“マジックアイテム”としてのインターネット - シロクマの屑籠
  • 「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠

    釣りっぽいタイトルだけど、実際、そうなってきている。形式としては子どもの自由な学業選択は成立しているが、実情としては、生まれた家庭の環境によって大きなハンディやボーナスがつくようになっていて、個人の努力で覆すのは大変難しい。そのさまは、さながら新システムの“世襲制”のようだ。 子ども自身の努力で、どこまで“這い上がれる”のか 戦前の日では、子どもの進路や学歴は限りなく運命に近かった。身分・家庭環境・経済事情・性別・きょうだいの出生順といったものによって、入れる学校や選べる進路が決まっていた。そうした運命に抗らうためには、ずば抜けた素養と、なによりも幸運が必要だった。 戦後はこれが緩和されていった――家庭環境や経済的問題は依然として大きかったが、高校進学率は向上し、やがて大学進学率も高くなっていった。そうした状況下で私立大学や受験産業がマンモス化していったけれども、それらを飛び越え、地方の

    「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠
  • なんだよ、グローバルエリートって躁状態なのか? - シロクマの屑籠

    グローバルエリートはみんな実践! 来年から絶対に身につけたい早起きの習慣と朝の時間の活用法 - この世の果てブログ 「デマこいてんじゃねぇ!」 リンク先の文書を読んで思わず叫んでしまった。 リンク先の書き手はグローバルエリートを自称し、“早朝ライフハック”を「グローバルエリートはみんな実践!」と書きたてている。 内容がとんでもない。起床してからのストレッチや体重測定ぐらいならともかく、 ライフログをつけろ、 熱いシャワーを浴びろ、 早朝ランニングをやれ、 瞑想しろ、 新聞を読め、 twitterやfacebookをやれ…… あげくの果てには、“ブログを書け”“書籍を執筆しろ”と来たもんだ。 ひとつひとつとってみれば、エリートがやっていても不思議ではないものが並んでいる。だが全部繋げれば「おまえのようなグローバルエリートがいるか」と言わざるを得ない。朝も早くからこんなに動き回っていれば、働く

    なんだよ、グローバルエリートって躁状態なのか? - シロクマの屑籠
  • ネットで目立つための素養は、短期/長期でだいぶ違う - シロクマの屑籠

    師走も後半に差し掛かってきましたね。 今年もたくさんのネットユーザーの栄枯盛衰を眺めてきました。見知ったアカウントが消え、興味深いブログの更新が途絶えるのを目の当たりにすると、私は『方丈記』の冒頭を連想してしまいます。このあたり、ブロガーの一人として他人事とは思えず、娑婆の風の厳しさに身が引き締まるような思いがします。 それはそうとして、ネットの人気者・注目を集め続けるアカウントに必要な素養とは何でしょうか。 いろんな特徴が連想されますが、タイトルにもあるように、短期的に注目を集めるための素養と長期的に注目を集める素養はかなり違っているように思えるのです。違いがあるからこそ、たまさか朝顔のように咲き乱れたアカウントが数か月も経ないうちに消滅……といったケースが後を絶たないのでしょう。 たった一度だけ「時の人」になるためのハードルは、そんなに高くはありません。他人が滅多に経験したことの無いこ

    ネットで目立つための素養は、短期/長期でだいぶ違う - シロクマの屑籠
  • ジハードで「自分探し」 - シロクマの屑籠

    「イスラム国」に引き寄せられる欧米の若者 :日経済新聞 最近は、“「イスラム国」に欧米の若者が引き寄せられている”ニュースを頻繁に見かける。残忍で過酷な戦闘に参加する者も沢山いるという。 その背景には、英語が通じるとか、“レッドブルなどの贅沢品”が提供されているからだとか、色々な背景があるのだろう。ともあれ、リンク先によればイスラム教への信仰心はさほど強く無い。それより目についたのは、 欧米人がイスラム国にひかれる理由として考えられるのは、祖国での退屈な生活から抜け出し、自らのアイデンティティーを見いだしたいという願望だ。ロンドンにあるシンクタンク、英国王立統合軍防衛安全保障問題研究所(RUSI)でアナリストを務めるラファエロ・パントゥイッチ氏は「人生を退屈に感じてシリアに赴く者もいる」と言う。 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO76831420Z0

    ジハードで「自分探し」 - シロクマの屑籠
  • 新しい時代を創るのは老人ではない――『ガンダムUC』感想 - シロクマの屑籠

    機動戦士ガンダムUC [MOBILE SUIT GUNDAM UC] 7 (初回限定版) [Blu-ray] 内山昂輝Amazon 【注意】この文章は『ガンダムUC』第七話までのネタバレだらけです。未見の人はご注意ください。 「新しい時代を創るのは老人ではない。」 『ガンダムUC』を見終わった後、シャア・アズナブルのこの台詞を思い出した。 (以下、『ガンダムUC』のネタバレ記事です。未見の方は読まないでください) ここから、『ガンダムUC』最終話まで観た個人的感想を書く。 『ガンダムUC』には様々なテーマが埋め込まれている。そんななかで、アラフォーの私が一番考えさせられたのは、世代から世代へ引き継がれる時代の流れと、そうした時代の流れのなかで、一成人としてどのように身を処すか、ということだった。 初代ガンダムテレビ放映されて三十年以上。『逆襲のシャア』から数えても四半世紀の時が流れた。青

    新しい時代を創るのは老人ではない――『ガンダムUC』感想 - シロクマの屑籠
  • 「ファスト風土が、末端から壊死していく」 - シロクマの屑籠

    極点社会 ~新たな人口減少クライシス~ - NHK クローズアップ現代 先日のNHK 『クローズアップ現代』は、東京への一極集中と過疎地の消滅、そして日全体の出生率低下についての特集だった。かじりつくように視聴した。 地方の幹線道路沿いに住んでいると、こうした過疎や出生率の問題は肌感覚としてなんとなくわかる。朝、ニュータウンの通学路を歩く子どもの姿が少なくなり、ファスト風土の賑わいがゆっくり縮退しているエリアも目にうつる。そういうエリアでは、老人介護施設だけがピカピカの威容を誇っているのが常だ。 ところが、番組で放送されていた内容は、そうした肌感覚の一歩先を行っていた。NHKの集計によれば、全国市町村の1/5ではお年寄りの数が減少に転じているという。老人介護施設に入所するお年寄りすら減少していく超過疎地の現状――これはまだ、私の体感レベルではピンと来ていなかった。じきに体感レベルでわかる

    「ファスト風土が、末端から壊死していく」 - シロクマの屑籠
  • 文化系優越感ゲームと体育会系優越感ゲーム - シロクマの屑籠

    優越感ゲームとは - はてなキーワード 「優越感ゲーム」というスラングがある。 他人よりも自分が優れているところを発見しては、「俺はあいつらよりも上等だ」と優越感にひたるという、とても人間くさい心理だ。思春期の人には幅広くみられ、同じくネットスラングの中二病などとおなじく、はしかのようなものだと思って差し支えないだろう。度が過ぎれば社会適応に支障が生じる点も中二病に似ているが、高齢になっても優越感ゲームをやめない“プレイヤー”が存在する点が違っている。 ところで、この優越感ゲームって、実施する人間の性向やフィールドによって優越性の確認様式が微妙に違うような気がする。そのあたりについてちょっとまとめておくこととする。 文化系優越感ゲームと体育会系優越感ゲーム ここでは便宜上、文化系優越感ゲームと体育会系優越感ゲームに分類する。 ・文化系優越感ゲーム 人文分野やサブカルチャー分野の多くの人は、

    文化系優越感ゲームと体育会系優越感ゲーム - シロクマの屑籠
  • ファスト風土で「本物」と呼べるもの - シロクマの屑籠

    ファスト風土。 歴史が欠如し、コンテンツも、ネオンサインも、文化的なシンボルも、すべて外部から持ち込んでつくられた画一的な社会空間。いつ頃からか、このファスト風土を哲学者ボードリヤールのハイパーリアルに即して眺めながら、ぼんやり考える癖がついていた。 もともと歴史文化も無かった山野に突如として立ち上がってきた、コピーアンドペーストと記号で埋め尽くされたファスト風土。ここで見かける文化的なシンボルは、どれも真贋が定まらない。そもそも、誰が真贋を気にしているというのか?国道沿いのガラス工芸品店の“癒し風BGM”を、愛国ラーメンの“こだわり”を、やけに小奇麗な“パワースポット”を、胡乱げに眺め回す人間がどれぐらいるというのか?仮に胡乱げに眺め回したとして、それで社会適応上、有利になるとでもいうのか。そうではあるまい。そうした文化的シンボルひとつひとつの真贋を気にしてまわっていてはきりがない。い

    ファスト風土で「本物」と呼べるもの - シロクマの屑籠
  • ライブやコンサートに行く人=「若作りうつ」ではありません - シロクマの屑籠

    日午前中、フジテレビ『ノンストップ!』の生放送にお邪魔して、エイジングの遅延に伴うメンタルヘルスの問題について話題提供しました。 初めてのテレビ出演、しかも生放送にしては、落ち着きながら出演できたつもりです。また、年の取り方を度外視したライフスタイルについて問題提起できたつもりですが、舌足らずといいますか、ちょっと誤解を与えるような表現があったのが心残りなので、こちらで補足します。 番組後半、私は「人間は必ず年を取る。何歳になっても思春期的なライフスタイルを続けているのは厳しい」的な発言をし、その例としてライブハウス通いなどを挙げましたが、ライブハウスに行ったりコンサートに出かけたりすること自体は、別段「若作り」なわけでもなく、メンタルヘルスを損ねてしまうリスクでもありません。 来は、「若い頃と変わらないペースでライブハウスやコンサートに出かけて、心身を酷使するような生活を続けていれば

    ライブやコンサートに行く人=「若作りうつ」ではありません - シロクマの屑籠
  • ネットで「承認欲求」が使われるようになっていった歴史 - シロクマの屑籠

    この記事では、インターネットやメディア上で承認欲求という言葉が使われるようになっていった経緯について、個人的にまとめてみる。 現在、承認欲求という言葉はネットスラングのように用いられている。と同時に、著明な学者さんが「承認」という言葉を使ったり、承認欲求をメインテーマにしたが売られたりもしている。だが、こうした風景が昔からあったわけではない。 グラフ:承認欲求の検索件数。Googleトレンドより。 承認欲求という言葉がネットで流通するようになった歴史は意外と短い。2006年頃までは、ほとんど使われていなかった、と言って差し支え無いだろう。実際、Googleトレンドで「承認欲求」のGoogle検索数を確かめてみると、2008年夏頃に小さなピークを迎えた後、いったん殆ど検索されなくなり、2010年5月頃から再び検索件数が増えはじめ、その後、急激に増加している。 こうした動向を踏まえて、インタ

    ネットで「承認欲求」が使われるようになっていった歴史 - シロクマの屑籠
  • 私達はどのように承認欲求と向き合うべきか - シロクマの屑籠

    第一回:承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 第二回:承認欲求の社会化レベルが問われている 第三回:承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について 第四回:私達はどのように承認欲求と向き合うべきか(今回) ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。 最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。 承認欲求全般の否定は、おそらく自分自身の心理的性向の一部を否定することにも直結する。そうやって承認欲求に“臭いものに蓋”を続ければ、さしあたり承認欲求周辺の問題から自由になれるかもしれない

    私達はどのように承認欲求と向き合うべきか - シロクマの屑籠
  • 承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について - シロクマの屑籠

    先日の記事では、承認欲求が社会化されていくプロセス、熟練度がアップしていくプロセスについてまとめた。今回は、承認欲求、とりわけ思春期前半の逸脱しやすい承認欲求が罵倒されたり排除されたりしやすい社会情況と、その問題について振れてみる。 昨今、思春期前半の承認欲求が馬鹿にされたり、批判に曝されたりする機会が増えたように思う。 わかりやすいところでは、中二病を馬鹿にする風潮だ。いい歳した大人の中二病が揶揄されるのはまだわかる。だが十代の若者の不器用なレクリエーションまでもが、「中二病は恥ずかしいもの」「中二病はネタ」的な括りで取り扱われていて、そういうメタ情報が学生にまで周知されている。中二病のかけがえのなさを讃える声が無いわけではないが、そのような声は、中二病を笑いものにする声に比べて大きいとは言い難い。 くわえて、ネット炎上の問題が新たに加わった。2013年は、若者の“武勇伝”や“仲間内を意

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  • 「きっと何者にもなれない時代」の平凡と「あらかじめ何者かが強制された時代」の平凡 - シロクマの屑籠

    以前、深夜アニメで「きっと何者にもなれないお前達に告げる」という台詞が出てきて、ちょっとした人気を博していた。「きっと何者にもなれないお前達」という台詞がインパクトをもって受け止められたということは、多くの視聴者が「何者かになりたい」自意識を抱えていたのだろう。それとも「何者かにならなければならない」けれども「何者にもなれそうにない」と思っていたか。 「きっと何者にもなれない」という台詞には、「お前はまだ何者でもない」という含意がある。何者かになろうと思っているうちは、何者でもないのだ。自分というものにカタチがない。心理学っぽい表現を心がけるなら「アイデンティティ拡散」「アイデンティティの確立途上」といった表現になるかもしれない。 今日、「何者かになりたい/なれない」と問う人は、しばしば、気宇壮大な何者かをイメージしている。「何者かになる/ならない」問題に拘っている人のうち、一般的な仕事

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  • 地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠

    以下に書き散らす内容は、私自身が実際に観てきたものと、他の地方在住オタクな人達から聞いた話をもとにした、ひとつの推測とあらかじめ断っておく。 90年代のある時期、それこそウィンドウズやインターネットが地方の学生オタクにも手の届くものになった頃ぐらいから、地方でオタクをやるのは難しくなくなった、とされている。少なくとも、首都圏で“おたくエリート”が頑張っていた頃よりは、そうだろう。コンテンツに手が届きやすくなったし、マスボリュームが大きくなって友達も探しやすくなった。漫画やアニメやゲーム好きの多く集まる学校に進んだ高校生なら、同好の士をある程度は見つけられたに違いない。 問題はここから。 じゃあ、地方でアニメやゲームをいつまでも愛好し続けるのも同じぐらい簡単か、となると、これが結構難しいようにみえる。オタクオタクでい続けるための難易度・しんどさは、首都圏と地方県庁所在地、中小の地方都市や過

    地方オタクの歳の取り方と、首都圏の人脈について - シロクマの屑籠
    orihime-akami
    orihime-akami 2013/11/14
    名古屋・大阪・福岡にも求心力が向く西日本と、求心力が東京にしか向かない東日本でもまた事情が違うと思う/首都圏と地方中都市のどちらからも適度な距離感持ってる魚沼地区だとまた面白いことが起きてまして。
  • キュウべぇが起こしたバイオハザード - シロクマの屑籠

    一昨日書いた「我欲と暁美ほむら」という文章に、以下のようなブックマークがついていた。 キュウべぇの魔法少女選定も利他的な人間をあえて選んでいるように見えてくるんだよなあ。自分のための奇跡を願える人間は魔女化しない気がする。 http://b.hatena.ne.jp/yajicco/20131107#bookmark-168104270 私も全く同じ前提を考えていた。で、先日、生物学に詳しい方と魔法少女談義をしている時に、ふと、以下のようなフレーズが口から飛び出した。 @nennpa 「捕対象のリスクを評価し、合格した少女だけを捕する生物」が、そのリスク評価に依存するかたちで捕しているうちは良かったけれど、実験してつくった変異体家畜がフィルタリングを突破して飼い主をい荒らしている、みたいに解釈してひとりでニヤニヤしたくなってきます。 2013-11-06 14:44:44 via

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  • インターネットにはリラックスが欠乏している - シロクマの屑籠

    インターネットが普及し、色んなものに簡単にアクセスできるようになった。しかし、インターネットでは入手困難なものもある。その最たるものが、リラックスだと思う。 そもそもインターネット云々以前の問題として、明滅するディスプレイを眺めなければならない。これが曲者だ。小さなスマホのディスプレイであれ、PC向けの大型ディスプレイであれ、この光り輝くインターフェースは、ただそれだけで人間の視神経を刺激し、人間の眼精疲労を生む。そういえば、テクノストレス症候群という言葉もあった。実際、ディスプレイを眺めるという行為は、ストレスだ。光学ディスプレイを使った営為そのものがリラックスというより疲労に近いことを、まず認めなければならない。 そこをさっ引いたとしても、はたしてネットコミュニケーションに、リラックスは、ひいては“癒やし”はあるものか? ときに人は「笑顔を貰って元気が出た」とか「シンパシーで癒やされた

    インターネットにはリラックスが欠乏している - シロクマの屑籠
  • 不惑を迎える頃になっても「自由」に執着することについて - シロクマの屑籠

    「女は自由でいい?」 裏に潜む覚悟なき人々の羨望:日経ビジネスオンライン リンク先は、アラフォー女性の自由についての記事だ。男女のジェンダーによる違い・組織と個人・周囲の目線といった諸点に触れていて興味深い。 しかしそれ以上に、そもそも40歳にもなって「自由」に執着するということ・アラフォー向けの「自由に関する記事」なるものが流通していることのほうが私には興味深く感じられる。40歳にもなって、まだ「自由」とかそういうことを言っているのか。四十といえば不惑とも言う。自由がどうこう言う歳というより、既に引き受けたもの・“しがらみ”・立場といったものを意識する年頃ではないのか。さらに言えば、自分自身の自由を追いかけるより、若い世代の思春期モラトリアムを応援したり、子ども世代の自由のための礎となったりすることを意識しはじめる年頃なのではないか。 むろん、リンク先を読めば分かるように、ここでいう「自

    不惑を迎える頃になっても「自由」に執着することについて - シロクマの屑籠
  • 私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠

    今でこそ私は、精神科医という、他人の社会適応やメンタルヘルスを気にする仕事に就いているが、かつては自分自身の社会適応やメンタルヘルスにこそ問題があり、学校生活から落伍していた。いや、当は今でも自分自身の社会適応に問題はあるだろうし、だからこそ人間の社会適応を学び、実践することに拘っているのだろう。 1.私はもともと古い地域社会の出身で、そのコミュニティのなかでは概ね上手くやっていた。私は我の強い、そのくせコミュニケーションの機敏に疎い子どもだったと思う。しかし地域の年長者達はそんな私の取り扱い方をよく心得ていて、私のほうも彼らを慕っていたので、コミュニケーションに困ったことはあまり無かったと思う。私は小学校に行くのを楽しみにしているような子どもだった。 しかし幸せは長く続かなかった。中学校に入り、地域社会の外側の生徒にまみえるようになると、私は年長者の保護を失った。“よく知らない同級生と

    私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠
  • Googleが精神疾患を診断・治療する未来 - シロクマの屑籠

    http://www.eng.fau.edu/news_twitterresearch インターネット上の書き込みから精神疾患を診断する――荒唐無稽のように見えて、そろそろ現実味を帯びてきたかな、と思った。リンク先(英語)はtwitterの発言から人格傾向を抽出する試みだが、この延長線上として、オンラインで精神疾患を診断する技術が生まれてきても不思議ではない。カネをかけて気でやれば、現行技術でもスクリーニングぐらいはできるだろう。 というのも、「オンライン上に記録された言動を観測し、それを根拠に診断する」という発想が、現代精神医学の診断体系と相性が良さそうに見えるからだ。 現代の精神医学は、診断と治療に際して「無意識」「内面」といった、第三者には観測できない、いわゆる“こころ”を忖度する必要があまり無い。 一昔前の精神医学、とりわけ精神分析的なアプローチでは、「無意識」「内面」といった、

    Googleが精神疾患を診断・治療する未来 - シロクマの屑籠