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依網池と猫間川に関するorionoのブックマーク (2)

  • 034 駒川

    大和川付替え反対陳情書に引用された「大和川開鑿地方図」によれば、駒川は狭山池の水を一時滞留させる轟池(堺市北野田)を源流とし、西除川に併行して北進する川と依羅池(注)を源流とする川が合流した水路で、古くは高麗川(巨摩川)と呼ばれていたことから、沿岸に百済や新羅からの渡来人が住み着いたことに由来すると言われています。 現在の人工水源の近くに、鷹合神社があり、ここには日書紀の応神天皇43年9月条があり、百済系渡来人の酒君に依羅屯倉阿弭子(ヨサミノミヤケアビコ)が献上した鷹の飼育を命じた伝承があるので、沿岸地域に「鷹合わせ=鷹狩」が得意な百済系渡来人が定着していたことが想定できます。 また、架ける橋の名前も「百済大橋」「酒君塚橋」「鷹匠橋」「鷹合橋」があり、この伝承に因んだものと考えられます。 水源の天野川や依羅池が大和川付替えの際に分断され、雨水の溜池となった依羅池の水によって細々と流れてい

    034 駒川
    oriono
    oriono 2011/03/03
    「保有水量は狭山池より遙かに劣りますが、駒川の他に、長池や桃ヶ池を結ぶ長池筋(猫間川)や、西に向かう細江川の源流となっています」
  • 猫間川の南限-「猫間川源流探検記」

    間川を遡ってゆくと、桃が池を頭にして南北に細長く伸びる長池へと続く、上町台地と我孫子丘陵に挟まれた地溝帯にまでたどり着くことができた。上町台地と我孫子丘陵に挟まれたこの付近一帯には大小のため池が点在し、それらのため池を縫うようにして、井路川が縦横に伸びていた。 大正十年(1921)の測量地図では、名前の分かるものだけでも十以上のため池があったことが確認できる。 @ 三明池 A 瓦釜池 B 苗代田池 C 野之中池 D 前後池 E 新池 F 股ケ池 G 長池 H 今池 I 万代池 J 大領池 はたして間川の源頭はさらにどこまで遡ることができるのだろうか?今回は間川の南限を見極めるために、桃が池からさらに南の地を歩いてみた。 桃が池から東、阪和線の高架を見たところ。 桃が池の南は一部埋め立てられて、グラウンドになっている。さらにその南の青少年センターや昭和中学校も、かつては股ケ池の一部であ

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