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2022年7月27日のブックマーク (1件)

  • 枢密院とは、近代日本において何であったのか(望月 雅士)

    時は明治。未熟な政党政治の混乱から「国体」を護るための「保険」として、枢密院は創られました。しかし、議会や内閣から独立して天皇に諮問を行うため、枢密院はようやく成熟し始めた政党政治としばしば対立し、政治争点化していきます。伊藤博文による創設から第二次世界大戦敗北、新憲法成立による消滅まで、枢密院の全課程を描いた現代新書の最新刊『枢密院 近代日の「奥の院」』より、「はじめに」を特別公開します。 大日帝国憲法と日国憲法を比べてみると 敗戦によって、大日帝国憲法から現在の日国憲法へと変わるが、両者の章立てを見比べると、意外と共通する部分が少なくないことに気づく。 大日帝国憲法の「天皇」(第1章)、「臣民権利義務」(第2章)、「帝国議会」(第3章)、「司法」(第5章)、「会計」(第6章)は、それぞれ日国憲法の「天皇」(第1章)、「国民の権利及び義務」(第3章)、「国会」(第4章)、「

    枢密院とは、近代日本において何であったのか(望月 雅士)