ブックマーク / www.vice.com (74)

  • 30年間、殺人現場を歩き続けた男 酔いどれ事件記者、小林俊之の真情告白

    小林俊之さん(62歳)は、事件一筋30余年のベテラン記者だ。写真週刊誌全盛期のフライデーでの活躍で知られている。小林さんは事件記者の仕事を「酒でも飲まなきゃやってられない」と言うが、ただの酒飲みにも見える。そんな疑念を抱きつつインタビューした。果たして、殺人事件という究極の修羅場を取材し続けた男の、心の深部まで近づくことができたかどうか……。 * 結婚して西武線沿線に住むようになって、駅前のスナックで雇われマスターをやっていました。店にはヤクザも来るんだけど、俺はまだ若かったからバカにされてさ、神経がまいっちゃった。それで水商売をやめて堅気になろうと、町場の印刷所に入りました。仕事が終わると毎晩飲みに行って、モツ焼屋で週刊女性自身の記者の松崎博和さんと知り合ったんです。田中角栄を陰で支え“越山会の女王”と呼ばれた佐藤昭の取材の他、たくさんスクープを出した人です。すぐに意気投合して、銀座のク

    30年間、殺人現場を歩き続けた男 酔いどれ事件記者、小林俊之の真情告白
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    otakky 2021/09/02
  • 12年間イーストロンドンのリアルを撮影してきた男

    結局イーストロンドンが一番面白い。これが実際にロンドンで暮らしてみた個人的な感想だ。元々治安が良い地域ではないので、一部の観光ガイドには未だに「夜に出歩くのは危険」なんて書かれていることもあるし、ロンドンに住んでいても「イーストに行ったことなんてない」という人にもたまに出会う。 週末には街が多くの若者で溢れ返り、ときには人が多すぎて通りを歩くのに苦労することもあるくらい、ロンドンの中心地に負けず劣らずの盛り上がりを見せるイーストロンドン。そんな盛り上がりを見て「イーストは商業的なった」とか「これからはサウスエンドの方が面白くなってくる」とか、色んな意見を聞くが、それは見てるポイントがずれてるだけだ。 結局のところ、ロンドンはイーストが一番面白い。個人的な意見としては、イーストの当の姿を見られるのは平日だと思う。特に朝だ。平日の朝にダルストンからホクストン、さらにショアディッチ(脚注①)を

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    otakky 2021/09/02
  • カンフーマスターに10の質問

    カンフーを始めてどれくらいになりますか 教え始めたのは1996年。プンチャック・シラットやブラジリアン柔術など、他の格闘技のトレーニングもしていますが、いちばん熱心に学んできたのはカンフーです。 伝統的なカンフーと武術の違いを教えてください。今や、カンフーは舞踊とほぼ変わらず、より華やかな動きのほうが重視されるというのは当ですか? 私の見解では、実用性よりも美しさを重視するのはむしろ武術です。武術のスピード感は驚くべきものですが、そこに闘争心はほとんどありません。武術は、内容より形式を重んじるからです。しかし、伝統的なカンフーの場合、正しい型や訓練はあるものの、闘争心は失われていません。武術には、型としての〈套路(とうろ)〉と組手の〈散打〉というふたつにわかれます。套路に対人格闘要素が加わったのが散打といえるでしょう。 カンフーにまつわる最大の誤解は? たいていの人は、武術はただの〈踊り

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    otakky 2021/07/11
  • あえて〈2番目の女〉になりたがる女性たち

    ほとんどのひとにとって、パートナーの浮気は最低なものだ。実際に経験したひとも多いだろうが、パートナーの浮気の後、関係が続こうが続かまいが、裏切られたという気持ちはなかなか乗り越えられない。 しかし、誰かのパートナーを欺くタブーを、恋愛のスパイスと捉える女性もいる。特定のパートナーのいる男性を誘惑し、〈魔性の女〉と呼ばれるのを愉しむ女性たちだ。彼女たちはマッチングアプリやウェブサイトを介して相手のいる男性と知り合い、デートやセックスに誘い、パートナーを裏切って秘密のランデブーを続けるようそそのかす。このフェティッシュは〈不貞趣味〉と呼ばれており、私が取材したひとびとによれば、モノガミーの関係を築いているヘテロセクシュアルの男性を恋愛対象にしているストレートの女性に多いという。 2017年の研究によれば、浮気をするひとの数はこの10年で着実に減少し、ミレニアル世代の浮気も上の世代より少なくなっ

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    otakky 2021/07/08
  • ドイツ最大のネオナチ・ロック・フェス

    ドイツ、テューリンゲン州の小さな町、テマールは、どんよりとした灰色の空に覆われていた。2017年7月15日、ここ10年のなかで国内最大の極右ロック・フェスが開催されたのだ。開場前にもかかわらず、6000人ものネオナチがテマールに集結していた。「そんなイベントに割く時間はない」とばかりに太陽は身を隠していたが、カメラマンのザラ・レナート(Sarah Lehnert)と私は、そのイベントに時間を割こうとしていた。しかし、会場に向かう道で渋滞にハマってしまった。会場に近づくにつれ、車の動きは遅くなった。 私たちの車の両側を、何百人もの男たちが会場に向かって歩いていた。皆一様に、ヒトラーやナチズムを称賛する、激しいスローガンが書かれたシャツを着ていた。スローガンは、たとえば〈Wer A sagt, muss auch Dolf sagen〉(〈A〉といったら、〈Dolf〉と続けろ:ヒトラーのファー

    ドイツ最大のネオナチ・ロック・フェス
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    otakky 2021/07/05
  • ドラァグクイーンの口撃バトル、第2回オネエスタイルダンジョン、潜入レポート!!

    新宿二丁目は1945年の終戦後から、売春防止法が施行される1956年まで、赤線(公営の売春地域)として栄えた街である。その後、跡地に、ゲイバーが続々と出現し、80年代を迎えるころには、ゲイタウンとして認知されていく。 当時のゲイバーは、会員制、つまりノンケ(異性愛者の男性や女性)お断りのバーが多く、性的マイノリティーの純粋な出会いの場としての役割を担っていた。しかし、インターネットが一般化した2000年以降、出会いの場が多角的になるにつれて、二丁目の夜も陰りをみせはじめ、ゲイバーもノンケを受け入れ、より多くの人々が、様々な夜を楽しめるようになっていく。 2017年3月12日、日曜日の夜。この街でMCバトルイベント『第2回オネエスタイルダンジョン』が開催された。サザエさん症候群などなんのその、とてつもなく、お下品で毒舌に満ち満ちた心の叫びが、新宿二丁目にこだました。このイベントは、ご存知の方

    ドラァグクイーンの口撃バトル、第2回オネエスタイルダンジョン、潜入レポート!!
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    otakky 2021/06/15
  • 同性愛者と知らず結婚した女性たち

    「この世界にうんざりした。何もかも終わりにしたい」。マイクロブログにこのように投稿した直後、31歳の四川大学教授、ルオ・ホンリン (Luo Hongling)は、13階建てのビルから身を投げた。 彼女の夫がいなければ、ホンリンの死は、『重慶日報』の地元ニュースの欄に小さく掲載されただけだっただろう。しかし、彼女の死をきっかけに、それまで、中国国内でほとんど知られていなかった問題について、議論が巻き起こった。ルオ・ホンリンは〈同(トンキ)〉だったのだ。同とは、セクシュアリティを隠している男性同性愛者と結婚した、ヘテロセクシュアルの女性を指す言葉で、現在、中国には数百万人の同がいると推測される。ホンリンが亡くなる前日、夫のチェン ・ジェンシェン(Cheng Jiansheng)は、マイクロブログ上で彼女宛てのメッセージを公開した。「ルオ、ごめん。僕は同性愛者なんだ。君を騙していた。結婚

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    otakky 2021/06/02
  • 日本の朽ちゆくラブホテルをとらえた不気味な写真

    文化は、驚くほど実利的なアプローチによって、人間の〈汚い〉一面に向き合ってきた。トイレはお尻を優しく洗い、浮気や一夜限りの関係の場を提供するホテルがある。このかわいらしく安っぽい見た目のラブホテルは、全国各地の高速道路沿いに存在し、客は1時間ごとに料金を支払う。 ラブホテルが生まれた背景には、多くの若いカップルが他の家族と暮らし、性行為のためのプライバシーがほとんどない、という文化的な伝統がある。これらの超短期滞在用ホテルの誕生はかなり前に遡るが、名前の由来は1968年、大阪にオープンしたホテル・ラブ(Hotel Love)。1980年代、日のラブホテル産業はバブル期に隆盛し、2000年代後半のピーク時には、全国で1日あたり約200万人が利用した。 しかし、現状はまったく異なる。高齢化する日社会は、短時間の秘められた情事への興味を失い、出生率の低下によって若者も減少。2015年、自

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    otakky 2021/05/16
  • 酒やドラッグより勉強!〈シラフ〉になりゆく英国のZ世代

    1980年代のロンドン南西部で育った筆者にとって、飲酒や薬物乱用は特別なことじゃなかった。私自身、14歳の頃には酒を覚えていた。なぜそう断言できるかというと、その年齢でラガーを飲みすぎ路上事故を起こし、犯罪歴がついたからだ。中学校ではみんなでセーターの袖に染み込ませたティペックス(修正液)を嗅ぎ、昼の時間にはEmbassy and Rothmans(タバコ)を吸い、校外のレクリエーションではよくわからないスプレー缶を吸っていた。大学ではキマった状態で耐久チェスに興じ、森でLSDやマジックマッシュルームをやりまくり、パンクライブでひたすら酒を飲みまくった。 今の十代はそれをどう思うのだろうか? Z世代は、1980年代、90年代、ゼロ年代のキッズたちと比べて〈ハイ〉なのか? 英国の若者は、べろべろに酔っ払う放蕩世代なのか、それとも清教徒的な生活を是とする世代なのか? メディアの主張をみている

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    otakky 2021/05/16
    依存症の親世代の醜態を見た「反動」と、酒やドラッグで醜態を晒すと「SNSで社会に拡散されるという強迫観念」がZ世代の価値観。意外と英国だけではなく、世界的にこういう流れになっていくかもしれない。
  • ポルトガル政府がひた隠す、もうひとつのリスボン物語

    この記事には、過激な画像が掲載されています。 リスボンにおける最古の地区、インテンデンテ。この地にもすっかり高級化の波が押し寄せ、今や多くの観光客が通りを歩いている。しかし、昔からの住民たちを街の外れへと追いやった新しいバーや投資銀行の裏には、まったく異なる現実が存在しており、政府はそれを隠し通そうとしているようだ。 1960年代、インテンデンテはリベラルな地区としてその名を知られていた。まずはバーが、そしてセックスワーカーたちが流入し、そして取り締まりが始まった。1977年8月8日に『A Capital』紙が報じたところによると、同年の上半期だけで、16〜24歳のセックスワーカー1313名が逮捕されたそうだ。 その後数十年、取り締まりは緩和され、同エリアのセックスワーカーの数は再び増加。しかし2000年代初頭、警察はリスボンの悪名高い2つの地区、カザル・ベントーソ(Casal Vento

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    otakky 2021/05/15
  • ロンドンの違法レイヴをとらえる写真家クレア・マッキンタイア

    レイヴの写真を撮ったことがあるなら、その出来栄えが悲惨なものであることは想像がつくはずだ。汗で透けたTシャツ、虚ろな目、なぜかしゃくれている顎…。Instagramに投稿するなら、24時間しか残らないストーリーで〈親しい友達〉に公開するだけに留めておいたほうがいい。たとえあなたが思い切り楽しんでいたのだとしても、申し訳ないが、見るほうとしてはかなり不快だ。 しかし、写真家のクレア・マッキンタイア(Claire McIntyre)は、そんな汗まみれのレイヴを不思議と美しくみせる方法を心得ている。クレアは約2年かけて、イーストロンドンの2ヶ所のレイヴで過ごす夜を記録してきた。ロンドン芸術大学の調子に乗った学生たちから、パーティでひとりの時間を満喫する3児の母まで、クレアは「いつか自分の子どもたちに見せるもの」として、これらのアーカイブを撮り溜めたという。 —違法レイヴを撮るようになったきっかけ

    ロンドンの違法レイヴをとらえる写真家クレア・マッキンタイア
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    otakky 2021/05/08
  • パタゴニアが怯えるビーバーの脅威 チリ アルゼンチンで広がる環境破壊の現状

    1946年、南米のアルゼンチンでは、毛皮産業を成長させるべく25組のビーバーを輸入。産業振興目的に保護されたビーバーは隣国チリでも増殖を続け、今や、パタゴニアの自然環境、生態系を破壊するほどの個体数になってしまった。パタゴニアで広がる被害の現実、今後ビーバーが辿るであろう運命を占う、チリからのレポート。 原題:Beaver Slayers of Patagonia (2015)

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    otakky 2017/07/19
  • 『プレデター』は本当に駄作だったのか?

    今年、公開30周年を迎える『プレデター』を振り返り、なぜこの作品がそんなにまで批評家たちに嫌われたのかについて検証してみたい。 私たちは頻繁に、〈〇〇年代〉という括りで文化を語るが、その区切り方は、1年が1月1日に始まり12月31日に終わるのとは違い、かなり恣意的だ。例えば、60年代といえば1964年に始まり、1969年12月6日の悲劇的なオルタモント・フリー・コンサートにて幕を閉じるものである (あるいは、テレビドラマ『マッドメン』(Mad Men)のドン・ドレイパーでもお馴染み、ヒッピー文化を小馬鹿にしたかのような1971年のコーラのCMで終わったともいえる)。’80年代といえば、1979年にBLONDIEの「ハート・オブ・グラス」、THE KNACKの「マイ・シャローナ」両曲のナンバーワン獲得に始まり、1987年10月19日の株暴落によって終わった。 1987年の変遷は、経済面だけに

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    otakky 2017/07/12
  • 北朝鮮と日本を映画で結ぶ男

    現在、VICE PLUSで配信中のシリーズ、〈映画で知る朝鮮民主主義人民共和國〉では、1972年カルロビバリ国際映画祭特別賞受賞作品であり、北朝鮮映画史を代表する名作『花を売る少女』から、『ゴジラ』の日人特撮スタッフがSFXを担当した怪獣映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』、そして10万人が参加した大マスゲームの模様を収めたドキュメンタリー『アリラン祭』まで、今後も続々と〈北朝鮮を知る映画〉の配信を予定している。 北朝鮮の国家事業である映画は、建国以来、経済発展計画のいち部を占めている。特に、第二代最高指導者であった金正日は映画に精通しており、約2万のビデオテープを所有していたとされる。自筆の著書『人間の証し―映画芸術論』は、ここ日でも翻訳刊行されているほどだ。 そんな北朝鮮映画事情を最も知るのが、映画プロデューサーの小林正夫氏。小林氏が取締役を務めるカナリオ企画は、北朝鮮が製作する映

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    otakky 2017/07/11
  • SPIRIT of CONGO ープロレス、サプール、黒魔術ー 03.キンシャサ・サプール

    これまで見てきたように、コンゴ民主共和国はベルギーから独立後、1960年から64年まで国名がコンゴ共和国であったこともあり、西に隣接するコンゴ共和国(首都がブラザビル)と、混同されがちだ。キンシャサとブラザビルは、コンゴ川を跨いだ対岸に位置する。ふたつのコンゴは、それより北に位置するアンゴラとともに、15世紀まではひとつの〈コンゴ王国〉だった。19世紀、現在のコンゴ民主共和国はベルギー領になり、フランス領になったコンゴ共和国とは異なる文化が育まれていく。 〈Société des ambianceurs et des personnes élégantes(お洒落で優雅な紳士協会)〉の頭文字をとって〈サップ〉と呼ばれる文化が、両コンゴで、似て非なるスタイルで浸透している。サップを体現するとサプールと呼ばれる。発祥に関しては諸説あるが、一説では、第一次世界大戦でフランス軍に従軍したコンゴ共和

    SPIRIT of CONGO ープロレス、サプール、黒魔術ー 03.キンシャサ・サプール
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    otakky 2017/07/08
  • 激辛ソースで勝負する元AV男優のスパイシーな人生

    辛いソースにはマゾヒズム的要素が多分に含まれている。タバスコや シラチャーソース(タイ生まれのホットソース。米国で商品化された)、 タパティオ(カリフォルニア生まれのホットソースブランド)など、穏やかならざる激辛ソースは、ほとんどが少量生産で、人目をひく変わった名前がついており、さらにラベルには、考え得る限りのあらゆる〈痛いくらいのおいしさ〉的コピーを冠している。そんな商品が激辛ソース市場には溢れているのだ。 たとえば、世界でいちばん辛いトウガラシとしてギネスに認定されたキャロライナ・リーパー(Carolina Reaper)を使ったリーパー・スリング・ブレード(Reaper Sling Blade)、辛さの単位〈スコヴィル(Scoville)〉の値、250万と驚異的記録をたたき出したブラック・マンバ(Black Mamba)のような激辛ソース(ちなみに、一般的なハラペーニョのスコヴィル値

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    otakky 2017/06/28
  • ディープ・ウェブの麻薬売人と過ごした週末

    モロッコの山々の懐深く、渓谷のくぼみに大きなレンガの建物はあった。近づいたときには既に辺りは暗く、窓のない壁の穴からは鈍い光が漏れ出していた。自らを「パトロン」(スペイン語でボスの意)と呼ぶ男と車に乗り、その建物に向かって未舗装の道路を進んだ。憲兵たちの検問所が点在する絶壁沿いの道路を通過して、ここまでたどり着くのに5時間を要した。車が止められる度に警官がドアを開け、パトロンと握手を交わす。お互いが満面の笑みを浮かべていた。 「ここから海沿いまでにいる全員に、俺は金を払っている」とパトロンがにやりと笑った。 渓谷への旅のせいで吐き気がした。ゆうに5マイル前に舗装された道路は途切れた。そして運転手は「追跡信号をまくために」意味もなくいきなり何度かUターンした。そしてようやく、レンガの建物の外で止まり、車を降りた。運転手がホーンを鳴らすと、ツナギを着た男が1人現れ、パトロンを抱きしめた。数分間

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    otakky 2017/05/23
  • リサイクルショップからゴミ置場まで 個人レコードディーラーの長い1日

    千億円を超える市場規模にまで復活したレコード。これはもはやブーム云々ではない。確実に私たちの生活のなかでレコードは回り始めた。そんなレコード市場は、レーベル、ディストリビューター、ショップだけで成り立っているのではない。個人レコードディーラーが、現在の市場を活気づけているのだ。 生ける屍と化していた愛すべき音楽フォーマットが復活しつつある。もう心配はない。数十年もの低迷期を経て、2016年、英国のレコード売上は320万枚を超えた。過去25年間で最高の記録だ。米国はさらに好調で、市場規模は10億ドル(約1095億円)に迫ろうとしている。スーパーにはレコード・コーナーが設置され、プレス工場はフル稼働している。Discogsではレア盤が高値で売買されている。この事態を誰が予測できただろう? しかし、音楽産業全体にとって、320万という数字は、まだまだ僅かなものである。例えば1986年、この年だけ

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    otakky 2017/05/01
  • メキシコの路上ジャンクフードを学ぶ

    バッタ* から骨付きチキン、手押し車に積まれたナッツやスイーツなどなど。メキシコの路上で売られているスナックは、実に多種多様なので、どんなに独特な味覚を持つ人であっても満足してしまうだろう。メキシコのストリートには、事の合間にちょっとつまんで楽しめる珍味が、溢れまくっている。 * チャプリネス(chapulines)と呼ばれる料理で、バッタをチレとライムで味付けしたもの。 私たちメキシコ人は、朝、昼、夕といった〈正式な〉事だけではなく、あたりまえのように間し、ほぼ1日中べている。この事実はよく知られているだろう。私たちはべ物を求めて通りに繰り出す。そして、大抵そこで立ち喰いし、歩道で座り喰いし、職場や家に戻りつつ、歩き喰いする。欲を満たす選択肢は当に数知れない。甘党も辛党もOKだし、ヘルシーなものから脂肪たっぷりのもの、おやつ用のスナックから夜用のスナックまで、ストリ

    メキシコの路上ジャンクフードを学ぶ
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    otakky 2017/04/02
  • 90年代に撮影された、アムステルダムの売春街

    一見したところ、過去数十年の間、アムステルダムにあるレッドライト地区は、それほど変化していないように見えるかもしれない。依然として売春婦は、通行人にサービスを提供しているし、ほとんどの街角で、怪しげなバーや密売人を見かける。しかし、このエリアには、過去数年間で決定的な変化がもたらされた。レッドライト地区の〈一掃〉という市の取り組みにより、数多くのコーヒーショップや、売春婦の飾り窓が閉鎖に追い込まれた。おびただしい数の観光客が詰めかけ、同エリアの性質が変わってしまったせいだ。 写真家のヒュープ・プリカーツ(Huub Prickaerts)は、90年代にレッドライト地区に居住し、その地区の売春婦、清掃員、売春婦の客、犯罪者、隣人、観光客、ドラック中毒者を撮影した。一般的にレッドライト地区の人々は、写真家を快く受け入れないため、プリカーツは何わぬ顔でそっぽを向き、腰くらいの位置にカメラを据えた

    90年代に撮影された、アムステルダムの売春街
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    otakky 2017/03/04