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2007年7月3日のブックマーク (6件)

  • 「図書館にいる女子はなぜかわいいのか」問題 - うしとみ

    大学図書館を利用していて気になったことがある。図書館にいる女子たちが、押しなべて、かわいいのだ。というか、かわいくない女子を見掛けることがない。キャンパス中の素敵女子たちが全員図書館に集まっているのではないかと思うほどである。 一方、図書館にいる男子たちはというと、これが、さっぱり、まったく、ぜんぜん、ちっとも、かっこよくないのである。ごく僅かに素敵男子もいないわけではないかな、と一応は言っておいた方がいいよな、保険のために、というくらい、図書館にいる男子たちはかっこよくない。まず、基的に、リュックサックである。この時点でもうアウトだが、さらにチェックのシャツだったり、非オシャレメガネだったり、オシャレメガネであってもその他の部分に努力が見られなかったり、もう、亀田もびっくりのKOっぷりだ。 この1ヶ月ほど、「図書館にいる女子はなぜかわいいのか」・「男子はなぜかっこよくないのか」問題につ

    「図書館にいる女子はなぜかわいいのか」問題 - うしとみ
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/03
    図書館で女子をまなざす男子の心的傾向が、「かわいさをブーストしてるんじゃないのかな」?おじさん勘ぐりすぎかなぁ?図書館女子萌えですよ、萌え。/↑そうっすね。んな事ぁ二の次ですよね、
  • コメント欄の無いブログは信じるな - 左翼というのはプライドたりえるのだろうか

    ブログを比べて、「どれが正しいか分からな〜い」って人に授ける一つの指針です。 タイトルの通りです。 コメント欄の無いブログは信じてはいけない。 (政治家が実際に書いているブログは除く) ※ここで注意してほしいのは、「コメント欄があれば信じていいというわけではない」っつうことです。 コメント欄があってもく〜だらないことしかかいてないブログとか、き○○い言説しか書いてないブログとかもありますから。 「博士の独り言」「太陽の帝国」等は、都合が悪いコメントがあるとすぐに消します。 残るのはYESマンコメントのみ。 「お玉おばさん」はわざと頭の悪そうな「自称反論」をのっけたり、初めだけ反論させて 後はキチガイコメンテーターに罵倒させまくってさも「論破している」ようにみせかけています。 こういうのはコメント欄をつけていないよりタチが悪いですね。 さて。 「コメント欄の無いブログは信じるな」というと、必

    コメント欄の無いブログは信じるな - 左翼というのはプライドたりえるのだろうか
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/03
    (略/observation
  • 本当の自分主義 - REV's blog

    http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20070702#p1 そして最も重要だと思うのは、そのような「当の自分」という幻想こそが、カルトや洗脳の格好の対象にされてしまう、ということだ。「わたしは、ありのままのあなたを、知っていますよ」という甘言は、典型的なカルトの誘い文句であろう。 前提:低い*1自己評価、もしくは対外評価 仮定1:「当の自分」が存在する。 仮定2:「当の自分」は、なんらかの障害によってスポイルされている。 論理的な帰結*2:「ある人」によって、発見された『当の自分』は、「当の自分」であるが故に、称揚されてしかるべきである。 論理的な帰結*3から発展される予想:『当の自分』は、「ある人」の前にしか現れないだろう。 「当の自分」を体感できるのは、「ある人」と喋っているときだけ*4なので、「ある人」から離れられなくなったりするかも。 あ、な

    本当の自分主義 - REV's blog
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/03
    自己評価・対外評価が低い人は、それを埋め合わせるような商品・戦略にとても弱い。その事は、ネット界隈を一瞥するだけでも確認出来る。
  • 赤の女王とお茶を - 「自由の国」を支える「奴隷」と「暴力」

    ウェブは資主義を超える(池田信夫) 自由の過剰な世界 やっぱこの世代の人はマルクス大好きなんですね〜。微笑ましいくらい。アンカテのessaさんも同世代でしょうか? 結論からいうと、「自由の国」は、それを支える「奴隷機構」と「暴力装置」を前提に成立します。 マルクスは自由の国を、労働が生活手段ではなく目的となるような世界とし、そこでは生産力は増大して無限の富が実現すると考えた。 まず、人間がデータ生命になってチップに半永久的に封入されるような場合を除き、炭素生物として生きる限り必ず「汚れ仕事」や「単調労働」といった「生活手段労働」が生じます。 当然、「自由人」はこんなことはやりたくない。 だとすれば、誰かに「やらせる」しかありません。 つまり、安定した「奴隷機構」が不可欠ということになります。もちろんこれが完全に機械化される可能性はゼロではないでしょう。が、それほど精巧なロボットを作るより

    赤の女王とお茶を - 「自由の国」を支える「奴隷」と「暴力」
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/03
    二周目は弾が目に見えないほど高速で、撃ち返し弾有り、なんですね。
  • Yasuakiの新批評空間 - ナウシカの胸の大きさについて

    ナウシカの胸は大きい。 私は、これは、ナウシカが共感する<自然>や<生命>ということを象徴しているのだろうと漠然と考えていたが、宮崎駿監督の弟の宮崎至朗さんはこう語る。 「兄が幼いころのことですが、母が7〜8年入院してたことあるんですよ。 寂しい思いをしたんでしょうね。 「ナウシカ」のバストが大きいのは「母性へのあこがれ」でしょうね。 悪くいえばマザ・コンとか・・・ あ、これ書かないでくださいね。」 (風の谷のナウシカGUIDEBOOK「 宮崎駿の1日」より抜粋) たしかに、母性というのは宮崎アニメにとって重要なキーワードである。少女ながらに大人の男達の母親のように振舞うシータ(やはり胸が大きい)や、実際、大きくなった子ども達に指図するドーラ(宮崎家の母親は彼女のようだったらしい)。それに、(胸はともかく)母の不在がそのまま描かれたトトロなど。 何よりも、漫画版を見ればわ

    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/03
    ヌードになったら小さくなったナウシカの胸について。一方で、性的願望との間合いの取り方に関して、他の宮崎駿監督の作品群における女子キャラ群像とも合致する傾向がここでも見出されると確認できた。
  • 左利き差別「炎上」に見る書き手と読み手の美しい距離感 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    J-Castで何か書いている横澤彪氏の記事が炎上を起こした。炎上自体はもはやネットにおける日常的な風景であって、それをいまさらあれこれ言うつもりもない。 http://www.j-cast.com/tv/2007/06/27008769.htmlネタ元→ http://blog.livedoor.jp/m_shike/archives/50987532.html 私は左利きである。 したがって、横澤氏に「左利きバーカ」とか書かれること自体、確かに腹立たしいし早く死ねと思わんでもないけれど、それ以上に自分も親に右箸右書きに矯正された経験を半笑いで思い出し、良く考えたら両手で箸を扱え両手でモノが書け両手で投げられリブルラブルが得意なゲームのひとつとなりそれなりにハッピー矯正ライフを送っているのもまた事実である。 一方で、何となく「横澤に言われてもな」とか「なんでj-castに書いてんだよ(ぷ)

    左利き差別「炎上」に見る書き手と読み手の美しい距離感 - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2007/07/03
    切込隊長が米欄ソムリエ。しかし途中からは激しく酔っ払いながら書いている。