「善悪」という価値観はかなりいいかげんだと思っている。 悪因悪果善因善果……善いことをすれば善い報いがあり、悪いことをすれば悪い結果が出る。そんな「お説教」はうそである。 善人が無差別殺人に遭う。面倒見の良い善意の教授が「思い込みの激しい教え子」に殺される。理不尽だ。 大体、人間は存在そのものが「悪」である。昨日、焼き肉を食べた。今日は「タイの生き作り」を食べた。ピクピクとしっぽが動く刺し身を平然と平らげた。 人間は「他の生命」を消費することで生き延びる。人間様は地球における「最大悪」かもしれない(絶対善、絶対悪を主張して千数百年も、宗教戦争を繰り返す一神教は「悪」の象徴?)。 ならば「善悪」に代わる価値観はあるのか? ある! 「運不運」の価値観である。「運命」と言ってもよいだろう。運の良いやつはどこまで行っても運が良く、運のない人間はトコトン悲惨になる。僕は運因運果論者である。 誰が運が