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2018年5月13日のブックマーク (5件)

  • chromeBookを買って気に入って手放した

    プライベートのPC趣味の調べ物をしたり、excelで家計簿をつけたり、ChromeCastで動画をモニタに移したりするような用途がメイン。 iPadも持っているけど、iOSのIMEが使いにくかったり、Bluetoothキーボードも気に入るものが中々無くて専ら閲覧専用につかっている。 仕事で使うPCを探しているうちに、持ち運びやすくて動作の軽いサブPCが欲しくなって調べていくうちに、ChromeBookにたどりついた。 Macは遊びに使うには少し高いので選択肢から外した。 Windowsもモバイル性と値段が比例していくし、ある程度スペックがあってもOSの軽快さはiOSやAndroidには及ばない。 結局は値段の安さとモノの質感が良さそうだからという理由でC101Paを購入した。 結論から言うと、Chromeのタブを直接共有するような動画のキャスト以外は満足の行くPCだった。 電源OFFから

    chromeBookを買って気に入って手放した
  • 社会に出る引きこもりにアドバイス下さい

    拾う神もあるもんだな。 7年間も引きこもった奴を正社員で雇ってくれる会社があるとは。もう当感謝しかない。就職決まって良かった。連絡を貰った時は嬉しくて涙が出てきた。 が、そんな嬉しさもつかの間で、今度は恐ろしい恐怖が襲ってきた。 引きこもり期間中も、将来の自分を憂えて頭がどうにかなりそうだったが、今は社会に出ることが怖くてたらまらない。 自分は社会人経験全くゼロの人間だ。いい歳してな。当に終わってる。社会人って何だ。どうやってなるんだ。怖い怖い。 小さい頃から何事も最後までやりきれない。逃げ癖がある。だから引きこもりになった。 「死ぬくらいなら、病むくらいなら、逃げなさい」 皆そう言ってくれたが、その結果が今の自分だ。引きこもり期間はやはり地獄だった。もう戻りたくない。 何度もの惨敗を経てようやく雇ってくれた会社だ。ここでしがみついて真人間にならねば。が、数か月後には逃げている自分がチ

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  • アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(11)こまい | マンバ通信

    こまい、ということばは懐かしい。 子供の頃、呉出身の両親の知り合いたちと久し振りに会うと決まり文句のように「おおきゅうなったのう」「こまいころようあそんだのう」と言われた。「こまい」は、背丈の小さい人にも小さいものにも使う呉弁だけれど、わたしが印象に残っているのはこの「こまいころようあそんだのう」だ。たいていはそのあとに「おぼえとるか?」という問いがきた。わたしはなんとなく面映ゆく、居心地が悪くなった。その居心地の悪さというのは、自分がその人と遊んだことを覚えていないバツの悪さもさることながら、自分の外見の成長が、もう「こまいころ」のようには遊べないという感慨を相手にもたらしていることからきていたのだと、今にして思う。 そうした思い出のせいだろうか、「こまい」ということばには、ただ小さいというよりは、どこか「成長によって失われてしまう子供の属性」がちょっぴり含まれている気がする。実際、誰か

    アニメーション版「この世界の片隅に」を捉え直す(11)こまい | マンバ通信
  • vol.01 スカート 澤部渡 「高校1年で『神戸在住』を読んだとき、『僕はこっちだったんだ』と気づいたんです」 | マンバ通信

    vol.01 スカート 澤部渡 「高校1年で『神戸在住』を読んだとき、『僕はこっちだったんだ』と気づいたんです」 写真 / 後藤武浩 もしも。今の自分の人格は、自分が見聞きしてきたものの積み重ねによって形成されているのだとするならば。「どんなマンガを読んできたか」を語ることは、「どんな人間であるか」を語ることにとても近いのでないか。人生に影響を与えたと自覚しているマンガはもちろん、かつて読んでいたけれど今ではまったく手に取ることのないマンガでさえ、自分の血肉と化しているかもしれない。だから、マンガについてインタビューしようと思ったのだ。そのマンガを知るためではなく、その人自身を知るために。 シンガーシングライター・澤部渡。ソロプロジェクトである「スカート」の名前のほうが、通りがいいだろうか。いや、世間的には「Mステで、スピッツのバックでタンバリンと口笛を担当していた、あの男」と言ったほうが

    vol.01 スカート 澤部渡 「高校1年で『神戸在住』を読んだとき、『僕はこっちだったんだ』と気づいたんです」 | マンバ通信
  • 「子豚ちゃん」と呼ばれしヒロインのママは売れっ子女優──『鏡よ鏡…』の巻 | マンバ通信

    遺伝子的にはかなり近いハズの親子や姉妹が、神様のいたずらによって似ても似つかぬふたりになった、どうしてくれるんだ、という話が、少女マンガにはしばしば出てくる。 代表的な作品に、萩尾望都『半神』がある。腰のところで身体が繋がった双生児の姉妹が出てくるのだが、妹は天使のように可愛らしく、姉はガリガリの骸骨のよう(「一方はバラの花/一方は塩づけのキュウリだわ」とか言われている、つらい)。しかしある日、手術でふたりを分離する手術の計画が持ち上がって……というところから、物語は一気に加速する。 この手の物語における最大の見所は、美醜の「形勢逆転」にある。美人だと思っていた子がブサイクになり、ブサイクだと思っていた子が美人になることで、立場がまるで入れ替わってしまう。そのダイナミズムがたまらない。ひとりの女の子が美人になったりブサイクになったりする話もいいのだが、血の繋がった二者の美醜には、人の意志

    「子豚ちゃん」と呼ばれしヒロインのママは売れっ子女優──『鏡よ鏡…』の巻 | マンバ通信