東京電力福島第1原発の過酷事故からまもなく6年がたつ。この月日を象徴するのは、飯舘村などに一斉に出される避難指示の解除、そして2号機で初めて垣間見えた「溶融核燃料」らしきものの姿だろう。 いつ帰れるともしれない故郷、どのような様相を呈しているのか見当もつかない原子炉内部。ついこの間までの状況を思えば、表面的には「一歩前進」かもしれない。 しかし、冷静に考えるなら、原発事故がいかに多くのものを人々から奪ってきたか、何十年も続く復興や廃炉の道のりがいかに厳しいかを示す象徴であることは間違いない。 遠く困難な廃炉への道 福島第1原発の構内を訪れると、廃炉作業の困難さをひしひしと感じる。全面マスクが必要なエリアは大幅に減り、労働環境は改善したとはいえ、廃炉に欠かせない難関である「溶融燃料の回収」がクリアできるめどはまったく立たない。 サソリ型ロボットで2号機の原子炉直下まで調査する先月の試みは、通